柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第五話 殺意

公開日時: 2022年8月17日(水) 21:22
文字数:2,196


「柏ちゃん、そっちじゃなくてこっち! こっちのホーム!」

「ああ、すまない。ルリとの合流地点にはそちらの電車で向かうのだったね」


 沢渡たちの追跡を振り切るために、私たちは駅のホームで電車を待っていた。柏ちゃんをもう一度『アサヒ』に会わせてはならない。その考えが、私の中でどんどん大きくなっていく。

 だけどそんな私の焦りとは対照的に、柏ちゃんはまだ心ここにあらずといった様子だった。


「……樫添くん。先ほどから気になっていることがあるのだが」

「なに!? 急がないといけないんだから手短に済ませて!」


 ホームにはまだ電車が到着していない。ここで沢渡たちに追いつかれたら、また振り出しだ。柏ちゃんについ苛立った返答をしてしまったけど、仕方ないと思う。


「君は今回の件、おかしいと思わないのかね?」

「え?」

「沢渡くんたちの背後に、空木晴天がいるのは間違いない。だが彼の目的は、私につまらない『希望』を抱かせるというものだ。それなのになぜ、沢渡くんたちは私たちを襲ってきたのだろうか?」

「それは……」


 言われてみれば、確かにおかしい。

 どういう理由があるのか知らないけど、晴天は柏ちゃんに『希望』を抱かせたいらしい。容赦ない『絶望』に浸り、一方的に命を奪われることを望む柏ちゃんにしてみれば、まさしく晴天は不愉快な存在と言えるのだろう。

 だけど今回、晴天は沢渡や『アサヒ』を差し向けて、柏ちゃんの命を狙ってきた。その行動はむしろ柏ちゃんの望みを叶えてしまっている。柏ちゃんや黛センパイから聞いた話と違う。


「……柏ちゃんの命を狙ってきた?」


 思わず口に出して呟いてしまったけど、この違和感の正体はその部分にある。

 そもそも本当に沢渡たちは柏ちゃんの命を狙ってきたの? 棗香車にそっくりな女を連れてきてまで、柏ちゃんの命を狙ってきたの? アイツらが一言でもそう言った?


『今日の用件はアンタの方だよ、保奈嬢』


 沢渡はさっき、ホームセンターでこう言っていた。もしあの言葉が、別の意味を持つとしたら。


 アイツらが本当に狙っているのが、柏ちゃんではなく私なのだとしたら。


「うっ、ぶ!!」


 その可能性を考えてしまった時、猛烈な吐き気に襲われた。

 あの棗香車に匹敵するほどの殺意が、刺しぬくような『狩る側』の殺意が、私に向けられている。そうなのかもしれないと思ってしまっただけで、自分が死ぬという状況が単なる可能性ではなく現実味を帯びて私の眼前に迫ってくる。

 考えてしまう。さっきの『アサヒ』とかいう女が再び私の前に現れたら、まるでテレビゲームのコマンド入力を行うかのような手軽さで私の胸に刃物を突き立てているかもしれない。もしくは遊び飽きたおもちゃを捨てるかのように、私を高所から突き落としているかもしれない。

 私も既に知ってしまっている。『狩る側の存在』とは、そういうことを簡単にやってしまえる者であることを。

 ダメだ、猛烈な気持ち悪さが体を駆け巡っていく。たぶんこれは、明確に『死』が迫っているという現実に対して、私の精神が悲鳴を上げているんだ。

 どこかで私は油断していたのかもしれない。『狩る側の存在』は柏ちゃんを狙うのであり、私は柏ちゃんを守ればいいのだと。自分は殺されないだろうと思っていたのかもしれない。

 吐き気に耐えかねて、地面にうずくまってしまおうとした時だった。


「大丈夫かね? 樫添くん」


 柏ちゃんが私の腕を掴み、体を支えてくれる。その顔は私の身を案じるように不安そうな表情を浮かべていた。


「か、柏、ちゃん……」

「失礼した、樫添くん。もしかしたら空木晴天の狙いが私ではなく君なのだと考えたら、一刻も早くその事実を伝えなければと思ったのだが……そうだね、君は『獲物』ではないのだ。自分が殺される光景を考えたくはなかったのだね」


 震える足になんとか力を入れて、体勢を立て直す。ああ、そうか。柏ちゃんは私に身の危険を知らせるために、その可能性を伝えたかったのか。

 だけど私は、どうしても聞きたいことがあった。


「ねえ……柏ちゃん……」

「なんだね?」

「あんな……あんな殺意を向けられて……どうして平気なの……?」


 息も絶え絶えになりながらもなんとか質問を投げかけた。柏ちゃんは『狩る側の存在』に殺されることを願っている。つまりは、あの殺意を向けられることを願っている。私がここまで疲弊する代物を、彼女は自分に向けられたいと願っている。


 あんな『絶望』を、どうして手に入れたいと思えるのか。


「ふむ、その質問に対しては、私が『獲物』であるからだと答えるしかないだろう」


 ああ、そうだった。彼女はいつだってそうだ。

 黛センパイと出会う前から、私と出会う前から、彼女はずっと『獲物』として生きてきた。そして黛センパイに自分の願望を叩き潰されても、それは変わらない。自分の望む『絶望』を手に入れたいとずっと願っている。


 彼女は柏恵美だ。それだけで、あの殺意を受け入れられることに自分で納得できてしまった。


「ごめん、早く逃げなきゃいけないのに、つまらないこと聞いちゃったね」

「別に構わないよ。しかし、狙われているのが私ではなく君である可能性は高い。君には自分の命を守ることも考えてほしかった」

「うん、ありがとう」


 狙われているのは柏ちゃんではなく私かもしれない。今はそれを事実として受け止めよう。

 空木晴天が何を考えているのかはわからない。ヤツを迎え撃つためにも、まずは黛センパイと合流だ。

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