「斧寺識霧に接触してみようと思う」
萱愛家で陽泉との『話し合い』を終えた数日後の日曜日。私は樫添さんにそう告げた。
現在、私たちは柏邸から少し歩いた場所にある公園にいた。先ほどまでエミと柏邸で世間話をして、その帰りにこの公園に寄ったのだ。
「斧寺識霧……柏ちゃんの後見人で、萱愛の叔父だという人ですか?」
「そう。陽泉は斧寺識霧の名前を口にしていた。おそらくは何らかの繋がりがあるはず」
萱愛の叔父がなぜエミの後見人になったのかはわからないが、少なくとも斧寺識霧は今日に至るまでエミの面倒を見てきた人間だ。エミに同調して、彼女の死を望んでいるとは考えにくい。それに、陽泉がエミのことを知っている以上、エミと陽泉を接触させないためには斧寺識霧の協力が必要となってくる。
「で、でも、接触するといっても、連絡先も何も知らないですけど?」
「その点なら心配ないわ。さっき入手したから」
「え?」
「さっきエミが席を外している隙に、エミの携帯電話から、斧寺識霧の電話番号を入手したから、これからかけてみるわ」
「あの……なんで柏ちゃんの携帯電話を見れるんですか?」
「え? そんなの私も暗証番号を知っているからに決まってるじゃない」
「……」
樫添さんはポカンとした顔をしているが、これもエミが良からぬ人間と接触しないようにするための、当然の対策だと思う。
「よし……じゃあ、かけるわよ」
斧寺識霧が登録されてない番号からの電話には出ない人間である可能性はあったが、数回の呼び出し音の後に、低い男性の声が届いた。
『もしもし?』
「失礼します。斧寺識霧さんで、お間違いないでしょうか?」
『はあ、そうですが。どちら様でしょうか?』
「私は、柏恵美さんと萱愛小霧くんの友人の黛瑠璃子と申します」
『え!? き、君が?』
斧寺識霧は私の名前を聞いて、驚いた声を出した。どうやらエミから私の名前を聞いていたようだ。
「私のことをご存じなのですね」
『あ、ああ……恵美の……支配者だとか』
「なら話は早いです。私の目的はひとつ、エミを守ることです。そのために、今回あなたにこうして電話をかけています」
『どういうことだ?』
「萱愛陽泉という男について、知っていることを教えて頂きたいのと、その男がエミに接触しないようにしてほしいのです」
『なんだと!?』
私の申し出に対して、斧寺識霧は少し考え込むように沈黙した後、こちらに質問してきた。
『黛さん、失礼だが君は今、どこにいるんだ?」
「エミの自宅近くにある公園です」
『そうか……30分ほど待っててくれ。直接会って話がしたい』
「……わかりました。お待ちしています」
そうして電話は切れた。
「直接会って話したいから、ここで待ってて欲しいそうよ」
「黛センパイ、その男、信用できるんでしょうか?」
「わからない。でもこの公園で話をするなら、相手も下手なことはできないはず。多少のリスクを冒してでも、話をする価値はあるわ」
現在の時刻は午後一時。相手が私たちに何かするつもりでも、充分周りに助けを求められるはずだ。
そう考えつつも、私は警戒を解かずに相手を待つことにした。
30分後、私の携帯電話が鳴った。
『もしもし、斧寺だ。公園に着いたが、黛さんはどこにいる?』
「ベンチの近くに友人と二人でいます」
『えーと……ああ、見えた』
電話が切れると同時に、短髪の男性がこちらに向かってきた。身長は私より少し高い程度で、男性としては小柄に見えるものの、筋肉質ではあった。
「初めまして、斧寺識霧です。君が、黛さんか?」
「はい、初めまして、黛です」
「初めまして、私は樫添保奈美といいます」
「黛さんと樫添さんか。二人とも、恵美の友人なんだよね?」
「はい。それで、早速本題に入りたいのですが」
「ああ……陽泉のことか」
斧寺さんはベンチに座り、私たちに向かって話し出す。
「まずは……俺と陽泉の繋がりについて話すか」
斧寺さんの口から、様々な事実が明らかになった。
萱愛の母親、萱愛キリカが斧寺さんの実姉であること。
陽泉が婚約の挨拶に訪れた際、斧寺さんを殴ったこと。
斧寺さんの父親はそれを見て、なぜか陽泉とキリカさんの結婚を歓迎したこと。そして……
「絶望が人を救う……あなたの父親はそう言っていたんですか?」
斧寺さんの父親、斧寺霧人がそのような思想を持っていたこと。
「ああ、親父は『希望は人を救わない。救うのは絶望だ』と語っていたよ。姉貴と陽泉の結婚を認めた時もそう言っていた」
容赦ない絶望に浸ることが、人間を救う。これは……
「エミの、『獲物』としての願望と同じ?」
斧寺霧人の考え方は、まさにエミの『容赦ない絶望に浸りたい』という願望そのものだ。じゃあまさか、エミは斧寺霧人からその思想を?
「失礼ですが……その、斧寺霧人さんは現在何を?」
「親父はもう十年以上前に死んだ。恵美を庇ってな」
「え?」
「警察官だった親父は、恵美の父親が殺された事件を担当していた。そしてその犯人に撃たれて死んだんだ。恵美の目の前で」
「……!!」
「だから俺は、親父が命がけで守った恵美の世話をすると決めたんだ。当時は俺も警察官だったし、子供を一人食わせる自信はあった」
それが、斧寺さんがエミの後見人になった理由。
だけど気になるのは、エミの目の前で斧寺霧人が死亡し、その思想をなぜかエミが持っているという事実だ。まさかこれって……
「話が逸れたな。俺が恵美の後見人になった経緯はこんなところだが、陽泉の話に戻ろう」
斧寺さんの言葉で、私も思考を切り替える。今は陽泉の情報を集めるのが先決だ。
「陽泉が過去に起こした事件は知っているか?」
「ええ、萱愛……小霧くんを庇って、人を殺してしまったとか」
「そうだ。義理の兄が人を殺したということで、俺は警察官を辞めざるを得なくなった。いくら息子を庇うためとはいえ、傷害致死罪には変わりない。だが俺は、陽泉が人を殺したのは、小霧を庇うためだったとは思っていない」
「どういうことですか?」
「陽泉は自分を『愛の泉』と称しているが、あいつの愛は歪んでいる。なぜならあいつは、愛を暴力でしか示せないからだ」
そう言われて、私は先日の萱愛宅での出来事を思い出す。
陽泉は息子のために私たちを排除しようとした。確かにそれは息子を心配しての行動だったのかもしれない。だけど暴力に頼らなくてもやりようはあったはずだ。だけど陽泉は暴力で私たちを排除することを選んだ。
「陽泉の愛は、愛する者のために他人にいかに暴力を振るったか、いかに他人を切り捨てたかでのみ示される。あいつはそうするしか家族への愛を示せない。だから俺は、あいつが帰ってきたときに真っ先に小霧へ忠告した。『陽泉から離れろ』とな」
「……エミは、そのことを知っているんですか?」
「いや、恵美には陽泉のことは教えていない。あいつが陽泉の存在を知れば、ヤツに接触するのは目に見えている」
「でしたら、そのままでお願いします。決してエミに陽泉の存在を認知させるわけにはいきません。……彼女を守るためにも」
「わかってる。黛さんもそれを心配して、俺に接触したんだろう?」
とりあえず、斧寺さんもエミと陽泉を引き合わせないようにしているなら、当面は安心できる。そうなると、問題はもう一つの方だ。
「だが黛さん、俺は恵美の後見人だが、小霧の叔父でもある。俺は姉貴とは仲が悪いが、小霧のことはかわいい甥だと思っている。だからあいつのことも守ってやりたい」
「ええ、私たちもその気持ちはあります」
どちらにしろ、萱愛家の問題を解決しないとエミの身も危ないことには変わりは無い。どうにかして陽泉を萱愛から引き離せないものか……
その時、私の携帯電話が鳴った。画面を見ると、エミの名前が表示されている。
「もしもし?」
『もしもし、ルリかね?』
「どうしたの?」
『いやなに。少し面白いことが起こったので、君にも伝えておきたいと思ってね』
面白いこと? なんだろう、すごく嫌な予感がする。
『萱愛くんのお父上が、私にぜひ会いたいとのことで、ご自宅に招いてくれたのだよ』
……それは、考え得る限り最悪の状況だった。
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