【6月9日 午後6時03分】
「これから行くのは、『スタジオ唐沢』という演劇教室だ。紅蘭はそこにいる可能性が高い」
竜樹についていく形でアタシと沢渡さんは歩いていた。なんで演劇教室に紅林がいるのかはわからないけど、その理由も含めて話してくれるんだろう。
紅林鈴蘭とは何者で、どれだけクソ女なのかを。
「歩きながらになるが説明してやる。まず僕と紅蘭が出会ったのは弟の波瑠樹が通ってる『スタジオ唐沢』で……」
「アンタらの身の上話はどうでもいいさ。アンタが話すべきなのは、紅林……まあアンタに合わせて『紅蘭』って呼ぼうか。とにかくソイツがアンタに何したかってことさね」
「……わかったよ」
竜樹は俯いた後に、小声でつぶやいた。
「……『あなたの妹になってあげる』って言われたんだ」
「は?」
「だから! 紅蘭は僕の妹になってくれるって言ったんだよ! 弟の陰に隠れて苦しい思いしてる僕の妹になるって!」
「え、えーと? それって付き合うってこと?」
「そんなんじゃない! 紅蘭は僕を兄にしてくれたんだよ! 『妹を守る強い兄』っていう立場をくれたんだ!」
なぜか大声を張り上げて怒りをぶちまけてるけど、アタシにはまだ話が見えてこない。
「アイツのためならなんだってしたさ! 欲しいものはなんでもくれてやったし、波瑠樹がアイツに乱暴したって言うからいくらでも殴った! 柳端くんのバイトのシフトだって教えてやったさ! そうするとアイツが僕を頼れる兄として尊敬するんだ! 僕はそれが嬉しかった! だからアイツのために……!」
「はいはいわかったわかった。ま、こういうことだよ佳代嬢。紅蘭ってのはタツキの『妹』になり切って、コイツを利用してたってわけさね。いやー、やるじゃないか。幸四郎に駆け寄った時には、いかにも『必死に平然を装ってる可哀想なオンナノコ』みたいに振舞ってたのにねえ」
「……」
『妹』とか、『強い兄の立場をくれた』とかは理解できないけど、その代わりに確信できたことがある。
紅林鈴蘭は、男を利用することが『強さ』だと思っている女だ。
何の理由で竜樹に近づき『妹』になると提案したのかはわからなくても、紅蘭は男を利用することに罪悪感を抱いていない。むしろそれを自分の『強さ』だと思っているのはわかる。それこそ手に取るように。
なぜなら紅蘭がやってることは、過去のアタシと全く同じだから。
過去のアタシは自分が可愛いと自覚していた。それと同時に、周りのクラスメイトたちが頑張って勉強したり身体を鍛えているのを見下していた。そんな努力をしなくても他人を利用できる自分の方が優れてて強いと思っていたからだ。
だからアタシは利用できなくなったら他人をあっさり捨てた。そして紅蘭も、竜樹をあっさり捨てて柳端くんに乗り換えようとしている。
今のアタシは他人に説教できる立場じゃないし、沢渡さんと同じく他人の恋愛に口を出せるほど偉くもない。だとしても、心に決めた。
紅蘭はクソ女で、アタシの敵だ。何も遠慮することなくぶっ潰してやる。
【6月9日 午後6時21分】
「さーて、ここかい。幸四郎が囚われている魔王城は」
目の前のビルの窓には、確かに『スタジオ唐沢』と書いてある。中の明かりもついているから、誰かしらはいるんだろう。
「沢渡さん、いきなり乗り込むの?」
「当たり前さね。グズグズしてたら、幸四郎は紅蘭に美味しくいただかれちまうよ」
「……確かに、そうかもね」
紅蘭が男を利用する女であるとわかった今なら、それもあり得ると思ってしまう。中に柳端くんがいなくても、紅蘭がいれば手がかりは得られるだろう。
「そんじゃ、行くよ……ん?」
意気揚々とビルの中に入ろうとしていた足は、ビルから出てきた人物を見て止まった。
小柄で金色の髪をツインテールに結った女の子が、こちらを見て、可愛らしいけどどこか見下したような微笑みを浮かべている。
一瞬、その顔が今まで会った人間とは結びつかなかったけど、よく見ればわかる。
「アンタは……!」
「ああ、あなたやっぱり幸四郎お兄ちゃんのお友達だよね? 窓から見えたから降りてきたよ」
間違いない。この前会った時とは随分と印象が違うけど、この姿こそがコイツの本性であり、真の姿。
男を騙し、柳端くんの心を弄ぼうと企む、クソ女の姿だ。
「おい紅蘭! お前、この間はどういうつもりだったんだよ!?」
「あれ、竜樹さんも一緒なの? どういうつもりも何も、あの時言った通りだよ」
その直後、紅蘭の顔から甘えるような可愛らしさが消えて、代わりに鋭い敵意が放たれる。
「もうアンタの妹にはならないって、そう言っただろ?」
「お前……!」
前に足を踏み出そうとした竜樹を沢渡さんが制止した。
「ヒャハハ、悪いけどこっちの用件が先だよ。それで紅嬢。幸四郎はどこだい?」
「紅嬢ってわたしのこと? まあいいや、幸四郎お兄ちゃんなら中にいるけど、あなたたちには会いたくないって」
「へえ、アタシらには会いたくないのに、紅嬢とは話すのかい?」
「当然だよ。わたしは幸四郎お兄ちゃんの『妹』なんだから」
……ここまでの会話で、わかってきたことがある。
「沢渡さん、下がって」
「あ?」
「コイツはアタシが叩きのめす」
「……へえ。ならやってもらおうじゃないかい」
コイツがなんで、『彼女』ではなく『妹』になろうとしているのか。そして今、どうして柳端くんの『妹』を名乗っているのか。
再び可愛らしい女の子の顔になった紅蘭の前に立つと、アイツはアタシの後ろに視線を向けていた。
「あれー? 竜樹さんやそっちのメガネの人じゃなくていいの? 力づくで突破する気だと思ってたのに」
「アンタ、柳端くんの妹になったんだってね」
「そうだよ。幸四郎お兄ちゃんはわたしを守ってくれるって……」
「自分一人じゃ何もできない子供からしたら、柳端くんはカッコよく見えるもんね」
「……」
紅蘭はアタシの言葉を受けても表情を崩さない。怒るわけでも、動揺するわけでもない。
だけどコイツの企みが何であろうと、他人を利用することを強さだと勘違いしている女にアタシが負けるわけがない。負けるわけにいかない。
「アンタが柳端くんに何したか知らないけど、竜樹に迫られている姿を見たら、彼がアンタに手を差し伸べたのはわかるよ。アタシだって彼に手を取ってもらった人間だからね」
「うん、わかってるじゃん。幸四郎お兄ちゃんはやさしいからね。わたしのことも助けてくれるし、守ってくれるんだよ」
「アンタはわかってないね。柳端くんは誰にでも優しいわけじゃない。アタシのことも、アンタのことも、無条件で助けてくれるわけじゃない。彼が私に手を差し伸べたのは、彼自身にメリットがあるから。アタシを助けることが、自分の幸福に繋がると思ったからだよ」
「なにそれ。自分には助けられるだけの価値があるって言いたいの?」
「柳端くんがアンタについていったのは、何か考えがあるからだって言ってるんだよ」
柳端くんは先のことを常に考える人だ。ただ単に紅蘭に同情して協力してるわけがない。
そして紅蘭はそれをわかってない。柳端くんを完全に利用できてると思っている。
「ふーん。自分の方が幸四郎お兄ちゃんを知ってるって言いたいんだ? まあいいよ。そう思うのは自由だし」
「アタシはアンタと張り合いに来たんじゃない。柳端くんを連れ戻しに来たの。なんで柳端くんがアンタと一緒にいるかは本人から直接聞く。中に入らせてもらうよ」
結局、コイツは自分のことも柳端くんのこともわかってない。これ以上話すのは時間の無駄だ。コイツを叩きのめして早く中に入って……
「……っ!?」
その瞬間、目の前の景色がグルリと回ったかと思うと、アタシは地面に尻もちをついていた。
「な、に……?」
「だから言ったじゃん。そっちのメガネの人じゃなくていいのかって」
紅蘭の声はアタシの後ろから聞こえてくる。振り向く前に、首の後ろに何か尖ったものがつきつけられていた。
「あ、な、にを……!?」
「『自分一人じゃ何もできない子供』って言ってたよね? あなたもまるでわかってないね」
その直後、紅蘭の声が低く攻撃的なものへと変わる。
「アンタを力づくで黙らすくらい、私にもできるんだよ」
……まずった。確かに勘違いしてた。
コイツ、アタシより数段上手だ。
「ふーん、いい動きじゃないかい紅嬢。タツキのこともそうやって黙らしたのかい?」
「うん、そういうこと。そうだよねえ、竜樹さん?」
「……」
沢渡さんはこの状況でもヘラヘラ笑ってるし、竜樹は気まずそうに目を逸らしてる。助けは期待できないか。
でもどうする? 大声でも出せば助けはくるかもしれないけど、何かの拍子に刺されたらアウトだ。どうすれば……
「やめておけ、紅蘭」
その時、後ろのビルから男の人の声が聞こえてきた。
振り返ることはできないけど、誰が来たのかはわかる。ここ最近ずっと聞いてきた声だ。聞き違えるわけがない。
「……幸四郎お兄ちゃん。降りてきたんだ」
柳端くんが、アタシを助けに来てくれた。
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