「……え?」
自分でもマヌケな声を出したとは思ったけど、そもそも私はマヌケだった。
少し考えてみればわかることだ。告白されるまで、わたしとメイジにはほぼ接点はない。お互いに名前と顔は知っていたけど、それだけだ。私はメイジのことを『同学年の格好いい男子』くらいにしか思っていなかったし、メイジが私の見た目を好きになったとは思えない。
だからそもそも、メイジが私を好きになる理由なんてない。普通に考えればそんなことすぐにわかる。だけど私は自分の中にある何らかの魅力をメイジが見抜いてくれたのだと思い込んでいた。
それはまさしく、他人から伝え聞いた評価で自分の価値を判断する人間の考え方だった。
「だからさ、瑠璃子。オレがお前を好きになるわけねえだろ。いや、もっと言うなら、付き合っていくうちに好きになれるかもしれないとは思ってたんだけどな。ま、無理だったな」
「な、んで……?」
「ん?」
「だったらなんで、私と付き合ったの?」
そんなことを言うなら、初めから私と付き合わなければよかったじゃない。初めから変な期待を持たせなければよかったじゃない。アンタが私に告白したから、自分が価値のある人間だと勘違いしちゃったじゃない。
こんなことになるなら、ずっと一人でいた方がマシだった。
「そんなの、ミーコのヤツがウザかったからだよ」
「え?」
「お前がミーコにそそのかされてオレに会いに来たのは察しがついてたよ。お前の後ろでミーコがイヤな顔で笑ってたのも見てたからな。たぶんお前がオレにフラれる様子を晒して、笑い者にでもするつもりだったんだろ。ただ、ミーコの思い通りになるのも癪だったからな。お前に告白して逆にアイツを笑い者にしてやろうと思ったんだよ」
「……だったら、私とは」
「ああ、最初からミーコに嫌がらせするために付き合ったんだよ」
確かにメイジはミーコさんとは知っている間柄のようだった。もしかしたら私より前に付き合っていたのかもしれない。
だとしても、そんなことのために私に告白したっていうのか。私のことを弄んだのか。
「ふざけないでよ……!」
気づけば拳を握りしめていた。こんなことは生まれて初めての経験かもしれない。目の前のこの男に対する感情が上手く言葉にできない。視界がぼやけて、頭がクラクラしてきている。
「っ!!」
メイジが言葉になってない声を小さく上げたのと、右の拳に痛みが走ったことで、私はようやく自分が何をしたのかを認識した。
ああそうか。私、生まれて初めて人を殴ったんだ。
「『ふざけるな』か。ま、そう言いてえだろうな。だけどよ瑠璃子、それはオレも同じだぜ」
一方で顔を殴られたはずのメイジは、尚も笑いながら私を見ていた。
「オレの突然の告白をお前は受け入れた。だからきっかけが間違ってても、お前のことを好きになるかとも思ったよ。だけどお前はオレのことを好きになろうとはしなかった」
「そんなこと……!」
「ないって言いてえか? お前が好きなのはオレじゃなく、『工藤メイジの彼女』である自分だ。今まで言い寄ってきた女子も、全員そうだったよ。みんなオレと付き合っているという立場が欲しかっただけだ」
「違う! 私はそうじゃない!」
そう言いつつも、自分の中で既に結論は出ていた。
私はメイジのことを格好いいとは思っていたけど、好きではなかった。メイジと釣り合っているとも思えなかったし、メイジの趣味も理解できなかった。それどころか、メイジの彼女という立場を利用して、周りの女子を黙らすことすらしていた。
なんて汚い。なんて弱い。人間関係の輪から排除される辛さを知っていたはずなのに、自分が排除する側に立った途端にその辛さを忘れていた。
「どの道、オレたちはもう終わりだよ。お互いに相手のことを好きになってねえんだ。それだったら別れたって同じだろ?」
「待って、待ってよ。私、まだ……」
「はいはーい、マユズミさーん。残念でしたねー」
抗議の声は、後ろから迫って来たイヤな声に遮られた。
「ほらほら、アンタはもう工藤くんの彼女じゃないんだよ。自分の立場、弁えろよ」
ミーコさんは相変わらずの意地悪い顔で私とメイジの間に割って入って来たけど、なんでコイツにそんな権利があるんだ。
「立場を弁えろってなに?」
「まだわかんないのかよ。今までアンタみたいな地味女がいい気になっていられたのは、工藤くんの彼女だからだよ。でも、今はそうじゃなくなったからアンタに何したっていいでしょ?」
その言葉の直後。
「ぐっ!」
ミーコさんの蹴りが私の腹にめり込んでいた。
「が、な、なんで……」
「この間の礼だよ。アンタが工藤くんに告白されたせいで、アタシの株は一気に下がったんだ。だったらやり返しさないと気が済まないじゃん」
思い切り蹴られたせいで、床にうずくまってしまうけど、メイジは私に声をかけてくれない。
いや違う、メイジどころか、誰も私に声をかけてこない。周りを見ても、私に冷ややかな目を向けるだけで誰も私を心配していない。むしろ笑っている女子までいる。
ああ、そうだ。みんなは私を認めてくれたんじゃなくて、『メイジが選んだ女』を認めていたんだ。メイジが選びさえすれば、どんな女であろうが一定の地位を得てしまうんだ。それこそ、学校内の上下関係をひっくり返すほどに。
私は何も変わってなんていなかった。結局は自信がない女のままだった。それを覆すには、私自身が他人に頼らずに強くなるしかない。
たとえ他人に捨てられても、誰からも好かれなくても、相手を黙らす強さがなくちゃいけない。
「さあさあ、マユズミさーん。まだ終わって……ぐえっ!?」
だったら、目の前のこのイヤな女くらい自分で黙らせなきゃいけない。
「……アンタの言った通りよ。メイジの彼女じゃない私には、何の価値もない」
「て、てめ、何を……」
首を掴まれてもミーコは私を睨んでくる。だけど別にそんなの関係ない。
「でもね、私ってさ。前から友達いないから、そもそもこの学校における地位は最低だったんだよね」
「くそっ、離せ! 離せよ!」
首を掴んでいる腕を何発も叩かれても、特に痛みは感じない。本当に怒ってる時って他の感覚が鈍くなるんだなあと他人事のように思っていた。
「じゃあ、これ以上落ちようがないんだから、何したっていいわよね?」
私に必要なのは、誰かに好かれることじゃない。誰かに好かれなかったとしても自分に自信が持てるほどの強さだったんだ。
「ばっ、ちょ、やめっ!」
だから目の前のクソ女の首をしっかり掴んだまま、その顔面に思い切り頭を叩き付けてやった。
「あっ、ぎあああああああああっ!!」
甲高い悲鳴の後、ミーコは鼻から大量の血を流しながら床に崩れ落ちた。その直後、教室内のあちこちからも悲鳴が上がる。
「や、やばいだろこれ。先生呼んでくる!」
額についた血を拭った後、まだ目の前にいたメイジの姿を見る。
……ああ、そういえば私、コイツと付き合ってたんだっけ? まあでもこれで、完全に幻滅されただろうな。仕方ないか。
ただ、メイジの顔は予想に反して私に怒ってるわけでも驚いているわけでもなかった。
「……結局、お前もオレと同じじゃねえか」
その顔は、私を憐れむように悲しんでいる表情だった。
――こうして学校内で暴力沙汰を起こした私は、再び転校するハメになった。
先に手を出したのはミーコだったので、教師や両親、ミーコの家族から強く責められるようなこともなかったけど、私の心には忘れられない傷が残った。
『オレがお前を好きになるわけなくない?』
誰も私になんて興味ない。それが自然なことなんだ。だったら私も周りに興味なんてない。自分一人だけ守れる強さがあればいい。誰かを守る必要なんてない。そうすれば生きてはいられる。
私を好きになる人なんて誰もいないんだから。
※※※
「これが私とメイジの間にあった全て。弱くて愚かな女が勘違いした結果、手ひどくフラれたってわけ」
メイジとの過去を、エミは黙って聞いてくれた。同意するわけでもなく、否定するわけでもなかった。
「そんなことが……あったんですね……」
一方で弓長くんは私の過去を聞き終えた後に辛そうに唇を嚙んでいた。
「黛さん。僕はあなたのことを以前からずっと気になっていましたけど、今回の話を聞いてますます好きになりました」
「え?」
「だって、素晴らしいじゃないですか。あなたはそのメイジさんにふさわしい彼女となるために、相手の趣味だって理解しようとしていました。メイジさんの趣味に合わせようとしていました。僕はあなたの、誰かのために必死に動けるところが好きなんです」
「……そんな立派なもんじゃないわ」
「ふむ、確かに立派ではないね。今のルリからは考えられない行動だ」
厳しく言い放ったエミの顔は、少し笑っていた。
「柏さん、そんな言い方は失礼ではないですか?」
「今の私たちがやるべきことはルリを慰めることではなく、メイジという男への対抗策を練ることだ。まあ、今の話を聞いた限りでは、あの男をルリ自身が撃退するのは難しいようだね」
エミの指摘は当たっている。今日アイツと再会しただけで、あの時の弱い自分を思い出してしまうし、メイジに好かれようと必死だった自分を掘り起こされてしまう。
アイツが言った通り、私がくだらない女だというのは事実だ。
「だったら見せつけてあげればいいでしょう。僕たちにとって黛さんがいかに大切な人であるかを」
「ほう? まだルリに出会ったばかりの君がその役目をこなせると言うのかね? 弓長くん」
「こなせますよ。黛さんの『オーダー』があれば」
そう言って、弓長くんは私に向き直った。
「黛さん。もしよかったら、今度僕が通っている演劇教室、『スタジオ唐沢』に来て下さいますか? そうしたら僕もあなたに証明できると思います。あなたのためならどんな役目もこなせるということを」
「え、ええ?」
「あのメイジという人がまた黛さんの前に現れるのであれば、僕があなたを守ります。それができる男だと見せつけてあげます。ですから黛さん。あなたは僕にどんな男になってほしいかもう一度言ってほしいんです」
「どんな男になってほしいって……」
ただ、私がメイジの前で強い自分でいられるとは思えない。それなら、弓長くんの協力も必要になってくるのかもしれない。
「じゃあ……またメイジが現れたら私を守ってくれる人でいてくれる?」
「はい、わかりました」
弓長くんはなぜか目を閉じて顔の前に両手を掲げる。そして包帯が巻かれている右手と開かれている左手を顔の前で勢いよく合わせた。店内に『パァン!』という高い音が響き渡る。あれ、この音ってどこかで聞いたような?
「……はい。それでは。またあの男が現れたら……」
そして彼の目が開かれると、鋭い視線がこちらに向けられる。
「僕が二度と立てないようにこらしめてやるよ」
……?
なに、今の。なんか、今までの弓長くんに感じなかったものを感じる。
いや、私はこれを知っている。これは……
「それでは黛さん、今日はこれまでとしましょう。また連絡します」
違和感を抱いたのは一瞬だけで、弓長くんは深々と頭を下げて帰っていった。
「……ひひ、それでは私もお暇しましょうか……」
「あ、あの、今日は大変でしたけど、また、遊びに行きましょう! 柏さん!」
閂と財前もそれぞれ挨拶をしてファミレスを出て行ってしまった。
どちらにしろ、メイジがまた私の前に現れる可能性は高い。アイツがエミに手出しするようなら、しばらく彼女を私から離した方がいいのだろうか。
「ルリ。先ほどの弓長くんだが」
「え? 彼がなに?」
「彼の通う演劇教室だが、『スタジオ唐沢』だと言っていたね?」
「う、うん。私も彼と会う前に樫添さんと調べたけど、そこで間違いないわ」
「……ふむ。そうか」
エミがなんでそれを気にしているのはわからないけど、私が気になるのは弓長くんがどうやって私をメイジから守るつもりなのかということだった。
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