『死体同盟』から黙って脱退した後、アタシはリーダーとも連絡を取らず、夜の街を歩いていた。道行く男がアタシをチラチラと見てくるのを感じるが、コイツらではアタシを楽しませられなさそうだから無視していた。
「チッ、つまらないねえ……」
ミスったかもしれない。あのまま幸四郎と踊って、幸四郎に殺されていれば、アタシの望む『絶頂期』のまま、死ねたのかもしれない。だけどそれを逃した今、アタシにもう『絶頂期』は訪れそうにない。
「じゃあ、もういいか」
『死体同盟』はまゆ嬢の介入で壊滅同然だろう。どちらにしろ、あそこに戻ったところでつまらない時間を過ごすだけだと悟ったアタシは、どこか死ねる場所でもないか探していた。
「あーれ? 君って確か、柏さんのお友達、だっけ?」
そんなアタシに、一人の男が声をかけてきた。短髪で快活な笑顔を浮かべた、青いシャツとチョッキが特徴的な小柄な男だ。ああ、そういえばこの男には見覚えがある。コイツは……
「……空木晴天。リーダーの兄貴かい」
「ははっ、覚えてくれていたんだね、沢渡生花さん。うーれしいよ」
「アタシは嬉しくないねえ。アンタ、あんまり面白くないし」
「きーびしいね。柏さんにも同じこと言われたけど、ボクはあんまり若い子にウケが良くないのかな?」
「ウケが良くないっていうか、アンタが面白くないだけさね」
正直、アタシはコイツとの会話を早く切り上げたかった。空木晴天という男はさっきも言ったとおり、本当につまらない。その理由はやはり、この男の価値観というか、思想がアタシと相容れないからだと思う。
「きーみもさ、柏さんのお友達なわけだからさ、彼女がちゃんと生きていけるように協力してくれないかなー? ボクも医者として、彼女を放っておけないんだよねー」
「人の話はちゃんと聞くものさね。アンタは面白くないんだから、アタシの前からさっさと消えな」
こんなヤツと話していても、アタシの『絶頂期』が来るわけがない。アタシの今を、こんなヤツで塗りつぶされることが、もうつまらない。一発蹴りでもお見舞いすれば、ここからいなくなるかね。
そう思って、この男の足を折るつもりで蹴りを放とうと決意した時だった。
「あーあーあー、そういえばねー。君の言う、『絶頂期』? それを君に与えられるかもしれないんだよねー」
「……あ?」
その言葉で、アタシの動きは止まってしまう。腹立たしいけど、仮にアタシの『絶頂期』がコイツによって与えられるかもしれないというなら、話を聞かざるを得ない。
それほどまでに、アタシは自分の人生を盛り上げることに飢えている。『生きていてよかった』と思いたがっている。
「なんだい。つまらない話なら、さっさと切り上げておくれよ」
「興味もってくれたようだねー。じーつはさ、柏さんに縁の深い人と知り合いなんだよねー。その人が結構楽しい人だからさ。君に紹介しようと思っててねー」
そう言って、空木晴天はアタシに一枚の名刺を渡す。眼鏡をかけて名刺を見ると、そこに書かれていた名前は――
「……アンタ、なんでこんなヤツと知り合いなんだい?」
「そーれは教えられないよ。個人情報だからねー」
「ヒャハッ、だけど確かにこれは面白そうなヤツだね。いいさ、アンタの企みに乗ってあげるよ」
「あーりがとうね。先方に君のことは教えてあるから、昼にでも電話かけてみるといいよー。じゃあねー」
手を上げて去って行くその姿はちょっとムカついたけど、面白そうなヤツを紹介してくれたので、ギリギリ許せた。
数十分後、自宅に帰ったアタシは洗面所でメイクを落とし、シャワーを浴びながら考える。
そういえば、なんでアタシは『絶頂期』を求めるようになったんだっけ……?
過去に考えを巡らそうとする寸前で思いとどまる。過去のことを思い出したところで何も楽しくない。アタシにとって重要なのは、今のこの瞬間だ。未来でも、過去でもない、今だ。
だからアタシが『絶頂期』を求める理由なんて、どうでもいい。
髪を入念に乾かして、ベッドに横たわる。安いアパートなので隣のテレビの音が丸聞こえだけど、特に気にならない。
すぐに睡魔が襲ってきて、意識がまどろんでいく。その中で夢を見る。
「華さん……」
アタシの過去は、いつだって夢でしか思い出せない。
※※※
アタシの母親、沢渡華の頭は、常に未来にあった。
『真面目に努力していれば、いつか報われるのですよ』というのが、華さんの口癖であり、座右の銘とも言える言葉だった。華さんはその言葉通り、いつも未来に向けて努力していた。
「おい、華。また競馬で負けちまったからよ。金貸してくれよ」
そう。たとえ自分の夫――アタシの父親が、仕事もせずにブラブラと遊び呆けている男であっても、華さんは絶望しなかった。
「またですか? まあ、いいでしょう。転職活動にもお金は必要ですからね」
「悪いな。必ず来月には仕事見つけるからよ」
「頼みましたよ」
父親はヘラヘラと笑いながら華さんから金を受け取り、転職活動をすると言いながらどこかへ出かけていった。そんな二人を見て、当時はまだ小学生だったアタシも、幼心に疑問に思っていた。
「ねえ、華さん。どうしてお父さんはお仕事してないの?」
アタシは母親のことを『華さん』と呼んでいた。理由はよくわからないけど、華さん自身にそう呼ぶように教えられたからだ。
「生花さん。世の中には、仕事したくても出来ない人もいるのですよ。お父さんもその一人というだけですよ」
「でも、華さんはお仕事してるじゃん」
「そうしないと、生花さんもお父さんも生きていけませんからね」
「じゃあ、あたしもお仕事すれば、華さんはお仕事しなくても生きていけるの?」
そう言った当時のアタシに対して、華さんは悲しそうな目をして言った。
「生花さんに仕事をさせてまで生きていたいとは思っていません。そうなれば、私の努力が全て水の泡になります。生花さんはそれを望んでいるのですか?」
「そ、そんなことないよ!」
「でしたら、二度とそんなことは考えてはいけませんよ。私が頑張ってさえいれば、いつかあなたも幸せになるのですから」
「う、うん……」
華さんはそれ以上、アタシの思考を許さなかった。
当時のアタシは小学校の高学年になろうとしていたが、その時点で既に体つきに『女らしさ』が目立つようになっていた。胸が膨らんできたアタシに対して、まだ精神が子供の男子たちがからかいの言葉を飛ばしてくることもあった。
「さわたりー。お前、なにブラジャーなんかつけてんだよー?」
ブラジャーと言ってもスポブラだったが、相手にとってはどっちでもよかったんだろう。ニヤニヤと笑いながらアタシが困る顔を想像しているであろう男子に対して、アタシはこう言った。
「あたしの胸に触りたいならそう言えばいいじゃん。根性なし」
そう言われた男子は顔を真っ赤にして、『誰がお前になんか触るかよ!』という、漫画みたいな捨て台詞を吐いて立ち去っていった。
その一方で、アタシは今の男子の反応であることを確信した。
自分の身体は、男にウケがいいのだということを。
それを知ったアタシの頭に、名案が浮かんだ。もし、アタシがお金を稼ぐことができたら、華さんは今のように苦労せずに済む。華さんがアタシや父親の分まで頑張らなくても済む。そうなれば、華さんだってきっと喜んでくれる。
華さんはアタシに仕事をさせたくないなんて言っていたけど、きっとそれは強がりだ。本当は華さんだって、遊んでいたいはずなんだ。だからアタシがお金を稼いで楽をさせれば、きっとアタシを褒めてくれる。
幼いアタシは、どこまでも無邪気に、何も疑いもせず、その未来がやってくると思っていた。
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