「よろしいのですか? 小霧さん」
ファミレスを出て、黛さんたちの姿が見えなくなったのを確認してから、香奈芽さんは俺に声をかけてくれた。
「今回の件は元はと言えば俺の行動が原因です。これ以上黛さんを巻き込むわけにはいきません」
「ひひっ、そうですか……まあ、黛先輩に対してはそれで構いません……」
小さく笑った後、香奈芽さんは俺の前に回り込んでまっすぐこちらを見据えた。
「ですが、私に対してはそうはいきません……わかっていますね?」
「はい」
香奈芽さんが言っているのは、ほんの一時間前、弓長くんの家族を呼んだ時のことだ。
※※※
「弓長くん、立てるか?」
「……はい」
「ご家族に迎えに来てもらおう。連絡先を教えてくれ」
「……来てくれるとしたら、兄だと思います」
弓長くんから聞いた連絡先に電話をかけると、相手はすぐに出た。
『もしもし?』
「失礼します。僕は弓長波瑠樹くんの友人の萱愛という者ですが、波瑠樹くんのお兄さんですか?」
『はい、そうですが。波瑠樹がなにか?』
「実は波瑠樹くんが体調を崩しておりまして、迎えに来ていただきたいのですが……」
『……そうですか。すみません、すぐに伺います。M高校に向かえばよろしいでしょうか?』
「い、いえ。S市立大学の前にいます」
『……わかりました』
特に問題なく話は進んだが、俺の頭には違和感が残っていた。
電話の相手は弓長くんが体調を崩したことにも、M高校ではなくS市立大学にいることにも特に驚いた様子がなかった。それに今の電話は俺のスマートフォンからかけているので、家族からすれば本当に弓長くんが体調を崩したかを確認するために電話を代わってくれと言うはずだ。なのに今の相手は俺の言葉を疑うそぶりも見せず、まるでこうなることを予測していたかのようにこちらの指示に従った。
「小霧さん、大丈夫でしょうか……?」
「え、ええ。そういえば、黛さんは?」
「黛先輩の方も終わったご様子です……ですがまだ、お声かけはしないほうがよろしいでしょう……」
確かに見たところメイジさんと黛さんはまだ話し込んでいるようだ。弓長くんの傍に付いてお兄さんを待っておくか。
「波瑠樹!」
そう思っていると、ジャケットを羽織った男性が俺たちに走り寄ってきていた。
「あなたが連絡をくださった方ですか?」
「は、はい。萱愛です」
「弓長竜樹(ゆみなが たつき)と申します。この度は波瑠樹がご迷惑をおかけしました」
「いえその、俺はただ……」
「波瑠樹はやはり、誰かの言いなりになっていたんですか?」
「……!」
やっぱり、そうなのか。
弓長くんのお兄さん……竜樹さんは、弟の様子がおかしいことに気づいていたんだ。だから突然の連絡にも動揺しなかった。
「……兄である私が、もっとコイツのことを構ってやるべきでした。だからこんなことに……」
「とにかく、今日のところは家で休ませてください。また学校に来たら、俺が彼をケアします」
「学校ですか……私としては、もうM高校を退学させようかとも思ってます」
「え?」
「あの高校には危険が多すぎる。だから柳端くんもあんな目に……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
今のは……聞き違いか?
いや、聞き違いじゃない。この人は確かに『柳端くん』と言った。
「柳端に……何かあったんですか?」
「もしかして君は柳端くんの友達か? だったら、君には伝えておかないとならないか……」
「な、何を……」
「柳端幸四郎は、もう戻れないかもしれない」
「え……?」
言葉の意味がわからない。だが、ひとつ俺も知っていることがある。
柳端は今日は学校を休んでいた。弓長くんのことに気を取られて、あまり気に留めていなかった。
「どういうことですか? 柳端に……アイツに何かあったんですか!? あなたと柳端の関係は!?」
「申し訳ないが、私からそれを話すことはできない。これは柳端くん自身の意志だ。私からは言えない」
「それを……信じろと?」
「納得できないなら、後日また連絡してくれ。今日のところは波瑠樹を休ませたい」
納得できるはずもないが、今は間が悪い。弓長くんを休ませる必要があるのは確かだ。
「弓長くん」
だけど最後に、改めて言っておくことがある。
「君は俺に『たすけて』と言った。それが君自身の俺に対する『オーダー』だ。君がどうしてそうなったのか、どうして唐沢先生に尽くしたのかはわからない。だけど……」
彼の問題に、柳端も関わっているのだとしたら。
「俺と香奈芽さんで、必ず君を助ける」
それは、俺自身も関わっていかなければならない問題だ。
※※※
「ひひひ……あなたも大きく出ましたねえ……自分を騙してきた相手を、『必ず助け出す』と……」
「す、すみません」
「ですが……私としても柳端氏の現状は気になります……ひひ、あの方は小霧さん以上に抱え込むお方ですから……」
柳端に何が起こっているのかはわからない。つまり柳端は自分に迫る危機を俺にも相談しなかったということだ。『死体同盟』の時も、俺を気遣って相談しようとしなかった。
「香奈芽さん。俺は……あなたのことを最優先しています。でも、あなたに俺の善意も示したいんです」
「ええ、わかっております……あなたが善意で弓長氏も柳端氏も助けたいと願っているということは、承知しております……」
「わがままばかり言ってすみません」
「ひひ、それでしたら、私もひとつわがままを言ってもよろしいでしょうか……?」
「え?」
「もう一度、『香奈芽さん』とお呼びして欲しいのです」
「はい?」
……そういえば、いつの間にか俺は、この人のことを『香奈芽さん』さんと呼んでいた。
いや、そういえば、女性を下の名前で呼ぶのって、初めてのような……
「……」
やばい。それを考えたら急に恥ずかしくなってきた。いや、今更何を恥ずかしがってるんだ? 俺はこの人と一緒に生きるって本人にも宣言してるのに。
「あ、あの……か、香奈芽、さん」
「もっとはっきり呼んでください」
「香奈芽……さん」
「もっとはっきり」
「……」
香奈芽さんは容赦しない。俺がどんなに顔を赤くしようと、構わずわがままを言ってくる。
だけど、それでいいんだ。この人はずっと耐えてきた。他人の悪意から自分を守るため、ずっと強い自分を見せようとしていた。その一方で、俺にだけは自分のわがままを言ってくれる。
そのことが、俺だけが香奈芽さんのわがままをぶつけられることが、たまらなく嬉しかった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!