「ひひひひ、これはこれは……」
なぜか閂が目の前のアトラクションを見て、笑い続けている。
「え、えーと、閂さん?」
「ひひ、なんでしょうか?」
「あ、あの、対戦型のアトラクションって、これですか?」
「ええ、その通りでございます。いわゆる……『シューティングゲーム』ですね」
私たちがやってきたのは、レーザー銃で次々と敵を撃っていくという屋内アトラクションだった。一度に二人同時にプレイして、制限時間内に何体の敵を倒せるか、また何回被弾したかでポイントを競うゲームのようだ。なぜかテンションが上がっている閂に対し、財前は身体を震わせている。
「あ、あの、私、その、こういう敵が襲ってくるタイプのゲームが、苦手で……」
「おやおや、これは興味深いではないか。できればこの怪物たちに無抵抗で襲われてみたいものだよ」
ゲーム内に登場するであろう怪物の絵を見ながら、ゲームの根本を揺るがしかねない発言をするエミを見て、財前は意を決したように言った。
「や、やります! 私も、その、やってみます!」
「と、いうことだ。ならば私と財前くんで対戦しようか。ルリは……閂くんと対戦するかね?」
エミの言葉をを受けて、閂は私の顔を見て再び笑った。
「ひひ、ひひひひ……! よろしいのですか……? シューティングゲームでこの私を敵に回すとは……」
「随分と自信があるじゃない」
「ひひ、ひひひひひっ!」
既に閂はレーザー銃を手に取り、なぜか妙に手慣れた様子で構え始めた。
「さあ、さあ、始めましょうか! 黛先輩! 今まで数々のシューティングゲームをプレイしてきた、私の腕を見せて差し上げましょう!」
「……なんかアンタ、キャラ変わってない?」
「ひひっ、ひゃーはははははっ!」
左目からギラギラとした光を放つ閂に妙にムカついたし、エミの前で負けるわけにもいかないので、絶対叩き潰すという気持ちで銃を構えた。
五分後。
「……ウソでしょ?」
「ひひっ! ひひひひひひっ!」
私たちの前にはリザルト画面が表示されている。閂が全弾ヒットで被弾ゼロという結果に対し、私はヒットがゼロで全弾被弾という結果だった。
「……ルリ。まさか君ともあろう者が、手加減をしたというのかね?」
エミが珍しく顔を引きつらせて動揺しながら私に声をかけてくる。
「ひひひ、まさか黛先輩がここまでゲーム下手だとは……」
「いや、待って待って。おかしいから。ぜったいこれ壊れてるでしょ!」
思わずレーザー銃をバンバン叩いてしまったけど、あまりにも不甲斐ない結果にまだ心が落ち着かない。
「黛さん、待ってください」
そんな私の手を、後ろで見ていた弓長くんが止めた。
「ダメですよ。そんなに乱暴に扱ったら壊れてしまいます。銃を置いてください」
「え? あ、うん、ごめん……」
あれ? なんか彼の顔が、怒っているというか、子供を叱る時の父親みたいな真剣なものに見える。自然と私も、なぜかすごく悪いことをしたような申し訳なさを感じてきた。
「今日の僕は他人を傷つけない男です。ですから黛さんが何かを傷つけることも見過ごせません。わかってくれますね?」
「……はい」
彼の言葉に素直に応じてレーザー銃を指定の位置に戻すと、弓長くんは優し気な微笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。僕はあなたの、誰かを思いやれる心が好きです。誰かのために必死に動こうとしてくれる心が好きです。だから僕も、あなたの隣に立っていたいと思ったんです」
「……ねえ、君は私のことが、本当に好きなの?」
「そうですよ。最初にお会いした時から、そう言ってます」
「そんな、こと、あるの?」
あるわけがないと思っていた。私を好きになる人なんて、いないと思っていた。
だってそうじゃないか。私は『誰かに好かれるわけがない女』なんだ。エミだって、この間の一件で私を助けに来てくれたけど、それは『支配者である黛瑠璃子』が大切なのであって、弱い私のことなんて好きじゃない。
『君に絶対的な強さを感じていたいのだよ』
そうだ、エミはこの間そう言った。エミは私が好きなんじゃない。自分の願望を徹底的に潰して、『絶望』を与えてくれる人間が好きなんだ。彼女は好きなのは私じゃない。『支配者』か『狩る側の存在』だ。
……もし、私が支配者でなくなったら。もし、私が弱い人間だと思われたら。エミは私のことなんて。
「くっ、はははははは!」
「か、柏さん! なんで撃たないんですか!?」
「撃っているさ! 私の腕ではまるで的に当たらないというだけだよ! ああ、一方的に蹂躙される悦びを財前くんも楽しみたまえ!」
「ええ……?」
エミは財前と一緒にゲームを楽しんでいる。そういえば、彼女が心から楽しんでいる顔を見るのは久しぶりかもしれない。私の横にいても楽しめないのであれば、私は彼女の横に立ってていい存在なのだろうか。
五分後。
「ふむ、どうやら私の負けのようだね」
「柏さん、わざと外してたりしてませんでした?」
エミと財前の対戦は、財前の圧勝に終わった。それなのに財前はどこか不服そうだ。
「私……すみません。柏さんがあんなに楽しんでるのに、一緒に楽しめませんでした」
「なぜ謝るのだね?」
「その、私、柏さんってすごいなって、思ってるんです。誰かに流されることもなくて、自分の意志とか目的とかがはっきりしてて、それがすごく羨ましいって思ってるんです。黛さんに支配されてるって言い出した時はさすがに心配になりましたけど、それも柏さん自身が望んだことなんだって、二人の姿を見て納得できたんです」
「ははは、よくわかっているではないか」
「だから私も、柏さんみたいに自分の意志をはっきりさせられる人になりたいなって、だからお友達になりたいなって思ったんです。なのに、その、柏さんと一緒に遊んでいるのに楽しめないのが、すごく申し訳なくて……」
「気にすることはないよ、財前くん。君が『獲物』としての楽しみを理解できないのであれば、それでいい。君は誰かに流されたくないのだろう? 私の楽しみを無理に理解する必要などないよ」
そしてエミは、一瞬だけ無表情になった。
「私は誰にも理解されなくていい。私が『獲物』として、殺されたいと思えればそれでいい」
そんな、ことって。
いや、エミがそう言うのは当然だ。今まで誰もエミの全てを理解した人間なんていなかった。
柳端幸四郎はエミが棗を変貌させたと思い込んだ。
萱愛小霧はエミの思想が現実からの逃避だと決めつけた。
斧寺識霧はエミに父親の面影を見たけど、共感はできなかった。
空木晴天はエミを全く理解せずに、全てを否定した。
エミが求めた『狩る側の存在』である棗香車ですら、エミのことを『獲物』の一人としか見ていなかった。
今までエミの前に多くの味方も、敵も現れたけど、誰一人として彼女の考えに共感も理解もできていない。
そしてそれは、エミの支配者であるこの私も例外じゃない。
だからエミは、誰にも理解されなくていいと、誰かに理解されることなんて期待していないと言ってしまう。
いや、むしろ私はエミの願望を潰したんだ。エミの願望を真っ向から否定して、自分と共に生きることを強制したんだ。
エミを一番理解していないのは、他ならぬこの私なんだ。
「黛さん、大丈夫ですか?」
俯いて黙っていた私に、見計らったようなタイミングで弓長くんが声をかけてくれた。
「もしかして、気分が悪いんですか? それでしたらどこかで休みましょう」
「……黙って」
「え?」
「黙ってよ。アンタに何がわかるの? 私の苦しさも迷いもわかるはずがないじゃない。そんなアンタが、なんで私のことを好きだなんて、なんで言えるの!?」
とうとうこんな八つ当たりをしてしまった。わかってる。彼に怒鳴ったって何も解決しない。エミと私のわだかまりを、彼が解決するはずもない。そんな都合よく、私のために動いてくれるはずもない。
「言えますよ。僕は黛さんが好きだって言えます。あなたにどんなに拒絶されようと、あなたがどんなに僕を疑ってようと、僕はあなたが好きです。その部分を含めて好きなんです」
……なのになんで、彼はこんなに私に都合のいい言葉をかけてくれるんだろう。
「黛さんだって人間ですから、誰かを嫌いになることも疑うこともあるでしょう。でも、僕はあなたが誰かのために動いてくれる人だって知ってます。誰かを大切にできる、綺麗な心の持ち主だと確信しています。だから僕はあなたの隣に立ちたいんです。あなたが求めている人になりたいんです」
そう言って、包帯が巻かれた右手を差し出してくる。
「今日の僕は誰も傷つけません。だからこの手は、あなたを傷つけるものではありません。安心して、握ってください」
いいのだろうか。彼を、信頼していいのだろうか。
だけど、ここまで私を好きだと言ってくれる人の手を、払いのけるなんてできるわけもない。
「……ありがとう」
久しぶりに握った異性の手は、想像以上に大きかった。
数時間後、日が傾いて夕日が辺りを照らす頃、いくつものアトラクションを楽しんだ私たちは、そろそろ解散しようということで遊園地の正門前にいた。
「ひひひ、皆様……今日の会合はいかがでしたか?」
閂が笑いながら私を見ているが、何も答える気はない。その代わりに財前が答えた。
「あの、柏さんの新たな一面が見れて、すごく楽しかったです!ありがとうございます!」
「だ、そうだ。私も楽しかったよ。そちらの、弓長くんはどうだったのだね?」
エミに話を振られた弓長くんは、余裕のある微笑みを浮かべた。
「ええ、アトラクションはもちろん楽しかったですが、なにより黛さんのことを好きだともう一度伝えられたのがよかったです」
「ん? ルリのことが好き?」
「ちょ、ちょっと!」
エミにその話を聞かせたくはない。どうにか話題を逸らさないと……
「……あれ、もしかしてお前、瑠璃子か?」
そう思っていると、いきなり後ろから名前を呼ばれた。そう、名前を呼ばれたんだ。
『ルリ』でも『センパイ』でも『黛さん』でもない、『瑠璃子』と呼ばれた。
私をそう呼ぶ人間は、家族以外では一人しかいない。
「そうだよな? 瑠璃子だよな? 久しぶりじゃん!」
振り返った先に立っていたのは、予想通りの人物だった。長身で指先や髪を綺麗に手入れした清潔感のある美形の男。私の記憶と違うのは、髪色が金色ではなく黒であるという部分だけだ。
だからその姿を見れば、イヤでも思い出してしまう。コイツが私に何を言ったのか。
『瑠璃子さぁ、勘違いしてるっぽいけど、オレがお前を好きになるわけなくない?』
その言葉を思い出せば、私の身体は震えだしてしまう。
「おーい、瑠璃子。どうしたー? もしかしてオレのことわかんない? オレだよ、メイジだよ」
そうだ、コイツはメイジ。私もコイツをそう呼んでいた。コイツの下の名前を呼べる立場だと優越感に浸っていた。
それがコイツの策略だとも知らずに。
「……なんで、アンタがこんなところにいるのよ」
かろうじて絞り出した声は、はっきりと震えていた。
「なんでって、オレも友達とここに来てたんだよ。んで、帰ろうかってなったらお前がいたからさ。声かけたんだよ」
メイジは屈んで私に視線を合わせると、優しそうに笑顔を浮かべる。だけど私にはその笑顔は恐怖の対象でしかない。
「お前がなんか勘違いしてそうだったからさ」
コイツの笑顔は、あの時と同じように残酷な言葉を放ってくる前触れだからだ。
その証拠に、メイジは私の後ろにいるエミたちに目を向ける。
「ああ、君たち瑠璃子のお友達だよね。オレ、工藤明路って言います。まあ平たく言うと、瑠璃子の元カレっす」
私の消せない過去が、やっと手に入れた私の居場所に牙を剥いた瞬間だった。
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