恵美嬢と知り合って、一年が経った。
アタシと恵美嬢の関係は不思議なものだったかもしれない。お互いの趣味が合うわけでもなく、頻繁に遊びに行く間柄でもなかった。恵美嬢は図書館は博物館といった落ち着いた場所を好んでいたのに対し、アタシはカラオケボックスや繁華街といった賑やかな場所を好んでいたから、どうしても二人で遊ぶとどちらかがつまらない思いをしてしまうからだ。
恵美嬢も瞬間瞬間を楽しみたいアタシの考えを理解してくれていたから、無理にアタシを誘うなんてことはなかった。そうだとしても、アタシにとって恵美嬢の存在は大きかった。
その理由はやっぱり、恵美嬢の根底の考え――『自分に『絶望』を与えてくれる人間を求めている』というものが、アタシを惹きつけているからだった。
そんな関係を続けていた中学二年の春。昼休みの教室で恵美嬢はこんなことを言ってきた。
「沢渡くん、どうやら私は自分の願望の正体を掴んだかもしれない」
昼休みの教室で、恵美嬢は真剣な顔でアタシにそう告げた。
「へえ、それはつまり、アンタが求める『絶望』が何かわかったってことかい?」
「そういうことになるね。私の求める『絶望』の形。それは……」
そして恵美嬢は、恍惚の表情を浮かべる。
「誰かに、『殺される』ことだ」
その言葉はアタシにとっては、そこまで意外なものじゃなかった。恵美嬢ならこれくらいのことは言うと、これまでの付き合いで理解していた。
「ヒャハハ、『殺される』ときたかい。確かにそれは『絶望』と言って良いかもねえ」
「ああ、だが『殺される』と言っても、不慮の事故や偶然によるものではない。私は『狩る側の存在』による圧倒的な悪意によって、為す術なく命を奪われたいのだよ」
「アタシの言葉で言うと、それが恵美嬢にとっての『絶頂期』にあたるものなのかねえ?」
「そう言っても過言ではないだろう。仮に私が今挙げたような『理想的な殺され方』にたどり着けたのであれば、私は最高の人生を送ったと言っていい」
「ヒャハハハ、理不尽に殺されることが最高の人生と来たかい。やっぱりアンタは面白いよ」
「そうかね? そういう君も、私の願望に共感してくれて嬉しいよ。今まで私の話を真剣に聞いてくれる人間などいなかったのだからね」
まあ、今の話を聞いたら普通は『変なキャラ付けをしてるなコイツ』で終わっちまうだろう。仮に恵美嬢以外の人間が今の話をしていたなら、アタシだってそう思う。だけど恵美嬢は本気で『殺されたい』と考えている。だから面白いんだ。
「しかしそんなことを言ったら、あの精神科医サマ……空木晴天って言ったっけ? アイツがまたうるさいんじゃないかい?」
「その通りだよ。私の願望を打ち明けたら、空木医師は『その考えは今すぐ捨てたほうがいいよ。だって生きている方が楽しいに決まっているじゃないか』と言ったよ」
「ヒャハハ、わざわざそれをアイツに言ったのかい。恵美嬢もいい性格してるよ」
空木晴天とは、一年前以来もう会っていない。確かにアイツが華さんを『希望』に縋らせるように仕向けたのはムカつくけど、それはもう過去の話だ。過去にこだわって今をつまらなくするのは、アタシの考えに反する。アイツのやったことを水に流してやるつもりはないけど、アタシに何かしてこない限りは放っておくことにした。
「私としても、空木医師とは縁を切りたいのだがね。彼のつまらない言葉には飽き飽きしている。だが……私の保護者に当たる男が、それを許してくれないのだよ」
「そう言えば、恵美嬢には親がいないんだったっけ?」
「ああ、既に両親は亡くなっている。今の私の保護者は斧寺識霧という元警察官だ。その斧寺くんが、空木医師と懇意でね。彼の顔を立てる形で、仕方なく通院しているということだよ」
「なるほどねえ」
あんな医者と仲良しになるヤツなんているのかとは思ったけど、空木晴天の言葉だけを切り取れば、感銘を受けるヤツもいるのかもしれない。少なくともアタシはそうじゃないけど。
「ま、恵美嬢の目的は『自分を殺してくれる人間を探す』ってことになるのかい?」
「そうだよ。だが問題はピンポイントで容赦なく私を殺す人間が現れるかどうかだ。並大抵の人間では、私に付けいる隙を与えてしまう。私の逃げ道を完全に塞ぎ、『絶対に助からない』と思わせるほどの存在を求めているのだよ」
「ヒャハハ、そんなヤツを見つけるのは骨だねえ。随分と難易度の高い願望を持っちゃったもんだ」
「ふふ、確かにね」
そうは言ったものの、アタシは自分の願望をはっきりと自覚した恵美嬢を羨ましく思った。一方のアタシは『絶頂期』を求めてはいるけど、具体的にそれが何を指すのか、まだはっきりと言い表せない。今のアタシは、恵美嬢に一歩リードされている形だ。
もし恵美嬢が自分の望み通りに、何者かに容赦なく殺されたのだとしたら、アタシはまたつまらない日常に戻ってしまうのだろうか。
「おい、沢渡はいるか?」
そんな中、教室に大きな声が響いた。ぶしつけな男の声を聞いて、アタシの気分は少し悪くなる。
「おお、いたいた。沢渡、話がある。ちょっと来い」
アタシを呼びつけたのは、国語教師の川口幸夫だった。確か歳は30過ぎくらいとは聞いてるけど、その割に頭髪が薄い。そのくせ体格はガッチリして強面だから調子に乗ってる男だった。
無遠慮に近づいてくる川口に少しイラついたので、素直に従う気にはならなかった。
「なんですかぁ? 今は昼休みですよ、川口先生。用があるんだったら授業中にしてくれます?」
「授業中に呼び出せるかこのバカ。お前の生活態度に言いたいことがあるから、来いって言ってるんだ」
「何度も言ってるけど、アタシは別にアンタに迷惑かけてないよね? それにアタシに何か言いたいんだったら、まず担任の教師に話し通すのがスジなんじゃないのかい?」
「屁理屈を言うな。いいから来い」
せっかく恵美嬢と楽しい時間を過ごしていたのに、こんな男に邪魔されたくなかったけど、仕方ない。
「んじゃ恵美嬢。ちょっと行ってくるよ」
「……そうかね。また話をするのを楽しみに待っているよ」
「ヒャハハ、ありがと」
そう言って教室を出たアタシは、川口に連れられて生活指導室に入った。まあ、生活指導室と言っても、特に特別な設備があるわけじゃなく、ただの空き部屋をそれに利用しているだけだった。
とりあえず中にある椅子に適当に足を組んで座ると、川口はアタシの脚に視線を向けながら向かいに座った。
「それでだな、沢渡。お前について変な噂を聞いたから確認したい」
「はあ、変な噂かい? なんだろうね、アタシが実は宇宙人だったとか?」
「違う。お前が、大人の男相手にいかがわしい商売をしてるんじゃないかって噂だ」
「……へえ」
確かにその噂は本当っちゃ本当だ。アタシが小学生の頃に男相手に商売してたってことに誰かが辿り着いたってことなんだろうか。
そこまで考えて、その可能性はないと判断した。おおかた、アタシを嫌いな女子連中が適当に流した噂なんだろう。アタシの見た目のイメージからそういう噂に結びつけるのはそんなに不思議じゃない。ていうかジジツだし。
「それで、どうなんだ? お前は本当に男相手に変なことしてるのか?」
「『していない』って言ったら、素直に信じるのかねえ? 川口サン。ていうかアタシがそういうことしてるって言うなら、その証拠を用意するのはむしろアンタの方だろ?」
「だが、火のないところに煙は立たぬとも言う。そんな噂を流されたくなかったら、お前ももう少し生活態度を改めろ。例えば……」
そう言って、川口は無遠慮にアタシの襟に手を伸ばす。
「中学生がそんなに胸元を開けるんじゃない。校則でもブラウスの第二ボタンは閉めておけとなっているだろう」
ゴツゴツした手が襟を引っ張ったことで、アタシの胸元はさらに開かれる。全く。コイツもとんだセクハラ親父だよ。
川口がアタシに『生活指導』と称して、下卑た視線を向けるのはこれが最初というわけじゃない。二年生に上がってから、これで三回目くらいだ。
そう言えば最近、胸も大きくなってブラのサイズも変えた。どうもそれが川口の心に火をつけたのかもしれない。
別にこんなオッサンに触られたところで特に何の感情もわかないけど、つまらない時間を過ごすハメになったのは気に入らなかった。
「んじゃ、川口サンがもっとアタシを楽しませてくださいよ。そうしたら言うこと聞いてやってもいいよ」
「楽しませる?」
「そうそう。アタシはもっと楽しい時間を過ごしたいのさ。アンタがアタシを楽しませてくれるなら……」
そこまで言った時だった。
「そうか、お前も俺と同じ気持ちなんだな」
「あ?」
次の瞬間、アタシの背中に川口の太い両腕が回され、ガッチリと抱きしめられていた。
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