【6月4日 午後9時30分】
今日はバイトもなく、勉強もひと段落したのでベッドに横たわっていた。少し疲れてぼんやりとした頭で、今日の出来事を思い返す。
紅林鈴蘭。アイツは俺に絡んできた男たちを瞬時に脅す手際の良さと強さがありながら、なぜか俺と付き合おうとしていた。いや違う、『妹になりたい』と言ってきたんだ。
アイツが誰かに頼られる立場を重荷と感じているのはわかった。だが自分が頼る相手として、なんで俺を選んだんだ? 俺は紅林に助けられた側だ。アイツが頼りたいと思う強さが自分にあるとは思わない。
いや、これ以上考えるのはやめよう。あまり考えていると、また余計なトラブルを招きそうだ。
「ん……電話か」
バイブしているスマートフォンの画面を見ると、発信者は綾小路だった。
「もしもし、柳端くん今大丈夫?」
「ああ。どうした?」
「あのさ、この前お互いに時間あったらどこか遊びに行こうって話になったじゃん。それでアタシ、ちょうど今度の土曜が空いたんだけど、柳端くんの方は空いてる?」
「ん、ああ……確か空いてるな」
「だ、だったらさ! 最近オープンした、なんか服屋とかカフェとかたくさんあるショッピングモールみたいな場所あるじゃん。い、一緒に行かない?」
綾小路が言っているのは、一か月前に駅前にオープンした複合型商業施設のことだろう。飲食店や服屋だけでなく、スーパーや映画館、ゲームセンターなども揃っている話題の施設だ。
「そうだな、一緒に行くか」
「あ、ありがとう! やった!」
「……いくらなんでも、喜び過ぎじゃないか? 何かあったのか?」
「え!? いや、だ、大丈夫だよ。それじゃ、土曜の10時でいい?」
「わかった。東側入り口が待ち合わせしやすそうだから場所はそこにするか」
「うん! じゃあ、よろしくね!」
テンションの高いまま通話が終わったが、そういえば最近の綾小路にしては随分と明るい声だった気がする。以前のような明るさを取り戻しつつあるのかもしれない。それでいて、以前のような鬱陶しさや傲慢さは感じなかった。
この前も思ったが、今の綾小路からの誘いは素直に受け入れられる。俺の周りにいる他の女たち……特に柏のような得体の知れなさが綾小路にはないからだろう。だからアイツと出かけるのはどこか安心感がある。
そうだ。こうやって誰かと出かけることに安心感を抱くのは、香車と遊ぶとき以来だったかもしれない。
「……本当なら、お前もいればよかったけどな」
思わず口に出してしまったが、そんなことは叶わないと自分に言い聞かせて寝る支度を始めた。
【6月7日 午前10時00分】
「おい、綾小路。質問がある」
「はい……」
「ヒャハハ、今日は幸四郎と三人でデートと行こうじゃないか、佳代嬢」
「なんで生花までいるんだ!?」
先日決めた通り、俺は綾小路と10時に合流することになった。だが待ち合わせ場所にいた綾小路の隣には、ここ最近ではすっかり見慣れたピンク髪の女が立っていたのだ。
「いや、この間柳端くんと電話した後、沢渡さんからも電話が来たんだよ。『幸四郎と次に会う予定はいつなんだい?』って」
「なんだと?」
「それでうっかり今日会うこと言っちゃったら、いつのまにか一緒に来ることになって……」
「ヒャハハ、そういうことだよ。じゃあ、幸四郎のハーレムデートを始めようじゃないか」
「妙な言い方をするな」
……予定が狂ったが、いくら生花でも綾小路がいる前で俺をからかうことはしないだろう。それにコイツの性格からすれば、他に面白いことがあればすぐにそっちに興味を移す。要は俺たちと一緒にいても楽しくないと思わせれば勝手に離れる。生花はそういう女だ。
とりあえず生花は無視してどこかの店に入ろうかと思っていたら、綾小路が口を開いた。
「あのさ、沢渡さん。その前に柳端くんに言うことがあるんじゃないの?」
「あ?」
「アンタさ、この間のこと忘れてるの? 棗朝飛とかいう人と組んで、柳端くんに怪我させたんでしょ?」
「あー、アレかい。朝飛嬢は面白かったけどね、今はもうアタシを楽しませちゃくれないだろうね」
「そういうこと言ってんじゃないの。柳端くんに怪我させたの謝れって言ってんの」
「ヒャハハハ、幸四郎を刺したのは朝飛嬢さ。それに幸四郎は謝ったところでアタシを許さないし態度を変えることもないだろうさ。そうだろ?」
「知った風なことを言うな。おい綾小路、コイツに何言ったって無駄だ。無視してさっさと行くぞ」
「……うん」
電話口での明るい声とは一変して元気のなくなった綾小路を連れて、まずは服屋に入ることにした。
【6月7日 午前10時19分】
「あのさ、柳端くん。こういうのどうかな?」
「……お前、そういう服着るんだったか?」
綾小路が手に取った服は、黒く丈の短いTシャツだった。女物の服はよくわからないが、少なくともこういう露出度の高い服を綾小路が着ているのを見たことがない。
「おかしいかな? アタシがこういうの着たら……」
「お、おかしくはない、と思う。ただ、着たらどうなるのか想像がつかないな」
「じゃあちょっと試着してみるから、柳端くんに見てもらっていい?」
「あ、ああ」
綾小路はさっきのTシャツ以外にもショートパンツや薄手のニット、タンクトップなどを選び、試着室に入った。ちなみに生花は早々に俺たちから離れて服を見繕っていた。
「柳端くーん、開けるよー」
「ああ」
カーテンを開けた綾小路の姿を見て、思わず固まってしまった。
「ど、どう、かな……?」
顔を赤らめて目を逸らしながら聞いてくるが、俺も向こうを正視できない。綾小路が着ているのはさっきの丈の短いTシャツと足が大部分露わになるショートパンツという組み合わせだった。そのせいで、その……お腹の部分が完全に出ているというか……へそが見えているファッションだった。いくらなんでも刺激的過ぎる。
初対面であるなら似合っていると答えたかもしれないが、普段のコイツを知っている身からすれば、何かこう、上手く答えられない。
「あの……や、やっぱり変かな。アタシがこういうの着ても……」
「そ、そんなことないぞ! 別に変じゃない!」
「じゃ、じゃあさ……沢渡さんと比べてどうかな?」
「なに?」
そういえば、今の綾小路のファッションはどちらかというと生花のファッションに近い。アイツだったらこういう服を着てても不自然じゃないかもしれない。
「……まあ、生花が着ていた方がしっくり来るかもな」
つい思ったことをそのまま口に出してしまったが、それを聞いた綾小路はあからさまに落ち込んだ。
「そ、そうだよね……アタシがこれ着るのはないよね……」
「あ……す、すまん」
「いやいいよ。やっぱりその、沢渡さんの方がスタイルいいし……」
「……」
落ち込んだままカーテンを閉めてしまった。その反応を見れば、いくらなんでも俺が失言をしてしまったのはわかる。しばらく沈黙が続いていたが、しばらくしてカーテンの向こうから声が聞こえた。
「……柳端くん、沢渡さんのこと、今でも好きなの?」
「そんなわけないだろ。そもそも俺はアイツと望んで付き合ってたわけじゃない」
「じゃあなんで付き合ってたの?」
「それは……」
生花と付き合ってたのは香車を守るためだった。生花が香車にちょっかいをかけようとしていたから、代わりに俺が交際すると言ったからだ。だが本来の香車は生花を邪魔者として排除しようとする人間だったし、生花も別に俺に恋愛感情があったわけじゃない。
「……棗くんのため、だよね? わかってるよ。柳端くんってやさしいからね」
「お前、生花からそのことを聞いたのか?」
「聞いてはないけど、想像はできたよ。柳端くんの心の中にはいつもその友達がいるんだって。だから沢渡さんと付き合ったのも、その人が関係あるんだろうなって」
「ああそうだ。もともとは生花が香車にちょっかいをかけようとしていた。だからアイツに香車を諦めさせるために一時的に付き合っただけだ」
「……ねえ柳端くん。今からアタシ、最低なこと言うね」
「なに?」
「アタシ、その棗って人に嫉妬してる」
……?
綾小路が、香車に嫉妬してる? どうしてだ?
「だってそうじゃん。柳端くんの中にはいつもその人がいる。それだけじゃない、沢渡さんも棗くんのことを知ってるから、アタシより深く柳端くんに関われてる。わかってるよ、アタシに文句言う権利なんてないって。柳端くんはアタシを生きる理由にしてくれた。アタシも柳端くんを生きる理由にできた。だけどアタシは……棗くんがいる限り、柳端くんの理想にはなれないって思っちゃってる」
「違うぞ綾小路。それは……」
「わかってるよ! 別にアタシは柳端くんの理想になる必要なんてない。それでも君はアタシを受け入れてくれる。そう信じてはいるよ。でも、心のどこかで……思っちゃうんだよ……」
カーテンの向こうで、綾小路がどんな顔をしているのかはもうわかってしまった。
「棗くんも、沢渡さんも、柳端くんの中から消えてくれればいいのにって」
きっと、『死体同盟』にいた時と同じ、自嘲して弱々しく笑っていた時の顔だ。
思えば、今日も綾小路は生花に突っかかっていたし、生花が朝飛さんと組んで俺を傷つけたことに対してもずっと文句を言っていた。それなのに俺は生花を突き放すわけでもなく、激しく嫌うわけでもなく、どこか受け入れていた。だから綾小路はこう思ったのかもしれない。
柳端幸四郎の中に、綾小路佳代子はいないのではないかと。
だったら俺が今、コイツに言うべきことはなんだ? 口先だけで『安心しろ』なんて言ったところで何の信ぴょう性もない。だとしてもこのまま黙っているわけにもいかない。
「なあ、綾小路。お前が香車や生花に嫉妬するのがそんなにおかしいことか?」
「え?」
「俺は香車のことを大切な友人だと思っている。だが、俺の知り合いには香車のことを『友達を殺そうとした化け物』として忌み嫌っているヤツがいる」
「そ、それって……」
「そんなもんだ。香車には俺に見せまいとしていた一面があった。それにお前は香車に会ったことすらない。悪い印象しかないのも仕方ないだろう」
だから俺は、こう言える。
「お前が香車を嫌っていたとしても、俺はお前に幻滅したりしない」
口先だけの言葉だと思われるかもしれない。ひょっとしたら、俺自身も気づかないうちに単なる出まかせを言っているのかもしれないという不安はある。
だから、静かにカーテンを開けてこちらに微笑んだ綾小路の顔を見て安心した。
「……ありがとう」
【6月7日 午前10時45分】
「ヒャハ、ヒャハ、買い物は済んだのかい?」
服屋を出ると、いつのまにか出入り口にいた生花がこちらに声をかけてきた。
「おやおや、ちょっと見ないうちに佳代嬢と進んだねえ」
「……黙ってろ」
試着室を出た綾小路は俺に腕にしがみついたまま離れなかった。……正直、ちょっと恥ずかしい。
「それで、次はどこに……ん?」
近くにあるアクセサリー店に目をやった時だった。
「……あれは、竜樹さんか?」
アクセサリー店の中にいたジャケットを着た男性は、確かに竜樹さんに見える。だが様子がおかしい、誰かと話しているようだが、怒鳴っているようにも見える。
「ありゃ、なんか揉め事が起こってるのかい? ヒャハハ、じゃあアタシも楽しませてもらおうじゃないか」
「おい、待て生花!」
「ちょ、ちょっと沢渡さん、やめなよ!」
まずいな、このまま生花が場を混乱させるのを黙っているわけにもいかないか。とりあえず止めに……
「……ん?」
その時、竜樹さんの向かいにいる女の顔が見えた。ショートカットで竜樹さんよりもはるかに背が低く、それでいて相手に甘えるような顔をした女。
「……紅林?」
竜樹さんと話していたのは、つい最近知り合った後輩、紅林鈴蘭だった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!