高校を卒業して二年余り、季節は初夏になり暑くもなって来た。
バイトを掛け持ちして必死に稼いだことで、金もかなり貯まった。ミーコも早くオレと一緒に住みたいと言っていたし、引っ越し先と就職先を探し始めようと考えていた頃、バイト先のレストランに妙な女が現れた。
「いらっしゃいま、せ!」
黒く重たい前髪で顔の右半分を隠した若い女だった。個人的にはこういう髪型の女は好きじゃないが、今のオレはレストランの店員であり、この女は客だ。一瞬声が詰まってしまったが、挨拶が疎かになってはいけない。
本音を笑顔の裏に隠し、女をテーブルに案内した後、グラスに水を入れてテーブルに置く。
「こちら、お水です。ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
女は置かれた水にもメニュー表にも目もくれず、じっとオレの顔を見てくる。気持ち悪いとは思ったが、当然その思いを顔に出すなんてヘマはしない。
「ひひっ……あなたが工藤メイジさんでよろしいでしょうか……?」
名前を呼ばれたことで、コイツに対する気持ち悪さは更に増した。ただ、動揺はしない。今までもオレの顔を見て、逆ナンまがいのことをする女は何人か来店してきたことがある。そいつらへの対処も慣れっこだ。
「申し訳ありませんが、そういった個人的な質問にはお答えできません。ご注文をお願いします」
「……ご注文、ですか。ひひっ……私の注文は、あなたの元恋人の危機を救ってほしい……というところでしょうか……」
「は?」
「黛瑠璃子さんをご存知でしょう……? ひひっ……なにせあなたの元恋人ですからねえ……」
「!!」
コイツ、まさか瑠璃子のツレか何かか!? アイツに頼まれて、オレに復讐に来たってことか?
いや待て、おそらくだが瑠璃子は今さら復讐なんて考えねえ。やるとしたらもっと早くやっているはずだ。コイツがオレの過去を知って脅しに来ている可能性も考えたが、瑠璃子を弄んだ事実をバイト先に公表されたところでオレは構わないし、コイツに金を渡すなんてマネもしない。
大丈夫だ。この女の思い通りになんてさせない。やっとミーコとの将来も見えてきてるんだ。
「ひひひ……そう警戒なさらないでください……先ほども申し上げましたが、あなたには黛先輩を救っていただきたいのですよ……ひひっ」
いきなり現れた怪しい女に『瑠璃子を救え』と言われたところで素直に聞くつもりもない。だがコイツがオレや瑠璃子の過去を知っているのは間違いない。下手に拒絶すれば、何をしてくるかわからない。
いや、それ以前にコイツの言葉が真実であれば、瑠璃子には何らかの危機が迫っているということだ。オレが瑠璃子を弄んだという事実を知っているはずなのに、オレに瑠璃子を救ってくれと言うのはおかしくないか?
「メイジさんもお仕事中でしょうから……終わりましたらこちらの連絡先にメッセージを送っていただければ、後日改めてお話の場を設けましょう……ひひっ」
女は無料通話サービスもあるSNSのIDが書かれたメモをオレに見せてきた。
「……オレにテメエの言うことを聞くメリットがあると思うか?」
仕事中にも関わらず口調が崩れてしまったが、それがオレの動揺を相手に見せる結果となった。
「ひひっ、メリットがあるかどうかは問題ではないでしょう……? あなたにとって重要なのは、黛先輩が危ないかもしれないというその一点でございます……ひひひっ」
「……くそっ」
ああそうだ、オレは気になってしまっている。瑠璃子に迫っている危機が何なのか。そしてその危機が、自分が招いたものなのかを。
オレにコイツの連絡先を受け取らない選択肢はなかった。
数日後。オレはあの女にメッセージを送り、こちらが指定したファミレスに呼び出した。
「ひひっ、ご連絡いただきありがとうございます……」
場所を指定したのはオレであるにも関わらず、この女は余裕の顔で向かいに座ってくる。それが妙にムカついたし、このまま主導権を握られるのも危ない。
「ノコノコ現れやがったな。下手なマネしたら、お前を取り囲む準備は出来てるんだぞ」
「おやおや、見かけによらず荒事には慣れていないのですねえ……そういった脅し文句はもっと具体的に相手の弱点を突く形で仰らないと効果はありませんよ? 例えば……」
女はスマートフォンの画面をオレに見せてきた。
「『私を殴るようであれば、愛しの彼女との未来が崩れてしまいます』。こういう風に言っていただかないと。ひひひ……」
「……!!」
スマートフォンの画面には、卒業アルバムに載っているミーコの写真と名前が映っていた。
つまりコイツはオレとミーコが交際していることや同棲を控えていることも既に調べていて、そんなオレがコイツを本当に殴ることも脅すこともできるはずがないと確信した上でここに来ている。
どうやら下手な小細工は通用しないどころか状況を悪化させるようだ。ここは素直に相手の要求を聞くしかねえか……
「では本題に入りましょう……先日も申し上げましたが、あなたには黛先輩を救っていただきたいのですよ……」
「そうかい。だがオレとしちゃ、いくら元カノが危ねえからって、正体もわからねえ女の言う通りにする気はねえな。お前が瑠璃子の友達なら、自分で助けろよ」
「ええ、その通りでございます。ですが今回の敵はあまりにも厄介でしてねえ……ええ、その方は黛先輩の理想の彼氏を演じているのでございます……」
「演じている? つまり変な男に引っかかっちまったってことか。なら心配ねえよ。瑠璃子はそれくらい自分でなんとかするだろ」
「はっきり申し上げましょう。黛先輩は弓長波瑠樹という男に騙され、場合によっては命を狙われている状況にあります」
「なんだと?」
瑠璃子が命を狙われている? そんなヤバい状況にあるってのか?
いや、もし本当にそうなら、コイツがやるべきことはまず警察への通報だ。オレに頼むことじゃない。
「ひひっ、ですがまだ何も起こっていない状況でしてねえ……警察に通報しようもないのですよ……そこで工藤メイジさん、あなたの出番というわけです」
「何も起こってないなら、瑠璃子の命が狙われるかどうかもわからねえだろうが」
「……黛先輩が、ここ数年で何度も命の危機に晒されていると聞いても、そう言えますか?」
「命の危機って、そんな大げさな……」
「つい先日も、誘拐されて殺されかけてましたよ?」
「……は?」
「それだけではありません。二月には後輩の女子に指を切り落とされそうになり、四月には屈強な男に時計を投げつけられ、五月には怪しい団体にお友達を攫われ……」
「待て待て待て。一気に情報を出してくるな」
「ひひ……では順を追って説明しましょう……ひひひ」
女は、高校に入ってからの瑠璃子がどんな状況にあったのかを語り始めた――
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