瑠璃子が転校していった。
表向きには『家庭の都合』ということになっていたが、ミーコへの暴力事件が理由だというのは誰が見ても明らかだったし、わざわざそれを表立って問い質そうとする人間もいなかった。
『黛瑠璃子という女子生徒は最初からこの学校にいなかった』。いつの間にかそんな暗黙の了解が出来ていたと言っても過言じゃない。瑠璃子が去ってから、誰もアイツの話をしようとせず、日常における異物を排除しようとしていた。
なぜみんなが瑠璃子の存在を記憶から消そうとしていたのか。はっきりと言葉にする人間はいなかったが、おそらくその理由はこうだ。
瑠璃子の存在を認めてしまったら、学校内での地位に縋っている自分たちの弱さを直視しなければならないから。
それほどまでに、アイツの行動はオレを含めたあの場の人間全ての予想を超えていた。オレにフラれた上にみんなの前でミーコにこき下ろされて蹴られた時点で誰もが瑠璃子を落伍者になると確信していたはずなのに、アイツは逆に強さを見せつけたんだ。
オレもまた、瑠璃子の姿を見て自分の弱さを突き付けられた一人だ。もし、オレがアイツくらい強かったら。ミーコと別れようとはしなかったし、ミーコが瑠璃子に叩きのめされることもなかった。ミーコがいくら変わり果てていようと、オレは一度アイツを好きになったんだ。アイツと一緒に歩こうと決めたんだ。
なのにオレは自分が傷ついたというだけで、アイツを突き放した。ミーコが間違えてしまったのなら、それを正すのが彼氏の役目であるはずなのに、オレはそれを放棄した。
なんてことはない。オレは自分だけが損をしていると思い込んでいた。そしてその割を食うのはいつも、オレの彼女であるミーコだった。
だからオレはケジメをつけなければならない。そうしなければ、工藤メイジには本当に何の価値もない。
「……何しに来たの?」
瑠璃子が学校を去ってから一ヶ月。ミーコは学校には来ていたものの、大半は保健室で過ごしていた。教室には行きづらいんだろう。保健室に入って来たオレを見たミーコの顔に傷はなかったが、代わりに強い敵意がにじみ出ていた。
「もう傷は大丈夫か?」
「何しに来たのって聞いてるんだけど。アンタのせいで、私がこんなところにいるってわかってる?」
「そうだな、オレのせいだ」
「だったら出てってよ。アンタみたいな最低のクソ野郎の顔なんて見たくないから」
最低のクソ野郎、か。その評価は合ってるし、当然だ。オレの都合でミーコも瑠璃子も振り回されたし深い傷を負った。ミーコはそれをよくわかってる。
だけどそれこそ、オレが望んでいた言葉だ。
「オレの顔を見たくないってのは、嫌いだからってことでいいんだな?」
「当たり前でしょ。アンタがマユズミさんなんかと付き合うから、私はもう教室にいられなくなったんだよ? どうしてくれんの?」
「どうしようもねえよ。これからオレが何をしたって、お前を傷つけたという事実は消えねえし、自分のために瑠璃子を弄んだという事実も消えねえ」
「だったら! さっさと出てって……」
改めてオレの顔を見たミーコは言葉に詰まっていた。保健室に入ってきた時はオレを見てすぐ目を逸らしたから気づかなかったんだろう。
オレの顔が、あちこち殴られたように腫れあがっているのを。
「どうしたの、それ?」
「親父にやられた」
「は?」
「全部話したんだよ。オレがお前と瑠璃子にしたこと、全部」
「な、なんで? そんなこと話しちゃったら殴られるに決まってるじゃん」
「だからだよ。オレの行いがいかにクソだったのかということを、オレ自身に、そしてみんなに知らしめる必要があったんだ」
オレが自分勝手な理由でミーコと別れ、瑠璃子と付き合ったことを話したら、親父は何も言わずにオレを玄関先に引きずり出し、躊躇なく顔面を殴ってきた。何発も。そして最後に、『お前がケジメをつけるまで息子とは認めない』と言い残した。家にいることは許してくれたが、あれ以来口も利いてくれない。
だが、オレはむしろ嬉しかった。オレには本気で自分を叱ってくれる人間がすぐ傍にいると思えたからだ。工藤メイジという人間をちゃんと見てくれる人間がいると思えたからだ。もしオレに両親がいなかったら、今でもミーコを逆恨みしていたかもしれない。
「この顔で教室に行ったら、みんなオレのことを庇う気もなくなったみたいでよ。今ではオレもスクールカーストってやつの底辺だ。ま、そんなもんだろうな」
「なんで……? なんでそんなことしちゃったの? 工藤くん、学校に来れなくなっちゃうよ?」
「そうかもな。そうなったら転校でもなんでもすりゃあいい。この学校だけがオレの居場所じゃねえからな」
「そんなの、簡単に決断できないでしょ!」
「だけど瑠璃子はそうした」
「……!!」
瑠璃子はオレにフラれても、縋りついたりはしなかった。オレの彼女という立場を失っても、学校という居場所を失っても、平然と生きている。オレより瑠璃子の方が辛いはずなのに、アイツはそれをやり遂げている。
「ミーコ、お前がオレを許す必要なんてねえし、この先ずっと嫌っていればいい。ただ、オレはお前に見せてやりたい。誰に嫌われようと、誰に殴られようと、生き延びていられる人間がいるってことを。お前が立ち直れるまで、その姿を見ててほしい」
「……私は、そんな強くないよ」
「わかってる、今はそれでいい。オレはお前が強くなりやすい道を作れればそれでいい。それが、オレのケジメだ」
「……」
これはオレの自己満足なのかもしれない。ミーコからすれば、『何を知った風な口を叩いてるんだ』と思われるかもしれない。だがそれでいい。
例え自己満足でも、何もせずに他人を上か下かで評価しているだけの人間よりよっぽどマシだ。
「……やっぱりアンタ、クソ野郎だよ」
「そうか」
「私に弱いままでいるなって、辛い道を歩けって言うんだから」
「そうだな」
「でも、私にそう言ってくれるのは……メイジだけだよ」
「……!!」
ミーコは改めてオレの顔を見て、笑ってくれた。久しぶりに、オレが好きな笑顔を見せてくれた。
ミーコに『メイジ』と呼ばれたのは初めてだ。思えば、ここまで来るのには長い時間がかかったな。だけどそれでよかったんだ。遠回りしたからこそ、得られたものもある。
やっとオレは、ミーコの彼氏になれたんだから。
中学を卒業して高校に入ると同時に、オレは実家を出て一人暮らしをすることにした。
親父はまだオレを息子として認めていない。だからバイトが出来る年齢になると、『自分で金を稼げ』と言われて追い出された。オレがやったことを考えれば当然だし、自由にバイトを入れられることを考えれば好都合だとも思った。
一方のミーコも、妹との仲を修復できずにいたらしく、実家から離れた高校に通っていた。定期的に連絡も取っていたし、月一では会っていたが、今でも家族との仲は悪いらしい。
高校卒業後、オレはミーコと一緒に暮らすためにバイトを掛け持ちして金を貯めていた。就職してしまうと働く場所に融通が利かないというのもあったからだ。十分に金を貯めたら、遠くに引っ越して就職先を見つけてミーコと同棲しようと思っていた。
だがそんなある日、オレのバイト先に一人の女が現れた。
「ひひっ……あなたが工藤メイジさんでよろしいでしょうか……?」
オレの消せない過去をどこからから嗅ぎつけた、あの“腹黒”が。
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