「どいてください。僕は『オーダー』に応えなければならないんです」
「瑠璃子を消すってのがテメエに求められた『オーダー』なら、どくわけねえだろうが!」
弓長の表情からは特に怒りも焦りも感じられなかったが、その言葉にはどこか必死なものがある。『誰かのオーダーに応える』という言葉は、コイツの根幹に食い込んでいるのかもしれない。
だとしても、オレからしちゃそんなことは関係ねえ。コイツが瑠璃子にとって危険な男であるなら、近づけさせるわけにはいかない。
「瑠璃子は……ちゃんと逃げたか」
弓長から視線を逸らさないように周囲を見て、瑠璃子も“腹黒”も大学から出たのを確認する。だったらもうこんな場所には用はねえ。警備員か大学の職員を呼んで弓長を捕まえてもらうことも考えたが、オレも部外者だし、さっき弓長を殴ったのを学生とかに見られてたらオレだけ捕まる可能性もある。だったらオレもさっさと逃げるか。
「もうお前は瑠璃子には近づけねえよ。他の女を探すんだな!」
相手と十分距離を取ってから、オレは出口に向かって全速力で駆け出した。
全く、オレらしくもねえ。とっくの昔に別れた女のために、こんな必死になってやがる。なんでこんなことしてるんだか……
ああそうだ。誰のせいでもねえ、オレ自身のせいだ。オレが瑠璃子を弄んだからだ……
※※※
「工藤くんって、彼女募集してるの?」
中学に入って一週間後、放課後の教室でオレにそう聞いてきたのは同じ小学校からの付き合いである、財前美衣子だった。
「なんだよミーコ、藪から棒に」
「えー? だって私たちもう中学生だよ? ていうか今だったら小学生で付き合うとかも当たり前だし。工藤くんだって女の子と付き合いたいって思ってないの?」
「そりゃあ、まあ……思ってるな」
「そうでしょ?」
ミーコはそう言って『にひひ』と笑っている。コイツとは家が近かったから、小学生の頃も一緒に遊んだりもした。六年生になると別のクラスになって少し疎遠になったが、中学に上がって再び同じクラスになり、こうしてまた話すようになった。
確かに中学に入ったことで、女子との交際を意識する男友達も何人かいるし、オレも興味はある。だけどまさかミーコがそんなことを言ってくるとは思ってなかった。
「それで工藤くんって、誰か好きな子っているの?」
「好きな子も何も、まだ中学入って一週間だぞ。同じクラスの女子すらまだはっきり覚えてねえんだから好きになりようがねえだろ」
「だったら、はっきり覚えてる女の子ならその気になる?」
「は?」
言葉の意味を理解しないうちに、ミーコの両手がオレの右手を握っていた。
「お前……」
「私だって、気になる男子がいてもおかしくないじゃん。中学生なんだから」
ミーコと手を握るのはこれが初めてだ。そして同時に、コイツの手がオレよりも遥かに小さくて細いことを知った。
ああそうだ。中学に入って再び話すようになって、オレは以前よりミーコを女子として意識していた。小学生の頃のコイツを知っているからこそ、今のミーコにより惹かれていた。
「工藤くんのこと、小学生の頃から好きだったんだよ?」
その言葉がオレの心に染みわたった。
そうか、オレ……こう言われて素直に喜べるほどに、コイツのことが好きだったんだ。そう思えたから、ミーコの告白を受け入れようと思ったんだ。
この時のオレは、お互いのことが好きであるなら何も努力せずにその関係を保てると何の根拠もなく信じていた。
こうしてオレとミーコは付き合い始めたが、オレとしては別にクラスメイトに告げることでもないと思ったし、ミーコと学校でイチャつくのも感じが悪いから表向きはお互い単なる友達として接していた。
だがそのことが、思わぬ事態を招くこととなった。
「ねえ、工藤くんって彼女いるの?」
「メイジくん、なんで誰とも付き合わないの?」
「メイジってフリーなんだよね? ねえ、そうなんだよね?」
中学に入ってから一ヶ月後、同じクラスどころか同学年の多くの女子たちから毎日のようにこんな質問をされるようになり、ミーコと接する時間がどんどん減っていってしまったのだ。正直、あしらうのはかなり面倒くさかったし、なるべくミーコと一緒の時間を過ごしたい。
付き合い始めて一ヶ月。オレはミーコにある提案をした。
「え? みんなに私たちの関係を打ち明ける?」
「ああ。と言ってもみんなを集めて公表するとかじゃない。隠れて付き合うのをやめるってだけだ」
「えっと、それは私が工藤くんの彼女だってことをみんなにも明かすってことだよね?」
「そうだ。別に問題ないだろ? オレがミーコと付き合ってるってのは事実なんだし」
「う、うん……そう、だよね」
そう言いながらも、ミーコの態度にはどこか歯切れの悪いものがあった。小学校の頃はもっとハッキリものを言う印象があったが、コイツにも何か変化があったのだろうか。
「あのさ。工藤くんってその、自分が周りにどう思われてるかって、あまり気にしてなかったりする?」
「全く気にしてないことはねえよ。だとしても、オレはオレだ。ま、こう思うのも親の影響だってのは自覚してるけどな」
「工藤くんのお母さん、有名だったらしいもんね」
オレの母親は昔、テレビで見ない日はないと言われるほどの女優だった。だがある時、ドラマの撮影で泊まったホテルでホテルマンとして働いていたオレの親父と意気投合し、そのまま結婚。同時に若くして芸能界を引退したそうだ。本人曰く、「何人もの人に輝く自分を見てもらうよりも、お父さんに自分を見てもらえる喜びの方が大きかった」だとか。親父も母親の選択に納得し、自分の人生に母親の人生を含めることを決めた。
こうしてホテルマンの親父と元女優の母親の間に生まれたのがオレというわけだが、二人とも見た目が重要である仕事をしていたからか、オレは両親に身だしなみやマナーに関してだけは徹底的に教育された。
『メイジ。アンタは見た目はいいけど、それはデメリットになることもある。見た目がいいからこそ、それ以外の細かい動作が余計に見られちゃうこともある。お父さんがアンタに姿勢や食事のマナーを口酸っぱく注意するのもそれが理由なのよ』
母親の言う通り、親父と一緒にメシを食う時に箸で器を引き寄せたり肘をついたりしようものなら、地震でも起こったかのような勢いで叱られた。オレとしてもそのことに恐怖と不満は感じていたが、不思議と腹は立たなかった。たぶんそれは、親父がその後にちゃんとフォローを入れてくれたからだろう。
『今の世の中、人間を見た目で判断しちゃいけないって風潮にはなってるが、礼儀やマナーが重要なのは昔も今も変わらない。父さんも随分それで苦労したよ。言葉遣いは大人になってからでも直せるが、身体に染み付いた細かい所作を変えるのは難しいんだ。父さんや母さんはメイジのことを好きだけど、他の人がお前を好きになるかどうかはそういった身だしなみや礼儀、つまり他人から見える部分に左右されるんだ』
両親のこうした教育によって、オレは今に至るまで、男女問わず明確な嫌悪感を向けられることなく生きてきた。だからこそ、両親の教えが間違ってないと確信している。
「ミーコ。仮にオレたちの関係に口出しするヤツがいたとしても、オレはお前が好きで、お前はオレが好きなんだ。それでいいじゃねえか」
「う、うん。そう、だよね……」
オレの言葉で笑顔を浮かべたミーコを見て、自分の選択が間違ってないのだと安心した。
だがオレはまだ気づいていなかった。誰かと付き合うということが、当事者だけの問題に収まらないことに。
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