人を救うにはどうすればいいのか。
人を救うとはどういうことなのか。
俺は唐木戸の死の原因が自分自身だということを知ってから、それらをずっと考えていた。
そして俺はその答えに近づくための方法を教えてくれる人物に出会った。
その人物の名は、閂香奈芽。俺とは全く思考も思想も違う人物。だが俺は彼女の取る予想もつかない数々の手段に驚かされた。
決して褒められた手段ではなかった。一歩間違えれば、社会的な制裁は免れなかったほどの。しかしそれでも、彼女は俺が御神酒先生の真実を知るための道筋を作り、俺を含めた複数の人間を救うことに成功した。
俺は彼女の手段に可能性を見いだしたのだ。人を救うことは決して綺麗な手段だけでは成し得ないのかもしれない。時には自分の手を汚す必要があるのかもしれない。御神酒先生のように。
だから俺は閂先輩に師事することで、俺が目指す人を救う手段を模索しようとした。そんな俺に対し、先輩は『試験』を課してきたのだ。
そしてその内容は――
「ここか……」
御神酒先生の事件が決着して数日後の土曜日。
俺は今、学校から少し離れた繁華街にあるレンタルビデオ店を訪れている。しかし俺に映画鑑賞の趣味はない。ここに来たのは、別に目的があるのだ。
「いらっしゃいませ~」
店に入ると、俺と同年代であろう茶髪でウェーブのかかったショートカットの女性店員が接客業らしい明るい笑顔で挨拶をしてきた。俺はその顔に見覚えがある。尤も、直接顔を合わせたのはこれが初めてではあるが。
そう、この人が閂先輩から出された『試験』の鍵を握る人物なのだ。
あまりジロジロ見るのも失礼なので、店の奥に進んで商品を選ぶフリをする。
「いらっしゃいませ!」
すると、今度は後ろから高く大きな声で挨拶された。今度の挨拶は知っている声によるものではあったが、いつも聞く声とは随分と印象が違った。
そう思った俺が後ろを振り向くと。
「ひひひ……いらっしゃいませ、萱愛氏……」
レンタルビデオショップの制服を着た閂先輩が、いつも通りの小さな笑い声を発し、少し不気味に思える薄笑いを浮かべて立っていた。先輩の長い髪は後ろで束ねられてはいるが、長い前髪はヘアピンなどで止められてはおらず、相変わらず彼女の右目を隠している。
「本当に、ここでアルパイトをしているんですね……」
「ひひ、意外でしょうか……?」
「いえ……ただ、接客業でその前髪はどうかとは思いますよ」
「ひひひ、これには深い事情があるのですよ……店長からの許可も取っております……」
そう言われてしまっては、もう俺からその前髪について言及することはできなかった。俺としても最初からこの話題を引っ張る気は無かったので、本題に入ることにした。
「それで、あのレジで受付をしていらっしゃる店員さんが……」
「ええ、今回私が萱愛氏へ課す『試験』の鍵を握る人物……綾小路佳代子氏です」
綾小路佳代子。先ほど入店した俺に挨拶をしていた女性店員。
彼女が……今回俺が救うべき人間らしい。
「『試験』、ですか?」
「ひひ、そうでございます……」
数日前、御神酒先生の事件が決着し、俺が閂先輩に師事したいということを伝えた日。俺の申し出に対して、閂先輩は俺に『試験』を課すと言ってきた。
「えっと、俺の適正を見るっていうことですか?」
「いえいえ、そこまで堅苦しいものではありませんよ……ちょっとした人助けをしていただきたいのです……」
「人助け?」
確かに、俺は人を救うための方法を知るために閂先輩からその方法を学びたい。ならば閂先輩が、俺がそもそもどのようにして人を救うのかを見たいのは当然なのかもしれない。
「では萱愛氏、こちらをご覧ください」
そう言って、閂先輩は一枚の写真を取り出す。そこには手鏡を見ながら髪型を整える、いかにも今時の女子高生と主張したいかのように制服を着崩したした女子が小さく写っていた。
「この人は?」
「この方のお名前は、綾小路佳代子。私がアルバイトをしておりますレンタルビデオ店の店員の一人でございます……」
「え? 先輩がアルバイトを?」
「ひひひ、意外でしょうか……?」
「いやその、アルバイトは校則で禁止されているんじゃ……」
俺の言葉に、閂先輩は笑顔を崩さずに返答する。
「流石は萱愛氏、相変わらず頑なに規則を守るお方でいらっしゃる……しかし、今までのご自分に疑問を持たれたからこそ、貴方は私への師事を希望なさったのでは……?」
「う……」
「まあ、ご心配なさらずとも、生徒会長の仕事ときっちり両立することを条件に、先生方から許可は戴いているのですよ、ひひひ……」
「そ、そうですか……」
そうだ。俺は今まで、規則や正論というものに縛られすぎていた。だから救える人間を救えなかった。そしてそこから脱却するために先輩に教えを請おうとしているんだ。目的を見失ってはいけない。
「さて、お話を続けますよ……この綾小路氏ですが、とある危機に瀕しておりましてねえ……」
「危機、ですか?」
「……ひひ、この方は以前同じ高校の男子生徒と交際していらっしゃったようですが……その生徒と別れた後も、付きまとわれているようですねぇ……」
「それは……ストーキングを受けているということですか!?」
「そうとも言えますねぇ……ひひ、そしてその男子生徒も中々に危険な人物のようでして……」
そして閂先輩はもう一枚写真を取り出す。そこには先ほどの綾小路さんと同様、制服を着崩して癖の無い髪をヘアワックスで整えた今時の男子生徒が小さく写っていた。
しかし、その二枚の写真を見たところで、俺は一つの疑問を抱いた。
「あの、この写真って被写体である彼らの許可は……?」
「ひひひ、そんなものを取る必要がおありですか?」
「……わかりました」
この期に及んでそんな問題について議論しても仕方がない。だから俺は、大人しく先輩の話を聞くことにした。
「それで、その写真に写っている男子が綾小路さんの元恋人なんですか?」
「はい、剣崎赤礼氏でございます。学校内では女性人気が中々に高いご様子ですね……」
確かにこの剣崎という男子は、写真を見ただけでも顔が整っていて、肌も清潔感がある美形ということがわかる。
「しかしこの剣崎氏、中々に自尊心がお高い方のようでして……綾小路氏に手ひどく振られたことを、かなり根に持っているらしいのですよ……ひ、ひひ」
「え? でもこの剣崎くんは綾小路さんとヨリを戻したいんじゃないんですか?」
「ひひひ、萱愛氏。人が人をストーキングする理由は、何も恋愛感情だけとは限りませんよ……?」
じゃあ、まさか……綾小路さんが瀕している危機というのは……
「どうやらこの剣崎氏は、綾小路氏に報復を加えようとしているようですねえ……ひひひ、困ったものです……」
「報復って……そんなの逆恨みじゃないですか!」
「ひひ、それは剣崎氏本人に言うべき発言ですよ……そして、ここからが本題でございます……」
「本題?」
「萱愛氏には、これから私が指定した期間内に綾小路氏を救って欲しいのですよ……」
「お、俺がこの人を!?」
確かに先ほど閂先輩は、俺に人助けをして欲しいと言っていた。だがまさか、全く面識の無い人間を救えと言うのか?
「おや、戸惑っておられるようですね。そのお気持ちはとてもよくわかります。ですが萱愛氏、貴方の目的を今一度振り返ってみてはいかがでしょうか……?」
俺の、目的……
そう、俺は人を救うための手段が知りたい。そのためには多少の外れた手段も有効なのではないかと、閂先輩を見て思ったんだ。ならばその手段に近づくためなら多少の無理な問題に挫けてはいけない。
「……わかりました。ですがこの人を救うと言っても、どんな形で救えば先輩は合格だと見なすんですか?」
「綾小路氏をどのように救うかは萱愛氏にお任せ致しますよ。……ですが、萱愛氏自身が綾小路氏を『救った』と納得できる状況にするのが最低条件ではあります……」
「俺が『救った』と納得、ですか?」
「ええ。そして逆に萱愛氏自身が彼女を『救う』のは不可能だと判断した場合、そして私が指定する期限を過ぎてしまった場合は……それでおしまいでございます」
「おしまい?」
「はい、そうなった場合は……ひひひ、この私が綾小路氏を『破滅』させて頂きます……」
「え!?」
俺が綾小路さんを救えないと、彼女は閂先輩によって破滅するというのか。
「あ、あの……」
「おっと、その辺りについての質問は禁止させて頂きますよ……ひひ、そして私が指定する期限は、今度の土曜日から三日間でございます。三日間で綾小路氏を救って頂きます……」
「そ、そんな……」
たった三日。三日の間で俺は綾小路さんを救わなければならない。俺にそれが出来るのだろうか。
いや、俺はやらなければならない。俺がこれから生きていくためには、唐木戸を追い詰めて殺してしまった俺が人を救うために生きていくためには、この『試験』を乗り越えなければならない。
「……わかりました。土曜からの三日間で綾小路さんを救えばいいんですね?」
「左様でございます。……では、今度の土曜日に私が働くレンタルビデオ店をお教えします。そして萱愛氏が綾小路氏と会った瞬間、試験開始としましょう……」
こうして俺は、閂先輩の『試験』を受けることを決意した。
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