柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第二十話 ハンドサイン

公開日時: 2024年8月11日(日) 13:27
文字数:4,358


 【21年前 5月30日 午後3時21分】


「それで、話ってなんですか?」


 先ほどの部屋とは違う会議室らしき部屋に通された俺は、斧寺おのでらと二人で向かい合うように座っていた。

 すると斧寺はさっきと同じように大きな声で話しかけてくる。


「自己紹介が遅れていたね。私の名前は斧寺霧人きりひと。G県警察本部で捜査第一課の課長を務めている者だ」

「そ、捜査第一課?」


 ということは刑事ってことか? コマーシャル制作に関わってるわけじゃないだろうし、俺になんの用だ?


「……さっき、私が右手で自分の肩を数回叩く動作は見ていたかね?」

「え?」


 そういえば、かしわと話している時にそんな動作をしていたような。


「あれは私独自のハンドサインみたいなものでね、口下手な私が他の警官に自分の意図を伝えるために作ったものだ」

「は、はあ。意図ですか?」

「右手で肩を叩くのは、『この男は事件の参考人として浮上している』というのを他の警官に伝えるサインだよ」

「……!?」


 じゃあまさか俺は何かの事件の容疑者として疑われてるってことか!? だから柏は俺とコイツが話すのを許可したのか?

 だが動揺している俺に対し、斧寺は友好的に話しかけた。


「安心したまえ。事件の参考人というのは柏部長を納得させるための方便だ。本当はただ君と話したかっただけなのだよ」

「俺と? というかアンタ、なんかさっきと口調が随分違わないか?」


 いつの間にかタメ口になってしまっていたが、斧寺は気にせず話を続けた。


「ああ済まない。私は極度の口下手でね、目上や外部の人間と話そうとすると、言葉が上手く出てこないのだよ。それを直そうと演劇教室に通い始めたら、このような芝居がかった口調になってしまった」

「演劇教室だと?」


 そういえばコイツ、俺の後輩と知り合いらしいが……そういうことか。


「……アンタの知り合いってのは唐沢からさわか」

「察しが良くて何よりだよ」


 唐沢は演劇教室で講師のバイトをしている。そこに生徒として来た斧寺と知り合って、俺のことを話したんだろう。


「あの野郎、俺が警官嫌いだと知ってて個人情報を漏らしやがったのか? 舐めた真似を……」

「誤解しないでもらいたいが、君がここに来ると知ったのはたまたまだよ。それに唐沢くんには私は公務員だと伝えている。プライベートでは警察官だというのは伏せたいのだよ」

「そんなことはどうでもいい。わざわざここまでして俺に何の用だ?」


「単純な話だよ、私は唐沢くんを救いたい。そのためには君の協力が必要なのだよ」


「はあ?」


 唐沢のことを救いたい? コイツが?


「唐沢くんには非常に感謝していてね。口下手すぎて碌に人と意思疎通できない私を、このようにまともに喋れるようにしてくれた。だから私としても彼に恩返しをしたいのだよ」

「今のアンタがまともに喋れているかはともかくだ。唐沢を助けるってのは役者として売れる手助けをしたいってことか? そんなのはアイツ自身の努力で達成しないと意味ないだろうが」

「勘違いしているようだが、私が望んでいるのは彼が中途半端な『希望』に縋るのをやめることだよ。彼が役者として売れるかどうかにはそこまで興味はない」

「中途半端な希望ってのは何のことだよ?」


 俺の質問に対し、斧寺はどこか底知れない微笑みを浮かべた。


「唐沢くんは、君の妹と交際しているそうだね」

「なんでそれを……いや、いい。警官というかアンタならそれくらい調べられるんだろうさ。つまりアンタの言う中途半端な希望ってのは清美きよみのことを言ってるわけだ」

「話が早くてなによりだよ」


 確かにその考えは理解できる。唐沢は清美に惚れてはいるが、それは清美が唐沢を否定しないからだ。唐沢に役者としての才能がなく、技術も低いという事実を指摘することなく、ただ応援してくれるからだ。

 一方で清美も唐沢の役者としての成功を信じているわけではない。清美はただ唐沢を『自分を好きになってくれる男』として依存しているだけだ。仮に唐沢に対して『才能ないから役者をやめろ』と言ったら関係が壊れるのではないかと恐れているだけだ。別に優しいわけじゃない。


 つまり清美の存在こそが斧寺の言う『中途半端な希望』であり、唐沢が役者の道を諦められない原因ということだ。


「私はドラマには詳しくないのだがね。役を演じている時の君は非常に興味深い。私の思う『絶望』を与える者のイメージに近いのだよ」

「そりゃどうも。それでアンタの目的は唐沢と清美を別れさせたいってことなんだろうが、それに俺が協力するメリットがないな」

「メリットは用意できるよ。君の嫌いな権力者を痛い目に遭わせるというメリットがね」

「……なんだと?」


 斧寺はタバコを取り出して火を点けると、煙を吐き出した後に一枚の写真を差し出す。そこにはさっき会った柏恵介が不自然な笑顔で写っていた。どうやらお見合い用の写真のようだ。


「柏部長は独身でね。あの年齢で『婚活』をしているのだよ」

「あ?」

「どうやら彼は独身であることが自分が侮られる要因と考えているようだ。だから今さらながらパートナーを求めている。まあ言うなれば……『結婚さえすれば自分はもっと周りから一目置かれる』という『希望』をもっているようだ。私はその『希望』を取り去り、彼に『絶望』を示したい」

「……なるほどな」


 気づけば俺は笑っていた。斧寺が警官でありながら、俺が気に入るタイプの人間だったからだろう。


「清美が唐沢と別れた後、柏に押し付けてやろうってわけか」


 俺は権力で相手をねじ伏せようとするヤツは嫌いだが、自分の策で権力者を陥れようとするヤツは好きだ。


「確かにあのオッサンが清美なんかとくっついたら、どっちも『絶望』するだろうな。清美はウジウジしてばっかで近くにいたらイライラするし、柏はさっき会っただけでもまともな旦那にならねえって予想できる。笑えるな」

「誤解しないでもらいたいが、私は柏部長のことを嫌ってはいないよ。彼に『絶望』を与えたいだけだ」

「オーケーオーケー、そういうことにしといてやるよ」


 どちらにしろ面白いことになってきた。斧寺の本心がなんであろうと、清美と唐沢を『絶望』させられるなら悪い話じゃない。


「話は変わるが、君には子供はいるのかね?」

「2歳の娘が一人いるが、それがどうした?」


「その娘さんには、『希望』をこめているのかね?」


 なんだこの質問? 『希望』?


「『希望』も何も、子育ては妻に任せてる。俺は俳優として名を馳せるという目的にしか興味ねえ。この先、娘が役者になりたいって言ったとしても、それを応援する気もねえよ」


 これは本心だ。しかし大概の場合、相手は『そんなこと言って本当はお子さんが可愛いんでしょ?』か、『ただ単に子育てが面倒なだけだろ』みたいな返答をして、俺の心を勝手に決めてくる。だから俺の言葉を信じない。


「……なるほどね、いいじゃないか」


 だが斧寺は今までのヤツらとは違い、俺の言葉をそのまま受け取った。


「結構なことだよ。私にも娘がいるのだがね、私のことが嫌いで仕方ないそうで高校卒業と共に家を出て行ったのだよ。なんでも私の持論が気に入らなかったそうだ」

「持論?」


「『絶望』こそが人間を救うという持論だ」


「……は?」


 『絶望』が人を救う? なに言ってるんだコイツ?


「君の子供がどういった人間に育つかはわからないが、願わくば『絶望』を喜び、多くの幸福を得る人間であるといいね」


 そう言って、斧寺は携帯灰皿でタバコの火を消し、俺にメモを渡してきた。


「これが私の連絡先だ。ああ、君の連絡先も聞いておこうか。途中経過も聞いておきたいからね」

「わかった。ほら、これだ」


 手帳のページに電話番号を書いて破って渡すと、斧寺はそれを眺めて自分の携帯電話に打ち込んでいた。


「ありがとう。では、君が与える『絶望』には期待しているよ」


 その言葉になにか不自然なものを感じたが、俺は不思議な気分の高揚を感じていた。



【21年前 5月31日】


 警察本部での打ち合わせの翌日、この日の午後は久しぶりにスケジュールに空きができて家に帰ると、妻が俺を見るなり怯えた声を上げた。


隆彦たかひこさん……帰ってたんですか」


正直、夫婦仲はいいとは言えない。全く口を利かないほど仲が悪いわけでもないが、妻が俺を見る目を見れば誰もが俺たちの関係は終わっていると考えるだろう。


「パパ、おかえり……」


 そして俺の足元で娘の久蕗絵くろえが同じく怯えたように体を震わせていた。ああ、くそ。久しぶりの休みなのにコイツのビクビクした顔を見るとムカついてきた。


「どうしたクロエ? なんで俺の前でそんなに怖がってるんだ?」

「え、あ、ご、ごめんなさい……」

「父さんの前で怯えるなって言ったよなあ? 俺はさ、クロエが清美おばさんみたいにいつも怯えるような大人になってほしくないんだよ。なあ、わかるだろ?」

「う、うん……ごめんなさい……」

「怯えるなって言ったよなあ!?」

「ひいっ!」


 クロエは俺に対して怯える姿を見せることが多くなった。それだけならただ単に俺に対して恐れを抱いているのだと思ったが、コイツの怯え方はなぜか清美に似ている。自信のなさを周囲に示し、自分を守ってもらおうとするアイツの姿に似ている。それが気に食わなかった。


「あ、あの、パパ。わたしのこと、きらい?」

「ああ?」

「パパはわたしのことがきらいだから大きなこえをだすの?」

「そうだな。お前がそうやって俺に怯えたままだったら、父さんはずっとお前のことが嫌いだよ」

「そうなんだ!」


 俺の言葉に対して、クロエはなぜか大声で返事した後に下を向いて震え始めた。なにやってんだ?

 そう思ってると、妻が苦言を呈してきた。


「隆彦さん。クロエをあまり怯えさせないでください」

「怯えさせたいわけじゃねえよ。クロエには俺の妹の清美みたいに周りに媚びるような女になってほしくないだけさ」

「そういえばこの前清美さんがウチにいらっしゃったんですけど、クロエが清美さんに変なことを言ってたんですよ」

「変なこと?」


「『きよみちゃんはなんでわたしのことをきらわないの?』って……」


 なんだそりゃ。そもそもクロエと清美は月に一回程度会うくらいで、そこまで深く関わってるわけでもない。嫌うも何もねえだろうが。


「そしたら清美さん、なんか気分が悪くしたのか帰ってしまって……あの、今度清美さんにお会いしたら謝っておきましょうか?」

「そんなことしなくていい。ガキの言葉を真に受ける清美の方に問題あんだろ。それより俺は部屋で寝てるから、クロエが騒がないようにしておけよ」

「……わかりました」


 自室のベッドに横たわると最近の疲れのせいかすぐに眠気が襲ってくる。


『君の子供がどういった人間に育つかはわからないが、願わくば『絶望』を喜び、多くの幸福を得る人間であるといいね』


 意識を手放す前に俺の頭に浮かんできたのはなぜか先日の斧寺の言葉だった。



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