「な、なに!?」
地面に落ちた物体をよく見ると、それはコンビニなどに置かれているような防犯用のカラーボールだった。コンビニに強盗が入ってきた際に、逃げる犯人に向かってこのボールを投げつけて液体を付着させることで目印にするためのものだ。
「なんでこんなものが……」
「ぐ、うう……」
「え? セ、センパイ!?」
私の目の前で、先輩が地面にしゃがみ込む。そして両手で右足のふくらはぎ辺りを押さえて呻き声を上げていた。
「センパイ!? 大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫よ……ちょっと、捻っちゃった、だけ……」
「そんなことないでしょう! 見せてください!」
センパイの手をどかして、捻ったという右足を見る。するとそこは、小さなセンパイの足とは不釣り合いなほどに腫れ上がり、青く変色して内出血を起こしていた。
おそらく私を庇って跳躍したときに、無理な体勢で着地したことによる捻挫だ。しかも腫れ上がって内出血を起こすくらいだと、普通に歩くのも困難だろう。
どうしよう、私のせいだ。センパイは私を庇ってこんな怪我を……
「樫添さん……」
センパイは苦痛に顔を歪めながら、私の顔を見る。
「センパイ、病院に行きましょう! 放っておいたらよけいひどくなります!」
「私のことはいいの……それより、多分これは『レプリカ』の仕業よ……」
確かにそうだ。あのカラーボールを落としてきた犯人は明らかに私たちを狙って落としたはずだ。そしてそんなことをする人間は『レプリカ』以外には考えられない。
「でも、今はそんなことを言っている場合じゃ……」
「お願い……『レプリカ』を追って! ヤツは多分まだこのマンションにいる……今ヤツを追えるのは、樫添さんしかいない……」
「何言ってるんですか! 今はセンパイの怪我の方が深刻です!」
「お願いよ樫添さん……今『レプリカ』を捕まえられないと、今度はエミが狙われるかもしれない……それだけは絶対に避けたいの……」
「で、でも!」
「樫添さん……」
「……!!」
私に縋るように見つめてくる黛センパイの目。この人がこんな目をしたのは初めてかもしれない。それほど状況は切羽詰まっているし、なにより柏ちゃんが心配なのだろう。
「樫添先輩、黛さんのことは俺が見ています。先輩は犯人を追ってください!」
菊江くんも真剣な表情でセンパイに同意する。
確かに、どちらにしろ救急車を呼んでもそれまでには時間がある。それなら、出来ることをするしかない。
「わかりました……菊江くん、黛センパイを頼んだよ」
「はい! あ、マンションのオートロックは俺が開けます!」
「ありがとう!」
私は菊江くんと共に全速力でマンションの玄関に向かう。そして彼にオートロックの自動ドアを開けてもらった後に彼と別れ、マンションの中に入った。
エントランスには一階の各部屋に通じる廊下への通路とエレベーターが一基、そしてマンションの端にある非常階段への入り口があった。
確か、先ほどまで私たちは非常階段の近くで話をしていた。そうなると、『レプリカ』も非常階段のどこかの階にいるはず。そう考えた私はドアを開け、非常階段を駆け上がった。
「はあ、はあ、はあ……」
慣れない運動をしているせいで、私の息が荒くなっていく。こんなことなら日頃から体を鍛えておくべきだった。そういえば黛センパイは柏ちゃんを守るためにジムに通い始めたとか言ってたっけ。私もお金貯まったらジムに行こうかな……
そう考えながら階段を駆け上り、おそらく五階くらいに到着すると、踊り場に白い紙が置かれているのを見つけた。
「はあ、はあ……これは?」
白い紙はその上に石で重しをされて、風で飛んでいかないようにされていた。これは明らかに『レプリカ』が残した物だ。そう思って紙を拾い上げると、そこにはこう書かれていた。
『死にたくなければ柏恵美を見捨てろ』
……これは、『レプリカ』は本当に私たちの命を狙いに来ているということだろうか。だけどそうだとすると、カラーボールを落としたのは少し不自然だ。確かにこの高さからあれが直撃したら怪我はするかもしれないが、致命傷を与えるためにしては少し心許ない。
考えてもヤツの目的はわからない。しかもこんなメッセージを残す余裕があったということは、おそらく『レプリカ』は既に逃げた後だろう。仕方がない、とりあえずメッセージを見つけたことをセンパイに伝えて彼女を病院に連れて行こう。
そう考えて、私は上ってきた非常階段を今度は急いで下りることにした。
「黛センパイ! ……あれ?」
階段を下ってマンションの玄関前に戻った私だったが、そこに黛センパイはいなかった。彼女に付いていたはずの菊江くんまでいなくなっている。
「もう救急車を呼んで、病院に連れて行ってもらったのかな?」
しかし私が非常階段を駆け上がっていたときも救急車のサイレンらしきものは聞こえなかった。それにそうだとすると、私に何の連絡もないのはおかしい。
私はしばらく辺りを探してみたが、黛センパイたちは見つからなかった。
「どういうこと……?」
マンションの玄関前に再び戻ってきた私は考える。どうして二人がいなくなったのかを。
黛センパイの隣には菊江くんがいた。もしセンパイがどこかに行こうとしたら菊江くんが止めるはず。なのに彼もいなくなっている。これはどういうことだろう。
……いや、待って。
そもそもどうして『レプリカ』はこのマンションに入れたの? このマンションの玄関はオートロックになっていて、住民以外は入れないはず。それなのに『レプリカ』はマンションの非常階段からカラーボールを落としてきた。そうなると考えられるのは、『レプリカ』はこのマンションの住人? いや、もしくは……
マンションの住人の中に、『レプリカ』の協力者がいる?
そこまで考えて、私はある可能性に気づく。
今、行方がわからなくなっているのは黛センパイだけじゃない、菊江くんもだ。もし二人が『レプリカ』に何かをされるとしても、怪我を負っているセンパイだけならともかく、男である菊江くんをどうにかするのは難しい。だけど、それなのに彼もいなくなっている。
だったらもし、菊江くんが『レプリカ』側の人間だったら?
そう考えるとあらゆる辻褄が合う。『レプリカ』がそもそもこのマンションで待ちかまえることが出来たことも、『レプリカ』が私の電話番号を知っていたことも、『レプリカ』が黛センパイを連れ去ることが出来たことも。
菊江教理が、『レプリカ』の協力者でないと説明が付かない。
「なんてこと……」
驚きの言葉が思わず漏れる。どうして? どうしてこんなことになったの?
決まってる。全て私のせいだ。
黛センパイは私を庇って怪我をした。私が菊江くんから情報を聞こうと相談した。私が黛センパイから離れてしまった。
私は、黛センパイの足を引っ張ることしか出来なかった。
どうしよう、どうしよう、どうしよう!
『レプリカ』の目的は黛センパイを自分と同じ境遇にすること。だとしたらヤツがセンパイに何か酷いことをするのは目に見えている。
でも、私一人でセンパイを助け出せる? 足を引っ張ることしか出来なかったこの私が?
こんなの、どう考えたって……
「おや、どうしたのだね樫添くん?」
その時、聞き慣れた声が私の名前を呼んだ。
「か、柏ちゃ……え?」
そこにいたのは萱愛と一緒にいたはずの柏ちゃんと……
「あれ、樫添さん? どうしてここに?」
私のバイト仲間、後小橋川さんだった。
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