柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第二十四話 本心では

公開日時: 2021年9月21日(火) 22:10
文字数:4,154


 わかっていたはずだった。

 柳端くんと沢渡さんは付き合っていたのだし、アタシだって今まで交際した男と寝たことはある。だから別に、沢渡さんが柳端くんの前で下着姿になってたとしても、別におかしなことじゃない。

 

 だとしても、その光景はアタシの心から希望を奪い去っていった。


「佳代嬢、ドアを閉めてくれないかい? 別に他のメンバーにも下着姿くらい見せてやってもいいけど、リーダーには『はしたない』って怒られそうだからねえ」

「あ、う、うん」


 沢渡さんに言われるがままに扉を閉める。だけどアタシは部屋から出るのではなく、逆に部屋の中に入ってしまった。なぜそうしたのかは自分でもわからないけど、アタシの中に残っている僅かな意地がそうさせたのかもしれない。

 部屋に入ってきたアタシを見ても、沢渡さんは柳端くんの上から降りようとはしなかった。そのままの体勢で、アタシに笑いかける。


「ヒャハッ、佳代嬢も幸四郎を求めてるのかい。なら仲良く3人で始めようか?」

「……沢渡さんは、柳端くんとヨリを戻したいの?」

「そう言われると、アタシもちょっと回答に困るねえ。幸四郎のことは気に入ってはいるけど、今のアタシを楽しませてくれるのは、恵美嬢の方かもしれないねえ」

「なら、柳端くんの上からどいて」


 アタシの口から出た言葉は、無意識に強い口調のものになっていた。


「ヒャハハ、『どけ』と来たかい。なら佳代嬢が幸四郎を襲っちゃうかい? 別にアタシはそれでも構わないよ。今なら幸四郎も抵抗できないだろうからねえ」

「え?」


 沢渡さんの言葉を受けて、そういえば柳端くんがさっきから全く動いていないことにようやく気づく。彼の顔を覗き込むと、目を閉じて穏やかに寝息をたてていた。


「……沢渡さん、寝ている柳端くんを襲おうとしたの?」

「まあねえ。こう見えて幸四郎はガードが堅いからねえ。こうでもしないと抵抗されちまうのさ。あ、起きたみたいだよ」

「う……ん?」


 微かな声を出して、柳端くんが薄目を開ける。その直後に状況を理解したのか、少し身体を起こして、沢渡さんを怒鳴りつけた。


「なにを、やっている! 生花!」

「おやおや、お目覚めかい王子様。アンタが寝ているうちに、楽しませてもらおうと思ってねえ」

「ふざけるな、さっさとどけ!」


 沢渡さんを強引に突き飛ばして起き上がった柳端くんは、ベッドの傍に立つアタシを見る。


「綾小路……」

「ヒャハハ、乱暴だね幸四郎。ま、アタシが邪魔なら後は2人でよろしくやりなよ」


 手早く服を着て部屋を出て行く沢渡さんを見届けると、今度はアタシに問いかけてくる。


「お前、生花と一緒に俺を襲おうとしたのか?」

「え? いや、そんなつもりじゃ」

「……そうか。まあいい、とにかく今の俺は少し気が立っている。済まないが、外してくれないか?」

「でも、柳端くん。アタシは」

「綾小路!」


 突然の大声に、アタシも身を竦ませてしまう。今の柳端くんは、アタシの話を聞ける状態じゃないようだ。


「わかった。アタシが無神経だったよね」


 素直に頭を下げて、部屋を出る。扉を閉める直前に見た柳端くんは、アタシに何かを言いたそうだったけど、構わず扉を閉めてその場を離れた。



 数十分後。

 結局、アタシは柳端くんの真意を聞けないままだった。両親には『友達の家に泊まっていく』とは連絡したけど、もしかしたら心配をかけているかもしれない。

 さっきまでは『死体同盟』に入ったことで、アタシの望みが叶ったように思えていた。柳端くんとも再会できて、最期の時間を共にできると思っていた。

 だけど今、状況は変わった。結局、アタシは柳端くんに突き放され、自分のことを許してくれた両親にもウソをついている。言ってしまえば、最悪の状況だ。

 そもそも、好きな人と最期の時間を共にするなんて、アタシには贅沢な願いだったのかもしれない。今までアタシが踏みつけてきた人たちのように、踏みつけられているのがお似合いなのかもしれない。

 今のアタシには、もう希望がない。それならいっそ……


「綾小路さん。空木です、よろしいでしょうか?」


 部屋の扉がノックされて、空木さんの声が響いてくる。


「はい、なんでしょうか?」

「一度、広間に来て下さいますか? 今後の動きについてご説明します」

「……わかりました」


 今後の動き。『死体同盟』は柏さんを招くことで次のステップに進むと空木さんは言っていた。おそらくはそれに関係することなんだろう。

 窓の外を見ると、もう日が沈み始めている。その光景が、アタシにはなぜか心地よく見えた。



 大広間には、メンバー全員と柏さんが集まっていた。湯川さんはまだ顔色が悪そうだけど、一応は回復しているみたいだ。それでも柏さんの近くに座ることはせず、一番遠い椅子に座っていた。

 柳端くんはアタシを見て、何か言葉を飲み込んだように見えたけど、それがアタシの心をより曇らせた。やっぱりアタシには、彼に優しい言葉をかけてもらえる資格はないのかもしれない。


「リーダー。全員集まったけど、これから何を始めようって言うんだい?」


 沢渡さんが口を開いたことで、全員が空木さんを見る。当の空木さんは全員を見回した後、柏さんに視線を向けた。


「まず、我々は柏恵美様をこの場にお招きしました。その目的は、我々を柏様の境地に導いていただくことにあります」

「ふむ、導いてくれ、か。だが私はあくまで『獲物』であり、狩られる側の存在だ。人を導くような高位の存在ではないのだよ」

「いえいえ。一般社会ではそうかもしれませんが、私どものような『死』について考える人間たちにとっては、柏様は目指すべき存在なのです。なぜなら……」

「なぜなら?」


「あなたの願いは、我々をも救うのですから」


 空木さんは陶酔した顔でそう言うけど、アタシにはまだピンと来ない。

 柏さんは確かに異常者だ。それは今日一日で十分に実感した。だけど昼間の会話で、柏さんの願望と『死体同盟』の理念は別物だと彼女は言った。そこまで言い放つ人の願望が、どうしてアタシたちを救うことになるんだろうか。


「柏様。私を含め、『死体同盟』のメンバーは『生きづらさ』を抱えております。ですがそれではまだ足りません。あなたのようなお方が、我々には必要なのです」

「もっと直截的に言ってくれたまえ。君は私に何を求めているのかね?」

「では、言いましょう。私はあなたのように、自分の『死』を前向きなものとしたいのです」

「ふむ……?」


 空木さんの言葉を受けて、柏さんは少し興味を持ったように見えた。


「私は確かに『生きづらさ』を抱えております。つまり私にとって、『死』は『生きづらさ』の影響を受けた二次的なものです。それでは純粋に『死』を望んでいるとは言えない。私はそう思っております」

「ああ、君も自覚があったのかね? 正直、私もここに招かれてから感づいていたのだよ」


 そして柏さんは、私たち全員を見回して、言い放つ。


「君たちの真の望みは、『できれば生きていたい』ということだとね」


 その言葉が、アタシの心に冷たく刺さった。


「『死体同盟』などと名乗っているから、私と同じく『獲物』の集まりなのかと思ったのだが、本質はまるで違う。君たちは生きているのが苦しいだけであり、『獲物』としての悦びなどまるで理解していない。それどころか、本心では自分たちの『生きづらさ』を解決して、普通に生きていたいと思っている。違うかね?」


 ……その通りだ。

 アタシは許されたいと思っていた。死ぬことで今までアタシが踏みつけていた人たちに許されようと思っていた。生きている限り、アタシは許されないと思ったから、『死体』になることを望んでいた。

 だけどそれは裏を返せば、生きていても許されるなら生きていたいということだ。『死体』になりたいのではなく、『死体』になるしか方法がないから仕方なくそれを望んでいただけだ。もし、『死体』にならずにいられるなら、アタシは……


 柳端くんと、生きていたい。


 だけどそんな道はもうない。アタシは既に何人もの人間を踏みつけて、罪を犯している。そんなアタシをやすやす許してくれる人なんていない。


「そうなのですよ、柏様」


 一方の空木さんは、柏さんの指摘をまるで予測していたかのように、朗らかな笑顔で返した。


「我々はまだどこかで『死』を恐れています。『死』を言い訳に使っています。あなた様が不快に感じるのも無理はないでしょう」

「そこで私の力を借りたいというわけか。君たちも、私のように『獲物』の悦びを味わいたいと」

「そこなのですよ、柏様。あなたは『獲物』として、『死』を目指すものとして扱っている。できれば私もその境地に至りたい。ですがまだ、確信が持てません」

「確信?」

「あなたが本当に、私が目指すべき人間なのか……ですよ」


 その言葉の直後。


「!!」


 空木さんが突如として、自分の胸ポケットに差していたペンを、柏さんの右目に目がけて突き刺した。


「……え?」


 突然のことに、私や柳端くん、それに他のメンバーも言葉を失っている。その場の誰もが動きを止め、凍ったような空気が辺りを漂う。

 しかし当の柏さんは、空木さんが突き出してきたペンを避けるでもなく、払いのけるでもなく、微動だにしなかった。


「ふむ。てっきり目を潰してくるものだと思っていたが。私が避けようとしたら、その場でお払い箱だった……ということかね?」

「そういうことです。そしてあなた様は、私の期待に見事応えてくださいました」


 空木さんは謝罪するわけでもなく、静かにペンをポケットにしまった。

 今の行動。まるで本気で柏さんを殺そうとしたかのような凶行。つまり、こういうことだ。


 空木さんは、柏さんが本当に『獲物』なのかを試したんだ。


 そのためだけに、あんな危険な行いをした。下手をすれば、本当に柏さんの右目を潰していたかもしれない。そうでなくても、なんらかのケガを負わせる可能性はあった。

 ……空木さんが、どうしてそこまで柏さんにこだわるのかはわからない。だけど、これだけは言える。


 空木曇天という人間は、柏さんにも劣らない異常者だ。


 そしてその異常者が目指す、柏恵美という人間の在り方。もしそこにたどり着けるのであれば、確かに『生きづらさ』なんてものに縛られることはないのかもしれない。

 だけどアタシは、どうあってもそこにたどり着けるようには思えなかった。

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