柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第五十話 墓参り

公開日時: 2024年12月18日(水) 20:00
文字数:4,803


 【8月1日 午前11時30分】


「突然すみません」

「いいえ、柳端やなぎばたくんならいつでも大丈夫よ」


 『スタジオ唐沢からさわ』との戦いから二日後、俺は夕飛ユウヒさんと一緒にとある霊園を訪れていた。理由はもちろん……


「……ここに香車きょうしゃが眠ってるんですね」


 『なつめ家』と書かれた墓。香車が死んでもうすぐ四年になるが、俺がこの墓の前に立つのは初めてだ。

 ずっとここに来れずにいた。来てしまえば香車の死を残酷なまでに突き付けられるだろうから。だからずっと来れなかった。


 しかし今日ここに来る決意をしたのは、大切な人間の死を受け入れられなかった者の末路を知ったからだ。


「香車……」


 覚悟はしていたはずだったが、気づけば両目から涙が溢れていた。

 もしかしわが香車の前に現れなければ。

 もし楢崎ならさきの接触に俺が気づいていれば。


 俺がもっと、上手くやれていれば。


 しかしその『もしも』をいくつも考えているのは俺だけじゃない。きっと夕飛さんはその何倍もの『もしも』を考えていたはずだ。


「ありがとうね、柳端くん。あの子のためにここに来てくれて」


 夕飛さんの言葉にとっさに反応してしまう。

 そうだ、俺は墓前で何を考えているんだ。


「違うんです、夕飛さん。俺は自分自身がアイツの死と向き合うために来たんです……お礼を言われるようなことじゃありません」

「それも含めてありがとうって言ってるの。少なくとも香車の存在はそれだけ君の中で大きかったってことでしょ。息子がそれだけ想われてるなら、親としては嬉しいに決まってるでしょ」

「夕飛さん……」

「柳端くんさ。香車は間違っていたと思う?」

「え?」


 どう答えるか迷ったが、ここで嘘偽りを言うのは失礼にあたると思ったので本心を告げた。


「……間違っていたと思います。どんな理由があっても、楽しみのために人を殺すなんて道は、俺には受け入れられません」


 俺は一度綾小路あやのこうじを殺す疑似体験をした時、あまりの強烈さに嘔吐した。だが香車はあれを日常に組み込もうとしていたのだ。やはりそれだけは理解できない。


「そうよね。私も間違っていたんだと思ってる。そして私も朝飛アサヒも柳端くんも、あの子の間違いを正せなかった」

「はい……」

「だけど仮に間違っていたとしても。香車は私の息子なのよ」


 夕飛さんは墓石に手を置いて撫でた。


「私ね、実の母と約束したのよ。『たとえ怪物だったとしても家族を見捨てることはしない』って。確かにあの子の中には許されない欲望があった。そして私はそれを抑えられなかった。だけど……」


 夕飛さんの手が墓石を掴む。


「香車も槍哉そうやも朝飛も、私の家族でいてくれた」


 そしてその手が今度は俺の胸に置かれた。


「だから嬉しいのよ。香車が君の中にちゃんと存在してくれてることが。私の家族が、君の心の中にちゃんと存在してくれるのが」

「あ……」

「だから、ありがとう柳端くん。私の息子と友達でいてくれて」


 そうだ。アイツがどんな選択をしたとしても、アイツがどんなに間違っていたとしても、俺がアイツを友達だと思っていたのは変わらない。


 香車の選択を止められなくても、俺はアイツの友達だった。


「ありがとうございます、夕飛さん」

「うん、私がやれることで君の心が軽くなったならよかったよ」


大丈夫だ、俺は香車の死を乗り越えられる。もうアイツの幻影に縋ったりはしない。


「もう行くの?」

「ええ。これから会いに行かないといけない人間がたくさんいるので」

「本当に柳端くんは真面目だね。ここにはいつでも来ていいからね」

「ありがとうございます」


 夕飛さんに見送られて、俺は病院行きのバスに乗りこんだ。



 【8月1日 午後1時32分】


沢渡さわたりさん、お見舞いに来たよ」

「ヒャハハ、随分と不機嫌そうじゃないか佳代かよ嬢」

「誰のせいだと思ってんの?」

「知らないねえそんなの」


 病室に入るやいなや、生花と綾小路は口喧嘩を始めた。

 病院に行く途中、綾小路から連絡があったので生花いけばなの見舞いに行くと伝えるとなぜか一緒に行くと言い出したので連れてきたが、思っていた通りに険悪な雰囲気になってしまった。


「おい。わざわざ見舞いに来た人間にケンカを売るな。今回の件はお前にも原因があるんだからな」

「ていうか沢渡さんが一方的に悪いでしょ。わざわざ助けに行って巻き込まれた柳端くんは何も悪くないよ」

「待て待て、お前はお前でケンカを買うな。それでだ生花、傷の調子はどうだ?」

「痛みよりもヒマな時間の方が何倍も苦痛さね。んで、そっちのちんちくりんは何しに来たんだい?」


 生花の視線の先には、少し肩身が狭そうに目を逸らす紅林くればやしが立っていた。一緒に病院に来たわけではなく生花の病室の前でウロウロしていたのを俺が見つけると、『アニキ、一緒にいてください!』と言って一緒に病室に入ったという流れだ。


「あー、ははは……その……こ、この間はどうも」

「『この間はどうも』ってのは、幸四郎こうしろうの妹気取ってアタシにケンカ売ったこと蒸し返してんのかい?」

「だからケンカを売るな。コイツも見舞いに来たに決まってるだろ」

「コイツがアタシの見舞いねえ? ヒャハハ、リベンジしに来たの間違いじゃないのかい?」

「ち、違います! その、この間のこと、謝ろうと思って……」


 そう言って紅林は深々と頭を下げる。


「その……私の身勝手で、沢渡さんにも迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ありませんでした」

「ふーん、じゃあアンタはアタシに何をしてくれるんだい? この場でアタシと寝てくれって言われたら、おっぱじめられんのかい?」

「え? えーと……?」

「いい加減にしろ生花。だいたいお前はこの間コイツを蹴り飛ばしただろうが。俺からすればどっちもどっちだ」

「へえ、随分と肩を持つねえ。一度はかわいい妹になった女を見捨てられないってか?」

「ああそうだ」

「あ?」

「理由はどうあれ、俺は一度はお前と交際した。だからお前のことも見捨てられなかったから助けた」


 生花と交際したのは香車に手出しされないためだったが、それでも俺は少なからずコイツの内面を知った。コイツにはコイツの事情があり、刹那主義とも言える生き方は理解できなくとも、それを選ぶ理由があることは理解した。

 俺がその事情を理解できずに突き放したせいで生花が唐沢に利用されていたのなら、コイツを見捨てて逃げるわけにはいかなかった。


「……アンタぁ、そりゃアタシがそっちのちんちくりんと同列ってことかい?」

「は?」


 しかしなぜか生花は急速に不機嫌になったと思うと、今度は高笑いして俺を指さした。


「ヒャハ、ヒャハ、覚悟してなよ幸四郎ぉ! 退院したら真っ先にアンタのとこに行って、自分の立場を思い知らせてやるからねえ!」

「おい、何言ってる?」

「あれぇ、沢渡さん。『退院したら』とか、未来のこと言っちゃってるじゃん。アンタ、今が一番重要なんじゃなかったの?」

「うっさいねえ佳代嬢! 調子乗ってんならアンタから先にぶちのめしてやるよ!」

「バカ、病院で騒ぐな。まあその調子なら退院はもう少しだろうな。頑張れよ」

「……クソが! 早く帰れ!」


 再び不機嫌になってしまったので、病室を後にした。



 【8月1日 午後1時50分】


 病院のロビーに戻った俺はベンチに座って綾小路に声をかけた。

 

「悪かったな。大丈夫だったか?」

「いや、アタシは別に気にしてないよ。むしろちょっと気分良かった」

「そ、そうか?」


 俺にはただ単に険悪な雰囲気にしか見えなかったが。


「しかしアニキ、カッコよかったんすねえ。あの人があんなに夢中になるくらいなんですからね」

「アイツは俺をからかってるだけだ。今回のことで多少懲りてくれればいいんだが」

「……マジで言ってます?」

「何がだ」

「まあいいっすよ。それがアニキの良さっすからね。それで今日はこれで解散っすか?」

「いや、これからまだ会わないといけないヤツらがいる」

「え?」

「ちょうど来たようだな」


 視線の先には、いつも通りの堅い表情をした萱愛かやまなといつも通りの不気味な薄笑いを浮かべたかんぬきがいた。


「柳端。大丈夫か?」

「ああ、俺は特に怪我はない。生花の見舞いに来ただけだ」

「……さっき、まゆずみさんから二日前の出来事は聞いた」

「そうか。それなら俺から説明はいらな……」


 だが俺が話を終えようとする前に萱愛は頭を下げた。


「済まなかった!」


 突然の大声に綾小路や紅林が驚くが、閂は無表情だった。頭を上げた萱愛は悔むように目を閉じていた。


「なぜお前が謝る?」

「今回の一件は俺が柏先輩のことを唐沢先生に教えたせいで起こったことだからだ」


 俯いて顔をしかめる萱愛の言葉は予想通りのものだった。だから言ってやる。


「うぬぼれるなよ」

「え?」

「お前が柏のことを教えなかったら、唐沢は暴走しなかったとでも言いたいのか? お前にそんな他人の人生を操作できる力があると思っているのか?」

「い、いや、そんなことは……」

「だったらアイツが柏を憎んだのも、今回の件を引き起こしたのも全部アイツの選択だろうが。むしろお前は利用された側なんだぞ? 恨みこそしても、責任を感じる必要なんてない」

「そう……だな」


 偉そうに説教しているが、俺も同じだった。あの時点の俺が何をしたところで、香車の心は変わらなかっただろう。柏を殺し、俺を殺し、全てを切り捨てて自分の愉しみのために生きていただろう。

 香車を止めたのは俺じゃなくて黛だった。俺はその事実から目を逸らし続け、柏たちを恨み続けた。俺も唐沢と何も変わらない。


「ひひっ、感謝しますよ柳端氏……小霧こきりさんは背負いこんでしまう性格ですからねえ……あなたと同じく」


 俺の周りにいる女はいちいち相手にケンカを売らないと気が済まないヤツばかりなのか? まあ閂からしたら萱愛が一方的に説教されるのも面白くはないんだろう。

 そう思って納得しかけたところに綾小路が口を出した。


「あのさ閂さん、一個聞きたいんだけど」

「なんでしょう?」


「なんでわざわざ柳端くんに今のセリフ言わせたの?」


「……どういう意味でしょうか?」

「アンタなら萱愛くんが頭を下げたタイミングで『あなたのせいではありません』って言えたでしょ? でもアンタは黙ったままで柳端くんに代わりに言わせたんだよね?」

「ひひっ、買いかぶりすぎですよ……私は常にベストなタイミングで言葉をかけられるわけでは……」

「うん。だから柳端くんに言わせるのがベストだったんでしょ? アンタの思惑通り」


 綾小路の言葉を受けて閂は口を閉じた。


「そりゃそうだよね。アンタが萱愛くんに『あなたのせいではありません』って言っても優しい言葉になっちゃうし、萱愛くんが余計追い込まれちゃうもんね。だから柳端くんに同じこと言わせるように誘導した。違う?」

「……そうだったとして、何か問題ありますか?」

「別に問題ないよ。ただ他人のこと言えないじゃんって思っただけ」

「はい?」


「萱愛くんが思い悩んでるから、どうにかしなくちゃって背負い込んでたのは閂さんに同じじゃん」


「……!」


 一瞬、閂が口を噤んだように見えた。


「うん、やっぱりいい日だよ今日は。やっと閂さんに一回やり返せたし」


 朗らかに笑う綾小路を見て思う。

 人間に他人の人生を好きなように操作できる力なんてない。だけど綾小路は俺や生花、それに閂との関わりの中で間違いなく変わった。

 いつか、俺も。コイツらとの関わりの中で、香車のことを思い出のひとつとして受け止められる時が来るのだろうか。

 その時、携帯電話が鳴った。通話に出ると高い女の声が聞こえてくる。


『もしもし、柳端?』

樫添かしぞえか。大丈夫だったか?」

『それなんだけど、今から会える? 柏ちゃんや黛センパイも一緒なんだけど』

「なに? わかった」


 樫添の声には少し不機嫌なトーンが感じられた。そういえば俺はアイツに黛を騙す通話をさせたことをまだ謝ってない。おそらく用件はそれだろう。


「悪い、ちょっと柏たちに会ってくる」

「え? あー、うん。わかった。終わったらまた連絡くれる?」

「ああ」


 綾小路が少し残念そうな顔をしているのを見た後、樫添のところに向かうことにした。



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