綾小路さんとの衝撃的な会話があった日から一日経った今日。俺は彼女の元恋人である剣崎くんからも話を聞くことで、彼女の人となりを調べることにした。そしてあわよくば、彼が綾小路さんに危害を加えるのを止めさせるつもりだったのだが――
「しまった……俺は剣崎くんの連絡先すら知らないぞ……」
そう、そもそもの問題として、俺は剣崎くんどころか綾小路さんとすらほとんど交流の無い赤の他人だ。そんな俺がどうやって彼から話を聞けというのか。それに剣崎くんがどこにいるかもわからない。
「……とりあえず彼の学校に行ってみるか」
閂先輩から見せてもらった写真では、剣崎くんはあのレンタルビデオ店にほど近い高校の制服を着ていた。確かあの制服は綾小路さんと同じ学校のはずだ。今日は日曜日だから彼が学校にいる可能性は低いが、とりあえず行ってみるしかない。
そして俺は自転車を走らせ、剣崎くんの高校に向かった。
「ここか……」
件の高校は偏差値だけで見れば、M高校より数段レベルが落ちると言われる県立高校だった。特にこれといって荒れているわけでも、秀でている所もないというのが周りの評価だ。俺と同じ中学の出身者も何人かがこの高校に通っているが、今ではあまり連絡を取り合ってはいない。
グラウンドでは野球部らしき生徒たちがグラウンドを走っていたが、その中に剣崎くんはいなかった。いくらなんでも部外者である俺は勝手に他校に入るわけにはいかないし、どうするべきかと思案していると……
「おい、お前ちょっとこっち向け」
聞き覚えのある乱暴な口調の低い声が後ろから聞こえた。振り向いてみると――
「……やっぱりか、あの時カヨコのバイト先にいた奴だな?」
剣崎赤礼――!
まさか、向こうから俺に声をかけてくるとは予想外だった。
「俺に何か用があるんですか?」
「大ありだ。ちょっとツラ貸せよ」
「ちょ、ちょっと!」
そして俺は剣崎くんに連れられて学校の敷地内に引きずり込まれた。
「ぐっ!」
剣崎くんは俺を体育用具倉庫の裏に連れて行くと、いきなり俺を壁に叩きつけた。
「な、何をするんだ!」
「それはこっちのセリフだ。てめえもカヨコにちょっかいをかけているのか? それでこの学校にまで来たんだろ?」
どうやら彼は俺が綾小路さんに何か危害を加えるものだと誤解をしているようだ。そうなると、その誤解を解かないとならないが……
いや待て、そもそもこの剣崎くんが綾小路さんに危害を加えようとしているんだ。それならば、彼をどうにか説得すれば彼女を守ることは出来る。ならばここは彼を止めることに専念するんだ。
「俺は綾小路さんに何かをするつもりはない! 君を止めに来ただけだ!」
「ああ!? どういうことだよ!」
「君が綾小路さんに恨みを持っていることは知っている。俺は彼女の知り合いからそれを止めてくれと頼まれたんだ。だから……」
「出まかせを言うんじゃねえ!」
俺の言葉は彼の怒りを誘ってしまい、強烈なフックが俺の顔に叩きつけられた。
「ぐあっ!」
その衝撃に俺は地面に倒れ込んでしまう。開いたままの口に砂が入り込み、口の中に違和感が広がった。
「どうせお前もカヨコの見た目に騙されて口車に乗せられたんだろ? あの柳端って野郎と同じようによ!」
突如として剣崎くんの口から発せられる柳端の名前。やはり彼が綾小路さんと別れることになったのは、柳端が関係しているようだ。
「……柳端は俺の友達だ。あいつが君に何かをしたというなら、俺が代わりに謝る。それで許してもらえないか?」
「へえ、お前あいつと知り合いなのか? だったら丁度いい」
すると剣崎くんは倒れていた俺を踏みつける。
「友達なら柳端の行動パターンもわかるだろ? これ以上痛めつけられたくなかったら、あいつが一人になる場所を教えろよ。そうしたら解放してやる」
「な、に……?」
「あの野郎がカヨコに色目使ったからこんなことになったんだ。あいつとカヨコは絶対に許さねえ。俺をナメたことを後悔させてやる」
「ま、待て! 君は柳端に……それに綾小路さんに何をするつもりなんだ!?」
まさか剣崎くんが柳端まで狙っているとは思わなかった。ここで彼を止めないと柳端も危ない。
「何をするつもりかって? 決まってんだろ、仲間と一緒にあいつらをリンチしてやんだよ。そうじゃなきゃ腹の虫が収まらねえ。カヨコに恨みを持っているヤツは俺以外にもいるからな」
「バカなことは止めろ! そんなことをして何になるんだ!」
「何にもならなくていいんだよ! 俺はあいつらが許せねえ。特に散々俺に物をねだっておいて、『アンタより顔がいい男見つけたからもういいや』なんて抜かしたカヨコのヤツはなあ! 俺が、俺がどんなにあいつを……!」
すると俺の顔の横に、何かの液体が垂れた。そういえば、さっきから剣崎くんの声が少し震えているような気がする。もし、もし彼が本気で綾小路さんを好きだったのだとしたら。そしてそんな彼を綾小路さんはあっさりと捨てたのだとしたら。
……なんてことだ。剣崎くんのやろうとしていることは確かに許されることではない。どんな理由があろうと暴力が許されていいはずがない。
だけど、綾小路さんのやったことも許されることではないんじゃないか?
綾小路さんは剣崎くんという恋人がいるというのに、柳端に出会った途端、あっさりと彼を捨てた。例え剣崎くんから柳端に心移りしたとしても、その際にはじっくりと話し合いをするべきだったはずだ。
だけど綾小路さんはそれをしなかった。剣崎くんの気持ちを完全に無視した。彼女がそんな行動をしなければ、今回のような事態にはならなかったはずだ。
さらに柳端は綾小路さんの本性を見抜いている。彼女の思い通りの展開にはならないし、このままでは綾小路さんも、柳端も、そして剣崎くんにとっても不幸な結末を迎えてしまう。
俺は……本当に綾小路さんを救うべきなのか? あんなひどい人を。本当に救うべきなのか?
しかし俺が救わないと、彼女は閂先輩によって『破滅』してしまう。だけど俺に何が出来る? 俺に何が――
「…………」
――そうか。
俺は勘違いをしていた。そもそもこの『試験』は、俺の手に負えるものではなかったんだ。
「……剣崎くん」
「あ?」
「二日、二日待ってくれ。そうすれば君の望み通りの結果になるはずだ」
「なに? お前何を言ってんだ?」
「頼む!」
「お、おい……」
俺は地面に横たわっていた体を土下座の姿勢にして、剣崎くんに頼み込んだ。
「あと二日待ってくれ! そうすれば君も、そして皆も傷つかない結末になるはずなんだ。だから……」
「……あー! わかったよ! 二日だな!?」
「ああ、二日だけ待ってくれればいい」
「その言葉、忘れるなよ。それを過ぎても何もなかったら、お前もリンチしてやるからな」
「ああ、それでいい」
「……チッ」
そして剣崎くんはその場を立ち去って行った。
数時間後。
「ひひ、如何ですかねえ萱愛氏……成果のほどは?」
俺は昨日柳端と話したファーストフード店に閂先輩を呼び出した。俺の決断を話すために。
「……先輩」
「ひひ、どうされましたか?」
「俺は、決めました?」
「ほう?」
そして俺は、一呼吸を置いて、言った。
「俺には、綾小路さんを救うことは無理です」
「……」
「俺は、この『試験』を棄権します」
それが……俺の決断だった。
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