柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第十話 ライバル(6月9日 午後5時15分)

公開日時: 2023年11月24日(金) 20:04
文字数:2,987


 【6月9日 午後5時15分】


 今日も学校の授業が始まる。ただしアタシが通っているのは夜間定時制のコースなので、授業が始まるのは日が沈みかけてからだ。

 昼間にバイトをみっちり入れている身としては、こうして学校にも通えるのはありがたい。ただ今日は心配事があった。


「……柳端くん、返信してこないな」


 一昨日、アタシはバイト先の先輩だった弓長竜樹に再会して、過去の罪を突き付けられた。バイトしてた頃は年上というだけでアタシに高圧的だったから嫌な男だとは思っていたけども、今となっては返す言葉もない。

 アタシがお金を盗んでいたのは事実で、竜樹はそれを指摘したに過ぎない。アタシがどんなに反省したとしても、あの男がアタシを許すかどうかはまた別の話だ。

 柳端くんはアタシを庇ってくれたけど、あの後どうなったんだろう。せっかくの予定がおじゃんになったことも謝りたいけど、一向に返信が来ない。竜樹と揉めてた紅林とかいう女の子のことを送っていったんだろうか。


「ヒャハッ、無事に来てたのかい。佳代嬢」


 その時、アタシの横から下卑た笑い声が聞こえてきた。正直言えば、今はあんまり話したくない相手だ。


「……そっちこそ無事だったんだね。沢渡さん」

「ヒャハハ、あんなひょろい男相手のケンカなんざ、『絶頂期』とは程遠いさ」


 言葉通り、沢渡さんの顔にはアザひとつなかった。


「それより佳代嬢、幸四郎とはあの後どうなったんだい? ヒャハハ、たっぷり慰めてもらったのかい?」

「別にアンタが期待するようなことはなかったよ。気まずい空気になったからすぐ解散した」

「へえ。あの紅林とかいう女はどうしたんだい?」

「さあね。柳端くんに家まで送ってもらったんじゃないの?」

「……ん? 佳代嬢は幸四郎がアイツと一緒にいてもいいのかい?」

「は? だってあの子、M高校の子で柳端くんとも知り合いなんでしょ?」


 昨日は自分のことで精一杯だったから柳端くんとあの子がどんな関係なのかは聞けなかったけど、見た限りでは先輩後輩なんだろうとは思ったし、竜樹と揉めていたのは確かだ。


「そうかい、こりゃ楽しくなってきたねえ」

「なんのこと? ていうかさ、アンタが竜樹のケンカに割り込んだからこっちの空気も台無しになったんだから、まずはそのこと謝ってよ」

「ならお詫びをしてやるさ。耳寄りな情報を教えてあげるよ」

「なに?」


「タツキは紅林に散々弄ばれた挙句に別れを告げられたって話さね」


「……は?」


 なに、それ? アタシたちが見た限りじゃ、竜樹の方が紅林を束縛しているように見えた。だけど実際は、紅林が竜樹を弄んでいたって言うの?


「アタシも他所の付き合いに口出しできる立場じゃないけどねえ、ありゃすごいわ。あんなちっこい女がなかなかエグイことするもんだねえ」

「ちょ、ちょっと待ってよ。そもそもなんで沢渡さんがそんなこと知ってるの?」

「タツキをシメたらアイツが勝手に吐いただけさね。アイツは紅林のことを『紅蘭』とかいうアダ名で呼んでたみたいだけどね」

「……」


 沢渡さんが嘘をついている可能性はあるし、この女は自分が楽しむためにしか動かない。アタシに真実を話すメリットは向こうにはない。

 一方で、アタシが先に帰ったことで柳端くんと紅林が二人きりになったのは事実だ。そしてその後、柳端くんと連絡が取れなくなっている。この二つの事実と、紅林が他人を弄ぶ女であるという可能性は容易に結びついてしまう。


「さて佳代嬢。どうやら紅林の次の狙いは幸四郎らしいねえ」

「狙いって……柳端くんと付き合いたいってこと?」

「そんなマジメなもんじゃないさ。あの女にとっちゃ、他人は全部利用するための存在さね。さて、もう一度聞くよ佳代嬢。幸四郎はどうなったんだい?」


 沢渡さんは珍しく真顔でこちらに問いかけてくる。それを見て、アタシも事態の重大さを悟った。


「……アンタがそこまで必死になるってことは、柳端くんは本当に危ないんだね」

「あ?」

「自分の楽しみのためにしか動かないはずのアンタが、必死になって柳端くんの行方を聞いてくるんだからね。だけどひとつ言っておくよ」


 立ち上がって沢渡さんと視線を合わせる。これだけは言っておかないといけない。


「柳端くんをモノにしたいなら、今の真面目な顔で彼に向き合いなよ」


 ……自分でも偉そうなことを言ったと思う。だけどこれだけは譲れない。

 以前の沢渡さんは『絶頂期』だけを求めていたはずだ。なのに今は柳端くんと同じバイト先で働いたり、アタシに柳端くんとの予定を聞き出したりと、意識的に柳端くんに付きまとっている。


 今の沢渡生花には柳端くんの存在が『絶頂期』と同じくらい大きなものになりつつあるんだ。


 だから柳端くんが姿を消したら心配もするし、いつものヘラヘラした顔も自然と消える。なのに本人はそれを認めたくないんだか知らないけど、柳端くんの前では以前の享楽的な態度を崩せない。それが気に食わなかった。


「……言ってくれるじゃないかい、佳代嬢」

「別にー? で、話を戻すけど、アタシも柳端くんと連絡とれない状況だし、アンタは他にアテあるの?」

「ヒャハハ、要は紅林を見つけ出して幸四郎の居場所吐かせりゃいいわけさね。だったら手っ取り早く行こうじゃないか」


 そう言って沢渡さんはスマートフォンでどこかに電話をかけ始めた。


「もしもし、沢渡だよ。ああ。すぐM高校に来ておくれよ。……え? アンタに拒否権があると思ってるのかい? そうだよ、今すぐだ。頼んだよ」


 電話を終えると、アタシに向き直ってにんまりと笑う。


「さあて、じゃあアタシたちもすぐ出発しようじゃないか」

「え? いやこれから授業……」

「ヒャハハ、幸四郎が紅林に取られてもいいってんなら、授業を受けてりゃいいさ」

「……わかった。アタシも行く」




 【6月9日 午後5時35分】



 沢渡さんと一緒に授業を受けることなく校舎から抜け出した後、アタシたちは校門で立ち止まっていた。


「お、来たね」


 そう言って沢渡さんが目を向けた先にいたのは、ジャケットを着た男……


「……っ!」


 向こうもアタシの顔を見て固まっている。そりゃそうだ。ついこの間揉めた人間といきなり顔を合わせて動揺しないわけがない。

 弓長竜樹は、アタシたち二人を見てあからさまな不機嫌さを隠そうともしなかった。


「どういうことだよ? ここにいるのは君一人じゃなかったのか、沢渡さん?」

「ヒャハハ、アタシがそう言ったかい? ま、見てわかるように佳代嬢も一緒だ。三人で紅林をシメて幸四郎の居場所を聞き出そうじゃないか」

「……ちっ」


 竜樹は舌打ちしながらも特に文句は言ってこない。アタシからしたらこの人と一緒なのは気まずいけど、今はそんなことも言ってられないだろう。


「でも沢渡さん、なんで竜樹を呼んだの?」

「コイツが一番、紅林について詳しいからさ。ああそうだタツキ、佳代嬢にも聞かせてやんなよ。アンタが紅林に何されたかって」

「なんでそんなことを……!」


 反抗しようとした竜樹に対し、沢渡さんの蹴りが飛んだ。


「ぐっ!」

「面倒だからいちいち口答えするんじゃないよ。さっさと言ってやんな」

「……わかったよ。だが綾小路さん、君が僕に何か文句言える立場じゃないのはわかるよな? 君だって店の金に手を付けるような人なんだから、僕が何やったって文句言うなよ」


 沢渡さんじゃないけど、いちいち前置きする態度に腹立った。



「……紅林鈴蘭。いや紅蘭は、男を惑わすクソ女だ」


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