「……すまなかった、黛。今回ばかりは俺に非がある」
『死体同盟』を巡る騒動が起こってから丸一日が経ち、夕方のファミレスで俺は黛と柏に頭を下げていた。
ちなみに樫添はこの場にいない。黛曰く、『柏ちゃんが無事だったんならそれでいいの』と言っていたらしい。
「確かにね。まさか柳端幸四郎ともあろう人がこうも簡単に『死体同盟』に惑わされるなんて、こっちも予想外だったわ」
「ちっ……」
黛はイヤミな笑顔を浮かべながらイヤミな言葉を放つが、俺には文句を言う権利など全くない。『死体同盟』に惑わされたことも、柏を連れ去ったことも事実なのだから。
「それで? アンタの隣にいるその子も、私とエミに謝りに来たってことでいいのかしら?」
黛は俺の隣に座る、一人の女に視線を向ける。黛の鋭い目つきに刺し抜かれたように萎縮するその女――綾小路佳代子もまた、俺と同じように頭を下げた。
「本当に、すみませんでした!」
その姿を見て思う。本当に、コイツは変わった。以前の綾小路なら、こんなに素直に他人に頭を下げることなどできなかっただろう。それも見せかけだけの謝罪ではない。綾小路には、行動で示す覚悟がある。
「アタシが柳端くんを『死体同盟』に誘ったんです。だから今回の騒ぎは全部アタシが悪いんです。柏さんを危ない目に遭わせた代償は、これから働いてお金でもなんでも払います。だから、これ以上柳端くんのことを責めないで下さい!」
必死に頭を下げて、自分への許しを乞うのではなく、俺に被害が及ばないように懇願する。やはり俺は、綾小路を生きる理由にして正解だったのだろう。
「……綾小路さんだっけ? なんか前に閂から聞いた話と、随分違う人みたいね」
「閂さん、ですか?」
「ま、いいわ。別に私はあなたのことも柳端のことも責めたいわけじゃないし」
「くふふ。ルリは必死に生きようとする人間には優しいのだよ。君たちも彼女に認められたということだ」
「エミは黙ってて!」
顔を赤くして柏を軽く叩く黛を見ると、どうやらコイツも俺たちにさほど怒っているようではなさそうだ。
「それでだ。今度は聞かせて欲しいことがある。お前が館の奥に行った後、何が起こった?」
俺はあの時、生花と決着をつけた後、綾小路と合流するために館を出た。だからあの後に館で何が起こり、『死体同盟』がどうなったのかは知らない。
「結論から言うと、私は『死体同盟』は敵じゃないと判断したわ」
「なに?」
「『死体同盟』の目的はエミに危害を加えることじゃなかった。それなら私があの集団に何か口出しする筋合いもない。それに、私の前に現れた次の敵に対する対抗策として、『死体同盟』とは手を組んでおきたいわ」
「次の敵だと?」
疑問を持った俺に対し、黛は空木の兄である空木晴天があの場に現れたことと、その目的が柏の思想の否定であることを語った。
「……なるほどな。柏の担当医か」
「ふむ、私も久しぶりに彼と顔を合わせたのだが……相変わらずつまらない男だったよ。正直、もう会いたくはないのだがね」
そう言った柏の顔は、やはり嫌悪感を抱いていた。空木晴天を『つまらない男』と言いながらも、柏はそいつを強く意識しているように思える。この柏恵美という女にここまで嫌われるという事実そのものが、空木晴天が普通の人間ではないことを物語っていた。
「だが黛。空木晴天は柏を殺そうとしているわけじゃない。その点で言えば、そいつとお前が敵対する理由はないんじゃないのか?」
「確かにそうね。エミを生かそうとしている点で、私と空木晴天の目的は一致している。だけどそれだけよ」
「それだけ?」
「空木晴天はエミを生かそうとしているだけ。エミに根拠のない希望だけを示して、何もなく、生きることを強要しているだけ。私はアイツの言葉を聞いて悟ったわ。もしアイツの思い通り、エミが根拠のない希望に縋るしかない人生を歩むことになったら……」
黛は右手を握り締めて、言葉を絞り出す。
「それは私にとって、エミの死より辛いことよ」
……おそらく黛は感覚で理解したのだろう。空木晴天という男は、柏恵美という女に生きていてほしい。だがそれは決して、柏を思ってのことじゃないのだと。
「私も、空木医師の思惑通りに事が進むのは歓迎しないのだよ。ルリは私に新たな絶望を与えてくれた。支配することで、私を絶望に浸らせてくれた。だが空木医師は違う。あの男の目的は、私から心地よい絶望を奪い去り、根拠のない希望をずっと追い求める人生を強制することだ」
「それで、『死体同盟』と協力するというわけか。そういえば、空木曇天や他のメンバーはどうなった?」
「湯川とかいう女は、『これ以上付き合いきれない』とか言って家に帰ったわ。空木曇天と槌屋麗はとりあえず場所を移して二人で暮らすそうよ。実質、『死体同盟』はほぼ壊滅ね」
「そうか……」
「そういえば、アンタの方はどうだったの? 沢渡は逃がしたんでしょ?」
確かに俺は、生花を逃がした。館を出て行ったアイツがどこに行ったのかは知らない。
だけど俺は思い出す。あの戦いの最中、眼鏡をかけたことでアイツは確かに苦しんだ。目の前がはっきり見えたのに、アイツはそれを拒絶した。
おそらくはそこに、アイツが『絶頂期』を求める生き方を選んだ理由があるのかもしれない。
「生花はたぶん、もう『死体同盟』とは関わらないだろうな。アイツの考えは、俺には読めないが、そんな気がする」
「……そう。ま、私はアイツと気が合いそうにないからいいわ。それで、エミ」
「なんだね?」
「空木晴天について色々聞いておきたいんだけど、知っている範囲で話してくれる?」
「ふむ。しかしそれは私より、斧寺くんに聞いた方がいいだろう。彼の方が空木医師と話している」
「斧寺さん? でも、あの人は……」
「拘置所から手紙を出すくらいはできるかもしれない。一回聞いてみよう」
「うん、わかった」
柏たちが話を進めるのを見て、俺は立ち上がる。
「じゃあ、俺たちはもう帰るぞ。重ねて言うが、今回はすまなかった」
「ま、いいんじゃないの。今回のことがアンタにとって無駄ってわけじゃなさそうだし」
「なに?」
「だって、綾小路さんみたいな彼女できたわけだし」
「……あ?」
「え?」
俺と綾小路は顔を見合わせる。
え? 綾小路が俺の彼女? どうしてそうなってる?
「ん? あれ、だって綾小路さん、柳端のために必死に頭下げてたわけだし、てっきり付き合ってるのかと……」
「い、いやいや! アタシなんかが柳端くんの彼女だなんて、そんな!」
綾小路は顔を真っ赤にして否定するが、なぜかその顔は緩んでいた。
「おや、柳端くん。彼女はこう言っているが、君はどうなのかね?」
柏がニヤニヤと俺を見てくるのがどうにもムカついた。
「なんでお前にそんなことを探られなきゃならない。とりあえず俺たちはもう帰るぞ」
「なるほど、ではお幸せに」
「余計なことを言うな! 行くぞ、綾小路」
「あ、うん!」
俺は体中が熱くなっていくのを感じながら、ファミレスを出る。その後ろを綾小路がついてきていた。
「……すまなかったな。アイツらが変なことを言って」
「い、いや、柳端くんこそ、アタシなんかが彼女なんて思われたら、迷惑だよね…‥?」
「なんでそうなる」
「だって……アタシみたいな女が、柳端くんの……」
ボソボソと口ごもる綾小路を見て、俺は思う。
『死体同盟』に入ったのは、コイツの誘いがあったからだ。だが同時に、コイツがいなければ俺は香車の許しを得るために、命を絶っていただろう。
綾小路のおかげで、俺は香車に許されずに生きていく道を選べた。コイツのおかげで、俺はまだ生きていられる。
「なあ、綾小路」
「え?」
「俺はお前に生きていてほしいと言った。そしてお前は俺に生きていてほしいと言った。だから言わなきゃいけないことがある」
「な、なにを?」
俺は綾小路に向き合い、自然と顔をほころばせた。
「……ありがとう」
その言葉は、今の俺が心から伝えるべき、感謝の気持ちだった。
俺の言葉を聞いた綾小路は、目を見開いて目尻から涙をあふれさせる。
「あ、ああ……」
「おい、どうした?」
「よかった……こんなアタシでも……誰かの生きる理由になれた……」
「ああ、そうだ。お前がいなければ、俺は死んでいた。だから、ありがとう」
「……アタシも、ありがとう。柳端くん、ありがとう……」
俺は泣きじゃくる綾小路を胸で受け止め、しばらくそこで立ち止まった。
『死体同盟』。確かにあの集団は『生きづらさ』を抱える人間たちの居場所として必要なのかもしれない。だが俺たちにはもう必要ない。
俺たちの中にあった『生きづらさ』は、もう心の中から消えていたのだから。
死体同盟編 完
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