柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第十一話 望まぬ交際

公開日時: 2021年8月1日(日) 19:10
文字数:4,261


 生花と綾小路が立ち去った後、俺は一人で考えていた。

 どうしてこんなことになった? 俺はなんでこんなことになってしまった?

 香車を失い、既に別れたはずの生花には香車への未練を指摘され、さらには柏と同じ願望を俺が抱いているのではないかと看破された。

 だけどもう遅い。香車が選んだのは俺ではなく柏だった。その結果、香車は命を失った。俺にはその結末を止められなかった。

 どうしてこうなってしまった? 思えば、あの時から始まっていたのかもしれない。


 俺と生花が出会った、あの時から……


 ※※※


 中学に入って数回目のテストが終わり、秋休みを目前に控えた日のことだった。


「幸四郎、何してるの?」


 教室で自習をする俺に話しかけてきたのは、友人である棗香車だった。背はそんなに高くなく、さらに童顔なのでクラス内の女子からは密かに「かわいい」と言われているらしい。


「見てわかるだろ、自習だ。こういうのは習慣的にやっておかないと忘れちまう」

「やっぱり幸四郎はさすがだね。僕は休み時間にも勉強する気にはなれないよ」


 香車はそう言いながら、俺の前の席に座る。そこは香車の席ではないが、今は昼休みなのでそれを咎めるヤツは特にいない。


「三年生になったらそうも言ってられなくなるだろ。お前だって高校受験はするんだろ?」

「う……それを言われたら痛いなあ」


 申し訳なさそうに笑う香車だったが、その顔を見て俺は自然と穏やかな気分になった。


 こいつは最高の友達だ。俺は心からそう思っている。俺と香車が出会ったのは中学からだが、それでも俺はそう言い切れる。


 俺には先のことばかりを気にして、焦ってしまうという悪癖があった。だけど香車はそんな俺を、『しっかり先のことを考えているから尊敬している』と言ってくれた。俺がその言葉にどれだけ救われたか。香車という存在が隣にいることにどれだけ救われたか。

 だから俺も香車の力になりたいと考えて、一緒に下校したり勉強することが多くなった。そうしているうちに、俺と香車は自然と仲良くなった。


 そう、棗香車は他人を否定せずに受け入れてくれる人間であり、俺を救ってくれた人間だった。


「うーん、幸四郎にちょっと相談したいことがあったんだけど、勉強中ならまたにするよ」

「相談したいこと? それなら別に今でもいいぞ。ちょうどキリのいいところまで終わったからな」


 キリのいいところまで終わったというのは本当だが、そうでなくても俺は香車の相談にはできる限り乗るつもりだった。


「本当? じゃあさ、ちょっと聞きたいんだけど……」


 すると、香車はなぜか恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「幸四郎ってさ、彼女とかいたことあるの?」

「……は?」


 その質問を聞いて、俺はマヌケにも口を開けて固まってしまった。

 え? なんで香車はこんなこと聞いてくるんだ?


「いやさ。僕たちも中学生になったわけだし、もしかしたらこれから彼女とか出来るかもしれないじゃない? で、幸四郎はそういう経験あるのかなあってちょっと思ったんだよ」

「あ、ああ。そういうことか」


 つまり香車は俺に交際経験があるのかを聞きたかったのか。そういうことか。

 ……一瞬、何か良からぬ想像をしてしまったような気がするが、それは黙っていよう。


「だがな香車。残念ながら俺は女子と付き合ったことはない。お前が期待するような助言はたぶんできないぞ」

「そうなの? 幸四郎かっこいいからモテそうなのに」

「そ、そうか? だけどまだ中一だし、そういうのは早くないか?」

「え? 早いかなあ?」


 香車は首を傾げるが、俺はまだ誰かと付き合いたいと考えたことはなかった。


「あ、じゃあさ。幸四郎はどういう女の子と付き合いたいとかあるの?」

「どういうって言われてもな……あんまり考えたことはないが……」


 質問に対する答えを考えながらふと廊下を見ると、一人の女子が目に入った。


「そうだな、少なくともあんな女ではないな」


 俺の視線の先を辿るように、香車も廊下に目を向ける。そこには髪を金髪に染め、派手な化粧をして短い丈のスカートを穿き、頭に眼鏡を乗せている露出度の高い女子がいた。


「あれって……三年生の沢渡さん?」

「お前もさすがに知ってるか。有名だもんな」


 俺たちの二学年上の女子、沢渡生花。その名前はおそらく、この学校の大半の生徒に知れ渡っていた。

 思春期の女子にしても派手な外見をしているというのも理由の一つだが、最大の理由は俺たちが入学する前に起こったとされる一つの事件にある。


 去年の冬、この学校の男性教師が沢渡と関係を持ってしまい、解雇されたのだ。


 表向きは教師の方が沢渡に強引に迫ったとされているが、生徒の間では沢渡が教師を誘って、それを自分から学校に暴露したと噂されていた。

 噂の真偽は生徒たちにとってさほど問題ではなかった。俺もその気持ちはわかる。退屈な学校生活に非日常な出来事が起これば、心が躍ってしまう。

 だから沢渡の噂はまたたく間に学校内に広がり、新入生である俺たちまで知ることとなった。しかし、普通ならそんな噂が流れれば学校にいられなくなりそうなものだが、沢渡は転校などせずこの学校に今も在籍している。


「幸四郎は、沢渡さんのことはタイプじゃないの?」

「俺はあんな見るからに刹那主義者みたいな女は好きじゃない。今がよければそれでいいなんて考え方はできないからな」


 そんなことを話していると、沢渡と目が合ってしまう。しかも上級生にも関わらず、俺たちの教室に入ってきた。クラスメイトたちがザワザワと声を上げるが、本人はそんなことは気にした様子はなかった。


「あ、あれ? もしかして聞こえちゃったんじゃ……」


 香車が少し不安そうに呟いた言葉も、沢渡には聞こえたようだった。俺と香車の前に立ち、その場にしゃがみ込んで視線を合わせる。


「ヒャハッ、アンタらかい? さっきからアタシの話をしてたのは?」


 沢渡は開いた胸元を見せつけるように俺たちに身体を寄せてくる。ボタンの開いたブラウスから胸の谷間が見えてしまうが、その挑発的な態度に少し腹が立ったので、俺はあえて攻撃的な物言いをした。


「ああ、そうだよ。アンタみたいな淫売みたいなヤツとは付き合いたくねえなって話をしていた」

「ちょ、ちょっと、幸四郎……」

「いいんだ香車。たぶんこいつはこんなこと言ったところで傷つくヤツじゃない」

「ヒャハハ、言ってくれるじゃないか。オンナノコには優しくしなさいってアンタのママは教えてくれなかったのかい?」


 沢渡はそう言って、わざと胸を俺の腕に押しつけてくる。それがまた気に障った。


「女だから無条件で優しくされると思ってるヤツは嫌いでね」

「ヒャハッ、言うじゃないか。ちょっと顔を見せておくれよ」


 頭に乗せていた眼鏡をかけて、俺と香車の顔を覗き込んでくる。すると沢渡はニンマリと笑った。


「ふーん、なんだか面白そうな二人じゃないか。アンタら、どっちかアタシとちょっと付き合ってみないかい?」

「話を聞いていなかったのか? 俺はお前みたいな女とは付き合いたくねえなって言ったんだぜ?」

「ヒャハハ、それはそっちの都合さね。アタシがアンタらと付き合ってみたいと思っているのさ。なにせアタシはアンタの言うとおり、刹那主義者だからねえ」

「意味がわからないな。刹那主義者がなんで俺たちと付き合おうとする?」

「聞きたいかい? それはね……」


 沢渡は眼鏡を外して頭に乗せ、今度は香車に向き直る。


「こっちのボウヤが、近い将来に人でも殺しそうなくらい危なそうなヤツだからさ」


 その言葉を聞き、俺は沢渡を睨み付ける。


「言葉に気をつけろよ沢渡。香車の何が危ないって?」

「何が危ないかって聞かれたら、そうさね。例えば小学生女子をバットで殴ろうとしてそうとか?」

「沢渡!」


 さすがに俺の前でそれを言うのは我慢ならなかったので俺はコイツの胸ぐらを掴んでしまう。


「何を見たのか知らねえが、これ以上香車の変な噂を流すなら、俺が許さない」

「そうかい。許さないのなら何をアタシにしてくれるのかねえ?」

「いいか、香車は弟を亡くしたばかりなんだよ! お前が興味本位で首を突っ込んでいい問題じゃないんだ!」


 そう、香車は2ヶ月前に弟を交通事故で失った。正確には弟のクラスメイトだった女子によって突き飛ばされて死んだのだ。

 それを知った香車は弟を殺したことに何も反省していない女子に激怒し、バットを持ち出して女子を襲った。おそらくは沢渡にその場面を見られていたのかもしれない。だが、香車は弟の死のショックで一時的に錯乱していただけだ。ようやく立ち直ってきた香車を、こんなヤツが面白半分で傷つけるの許せない。


「幸四郎、もういいよ」


 だが香車は無表情で俺を制止した。


「もう沢渡さんを放してあげて。もしかしたらこの人も別に悪気はないのかもしれない」

「俺はそうは思わない。コイツは明らかにお前を弄んで楽しもうとしているだろう!」

「それなら大丈夫だよ幸四郎。僕は別に怒ってないから」


 香車はそう言って俺の腕を掴む。そして今度は沢渡に話しかけた。


「沢渡さん、あなたが何を見たのか知りませんけど、そんな脅しみたいなことをしなくても、僕はあなたの要求を呑みますよ」

「へえ、じゃあボウヤがアタシと付き合ってくれるのかい?」

「はい、いいですよ。僕もあなたに興味ありますし」

「きょ、香車!?」


 予想外の申し出をした香車を見て、俺は思わず沢渡から腕を放していまう。


「ヒャハハ、アタシに興味あるのかい?」

「ええ。あなたがあれを見て僕をどう思ったのか、興味があります」

「おい香車! こんなヤツの口車に乗るな!」


 どうやら香車は沢渡にあの光景を見られたことに動揺しているようだ。そして沢渡にこれ以上自分の悪評を流されたくないから、コイツの要求を呑もうとしているのだろう。

 だけどダメだ。今の香車はまだ精神が不安定なはずだ。こんなヤツに関わらせるわけにはいかない。


「おい沢渡。そんなに男に飢えているなら、俺がお前に付き合ってやる」

「おやおや、今度はそっちのボウヤが立候補したかい。アタシもモテモテだねえ」

「口を慎めよ。俺はお前を殴り倒してもいいんだぞ」

「アンタにそれが出来るとは思えないけどね。ま、そうさね。アタシと付き合いたくないと言った男と無理矢理付き合うのも面白いかもね」


 そう言って、沢渡は俺の腕に抱きついた。


「ということで、アタシはアンタと付き合うことにしたよ。よろしくね、幸四郎」

「香車、心配するな。俺がこいつを監視する。だからお前は何も心配するな」

「……わかった、任せるよ幸四郎」


 こうして俺は、香車を守るために沢渡と付き合うこととなった。

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