【7月5日 午後2時45分】
今日も学校の授業が終わり、時刻は午後3時になろうとしていた。
弓長くんの本当の願いを聞いてから一日が経つが、やはり彼は学校を休んでいた。昨日の様子を考えればまだ休んでいた方がいいだろうし、彼の兄である竜樹さんは弓長くんの味方のように見えた。そうなると、とりあえずは竜樹さんを信じて回復を待つしかない。
一方で俺にはもう一つの心配事があった。柳端のことだ。
『柳端幸四郎は、もう戻れないかもしれない』
竜樹さんの言葉の意味はわからない。学校に戻れないという意味であれば、行方不明になっている可能性もある。
「……今日も欠席だったな」
廊下側の前から二番目の席に目をやる。本来そこに座っているはずの男は、二日連続で学校に来ていなかった。
柳端に電話をかけても、留守電になったままだ。一応、『気づいたら折り返してくれ』というメッセージを今朝入れたが、まだ連絡は来ない。柳端の身に何か起こっている可能性はかなり高い。
そう思っていると、携帯電話が震えだした。画面に表示された発信者は……
「……誰だこれ?」
画面に表示されたのは登録されていない番号だった。出るかどうか迷ったけども、柳端が行方をくらましたことと無関係ではないかもしれない。その考えが、俺に応答ボタンを押させた。
「もしもし」
『……ヒャハ、ヒャハハ、えーと、アンタが幸四郎のお友達の……カ、カヤアイ? そんな名前のヤツかい?』
「は、はい。萱愛小霧です」
『ああ、これ『カヤマナ』って読むのかい。なんか言いづらいね。んじゃ、コキリちゃんって呼ぶよ』
電話の相手は俺と初めて話しているにも関わらず、やたら馴れ馴れしい口調だった。声を聞く限り若い女性のようだけど、俺個人としては苦手なタイプだ。
だとしても相手が『幸四郎』という名前を出した以上、柳端の関係者なのは間違いない。そして今回の件に関わっている可能性も高い。
通話内容の録音を設定し、こっちも質問を投げかけてみる。
「失礼ですが、あなたはどちら様でしょうか? 柳端の関係者ですか?」
『なんだ、幸四郎からアタシのこと聞いていないのかい? ま、中学の頃に幸四郎と付き合ってた、沢渡生花って女だよ』
「……沢渡?」
そういえば、中学の頃にそんな名前の先輩の話を聞いたことがあった。先生と関係を持って学校中の噂になってて……そうだ、当時の俺はその噂を聞いて『沢渡さんは先生に脅されたんじゃないか』って職員室に訴えに行ったんだ。今思えば、軽率な行動だった。
でも、そんな人が柳端と付き合ってた? あの柳端と? 正直言って、全然イメージが湧かない。だとしても今は少しでも情報が欲しい。相手がどうして俺に電話をかけているのかも気になる。
「あなたが柳端の元恋人なら、アイツがどこにいるのかわかりませんか?」
『ヒャハ、ヒャハ、せっかちだねえ。ま、楽しいことはすぐに味わいたいって気持ちはアタシも同じさね。だけどねえ、幸四郎がどこにいるのかはアタシも知らないのさ』
「え?」
『その代わりに、幸四郎からアンタに伝言だ。『今は学校に来れないが、必ず戻る。だからお前は閂との関係だけを考えろ』だとさ』
「……それを信用しろと?」
『無理があるかい? アタシとしちゃ、アンタが殴り込みに来た方が楽しいけどねえ』
無理があるのは確かだ。ただそれ以上に、沢渡さんの言葉が嘘であってほしいという思いが強かった。
仮にこの人が本当に柳端に伝言を託されたのだとしたら、アイツの現状はかなり危ないと判断せざるを得ない。柳端の性格なら、やむを得ない事情で学校に来れないとしても、誰かに伝言を頼むのではなく直接俺に電話をかけてくるはずだ。
つまり沢渡さんの言葉が真実であれば、柳端はそれすらできない危機的な状況にあることが確定してしまう。
「なら質問します。あなたは柳端から、いつどうやってその伝言を託されたんですか? 仮に電話で伝言を頼まれたのなら、今日の俺からの電話にアイツが出ないのはおかしいはずです」
『そう来るかい、ならアタシはこう答えるよ。幸四郎が言うには、『伝言以外の情報を伝えるな』だとさ』
「……」
どうする? 今までの会話だけでは、沢渡さんの言葉を信じようがない。ただ一方で、柳端なら俺にその内容の伝言を残しても不思議じゃない。いずれにしても、この人が柳端の性格をよく知っているのは確かだ。
『さて、コキリちゃん。ここで提案さね。アタシも幸四郎に用があってねえ、勝手に姿を消されて困ってるのさ』
「何が言いたいんですか?」
『アタシと一緒に、幸四郎探してくれないかい?』
「お断りします」
いくら柳端の手掛かりを持っていたとしても、得体の知れない女性の誘いに乗るわけにはいかない。どちらにしろ、このことは香奈芽さんに伝えて二人で対処する以外に、俺が取るべき選択肢はない。
『ヒャハハ、お堅いねえ。ならアタシはタツキと一緒に探すさ』
「……今、なんて!?」
『んー? なんだい、気になるのかい? 実は最近、弓長竜樹って男と仲良くなってねえ。ま、アンタにゃ関係のない話さ。じゃあねえー』
それだけ言われて、電話は切られてしまった。
どういうことだ? 沢渡さんと竜樹さん、それに柳端は知り合いなのか?
ダメだ、これ以上ここで考えていてもラチがあかない。まずは香奈芽さんに……
その直後、スマートフォンにまたも着信が入り、今度は画面に『非通知設定』と表示されていた。
「もしもし?」
『……もしもし。萱愛さんで間違いないですか?』
今度の相手も若い女性の声だった。しかし先ほどの沢渡さんとは違い、どこか可愛らしいというかこちらに媚びるような甘い声だ。
「どちら様ですか?」
『唐沢先生から聞いたよ。波瑠樹さんに乱暴したんだってね。でも、その割には真面目そうな人なんだね』
「……!」
唐沢先生、それに弓長くんの名前を出した。つまりこの女性は『スタジオ唐沢』の関係者で間違いない。つまりは俺の……
『ねえ、今からでも唐沢先生に謝ってさ、わたしたちの味方になってくれないかな? そうしてくれたら……』
「お断りします」
『なんだ、つまんない。幸四郎お兄ちゃんのお友達なのに、女の子にやさしくしてくれないの?』
「……幸四郎お兄ちゃん?」
この人も柳端の知り合いか? だけどアイツに年下の知り合いがいるなんて話は聞いたことない。
「もう一度聞きます、あなたは誰なんですか? 何の用件で俺に電話をかけているんですか?」
『一気に聞いてこないでよ。ひとつずつ答えてあげる』
そして相手は、自分の正体を告げる。
『わたしの名前は“紅蘭”。幸四郎お兄ちゃんの妹だよ』
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