次の日。
俺はちょうど非番だったので、行動に出ることにした。
昨日、自宅で地図を広げ、柏の通学路とされるルートから、人通りの少ない場所に当たりをつけた。
そして、停車した車の中で柏を待っていると、案の定奴は来た。
なんというか、全く警戒していないというか、誘っているのかとも思えるほど隙だらけだった。
だから、俺は柏の背中にスタンガンを喰らわせた。
「ぐっ!」
呻き声を上げた柏はあっさりと動きを止めた。
俺は素早く、車の中に連れ込み、一気に車を発進させた。
そして俺は今、いつも狩場に使っている、廃病院にいる。
両手を縛られた、柏と一緒に。
「残念だったなあ、名探偵さん。世の中そううまくいかないってことだよ」
柏は体の前で縛られた両手をじっと見ている。もっと、取り乱すと思ったが、まあいい。
「じゃあ、狩りの始まりだ。だが、なんのチャンスも無しに殺しちゃ可哀想だからな。そのままの状態で、俺から一時間逃げ切れたら、解放してやるよ」
その言葉に、柏がピクリと反応した気がする。
やはり、ただのガキか。完全にビビってやがる。
「よーい、スタート!」
俺がそう言うと、柏は一目散に病院の奥に走っていった。入り口は俺が塞いでいるし、そうするしかないだろう。
だが、この病院は最上階である四階以外は窓が封鎖されている。明かりくらいは入るが、窓から脱出するのは不可能だ。
そして、4階から飛び降りれば、高確率で死ぬ。
つまり、完全に柏は詰みだ。逃げられるわけがない。
俺は手にしたサバイバルナイフと特殊警棒を振り回し、口笛を吹きながら、柏を探した。
一階から三階にはいなかった。そうなると四階だろう。案の定、柏は四階にいた。窓越しで、上半身しか見えないが、ベランダで呆然としている。
「おいおい、もっと必死になって逃げろよ。いくら、絶望的だからって、これじゃ俺が楽しめないだろ?」
「……絶望的?」
柏の顔はいつも浮かべている微笑ではなく、無表情だった。
なんだ? 恐怖でどうかしてしまったのか?
「……いくつか質問したいのだが」
急に、柏の雰囲気が変わった気がした。
「ああ?」
「……この場所の下調べはしたのかね?」
下調べ? そういえば、こいつが何か言っていたような……
「ここはいつも、狩りに使っているんだよ。だから、間取りはよく知っているぜ?」
「そうか、じゃあ最近は下調べをしたのかね?」
さっきから何を言っているんだ?
「そんなの、今から死ぬテメエには関係ねえだろうが!」
この状況でも、いつもの口調を崩さない柏にイライラする。もっと泣き喚けよ、獲物なんだからよ。
「……やはりか、まあ最初からあまり期待はしていなかったよ。獲物に対して、チャンスを与えたり可哀想などと言った時点で大体わかってはいたが」
「さっきから、何を言ってるんだよ!」
「直截的な表現でないと、わからないかね?」
そして、言う。
「私は君に失望した」
予想もしなかった言葉を言う。
「そう言っているのだよ」
失望? 俺に? どの部分に対して?
いや、そういう問題じゃないだろう。
「失望だぁ!? 自分の立場がわかってんのか!?てめえは獲物だ! 失望なんて出来る立場じゃねえんだよ!」
「そう、本来であればそうだ。だが、君があまりにお粗末なのでね。失望する他なかった」
クソが。相変わらす言動が意味わからねえ。
もういいか、さっさと殺して――
「獲物にこのような希望を与えてしまうのだからね」
そう言いながら、ベランダの入り口に移動した柏の手には――
「な……に!?」
――その動きを封じていた縄は無く、代わりにデカい鉈が握られていた。
「て、てめえ! どこからそれを!?」
「君に宣戦布告した前日からだよ」
「え!?」
「三日前にここに来て、置いておいた」
……何だと!? 事前にここに置いていたっていうのか!?
じゃあ、こいつは――
俺に、ここに連れ込まれることを予期していた!?
「どうしたのかね?」
俺が動揺している間に、柏がまた予想もしない言葉を言う。
「なぜ、早く私の腕を切り落として、鉈を使えないようにしない?」
「……え?」
何だ? このタイミングでその発言は何だ?
「早く行動を起こさないと、獲物はこんな物を取り出してしまう」
そう言った柏のもう片方の手には、携帯電話が握られていた。
「携帯電話か? 無駄だぜ、ここは圏外……」
「ふむ、やはりその程度なのか、君は」
柏が呆れたように言う。さっきからこいつのこの態度は何だ?
「この携帯電話だが、少し変わっていると思わないか?」
変わっている? そういえば、何か見た目がゴツいような……
「これは衛星電話というもので、地上のアンテナではなく、衛星を経由して通話をするものだ。室内では通話は難しいが、このベランダのように空が見える場所なら通話も出来る。そして……」
柏の口から、衝撃的な言葉が出る。
「通常なら、圏外となる場所でも外部と連絡が取れる」
なっ!? じゃあ、まさかこいつは、俺がここに来るまでに外部と連絡を――!? まずい、早くここから逃げ……
「取っていないよ」
「……は?」
「外部と連絡など、取っていない。あくまでこれを使えば、連絡が取れるというだけの話だ」
と、取っていないのか。なら、ここに警察は来ない。
良かった……
いやいや、おかしいだろ。
何でこいつはそれを俺に教える?
ハッタリか? いや、ハッタリをするなら逆だろ。
連絡が取れていないのに、取れたというハッタリじゃなきゃおかしいだろ。
連絡が取れたのに、取れていないというハッタリは何の意味もないだろ。
じゃあ、こいつは本当に外部と連絡を取っていない。そのチャンスがあったのにも関わらず。
「ところで、先ほど君はこう言ったね。圏外だから無駄だと」
「え!? あ、ああ……」
「つまり君はここは圏外だから、私から携帯電話を没収する必要は無いと考えたわけか」
まあ……確かにそうだ。
でも何で俺は、それをこいつに指摘されているんだ?
「……るい」
「えっ?」
「手緩い、手緩い、手緩い!」
「な、何が……」
「手緩いのだよ! 君のやり方は! こんな事で動揺するのなら、なぜ最初から携帯電話を没収しなかった!?」
いや待て、何だ!? さっきからこいつの異常な発言は何だ!?
「なぜ私の手を後ろに縛らない!? なぜ狩場の下調べをしておかない!? なぜ私から携帯電話を没収していないんだ!?」
違和感だ。こいつの発言には……
いや違う。出会った時から、ずっと違和感があった。
「足りないのだよ! 君のやり方には! この身を恐怖と快感で震え上がらせる、容赦ないまでの絶望が!」
何を……言っている!?
「もし、いずれ私を狩るであろう『彼』が君と同じ条件で、私を狩ろうとするならば……私から一切の衣服を奪い、手と足を縛り、尺取虫のようにしか動けない私を嘲笑った後、指を一本ずつ切り落とし、両足の腱を切断し、私に絶望をたっぷり味あわせてから、滅多刺しにするだろう。まあ、あくまで私の想像だがね」
なぜそんな想像を、そんな恍惚の表情で語れる!?
さっきからこいつは、助かる希望を不満のように言っている。
逆だ、全ての価値観が――
――常人と、逆だ。
「さっきから、何を言ってやがる! てめえは黙って俺に殺されれば……」
「ならばなぜ、私を狩りに来ない!? 獲物である私をなぜ狩りに来ない!?」
そうだ、こいつの違和感の正体。
俺が今まで出会った人間は、守られて当然と思っている奴らばかりだった。警察官として会った奴も、狩りの時に会った奴も。
だが、こいつは違う。
狩られて当然だと思っている。
自分が獲物である状態が普通だと思っている。
自分が殺されるのが自然だと思っている。
自分を殺す存在を……待ち望んでいる。
そんなことを考えている存在が……
人間と、言えるのか?
いや待て、こいつのペースに呑まれるな。
武器を持っているとはいえ、所詮は女。しかも、女があんな鉈を振り回せるわけがない。
大丈夫だ。勝機はある。
「言われなくても、今、殺してやるよ!」
だが、その言葉に再び予想外の回答が帰ってくる。
「私を『殺す』のか? 『狩る』のではなく?」
その言葉で気づいた。気づいてしまった。
俺はこいつと戦おうとしている。いつのまにか、狩りではなく戦いになっている。
「気づいたかね? 君は自分で……」
待て、それ以上言うんじゃない。
「私と自分を対等の立場にしてしまったのだよ」
それで、完全に自覚してしまった。
俺はこいつをもう、獲物として見れない。
自分を優位だと思えないから、獲物として見れない。
こいつを理解出来ないから、自分を優位な立場に置けない。
俺はもう、こいつを殺すことは出来ても、狩ることは出来ない。
なぜなら――
こいつを殺そうとすると、どうしても、恐怖という「理由」が出来てしまうから。
俺はこいつを理解できない、だから恐れてしまっている。
だから、こいつの恐怖から逃れるためという理由でしか、こいつを殺せない。
殺したいから、殺すということが出来ない。
だめだ、こいつと話していると俺がおかしくなってしまう。
そうだ、さっさと殺して……
殺して……その後どうなる?
今までは楽しいから、殺した。
だがこいつの場合は苦しいから、殺す。
こいつから逃げるために殺す。
だから、こいつを殺したらこの殺人は特別なものになってしまう。
こいつの恐怖を忘れられなくなってしまう。
だめだ、こいつと関わっては駄目だ。
殺したということですら、関わっては駄目だ。
この場は逃げ――
「うっ!?」
だが、いつのまにか目の前の存在は、鉈の柄の部分を俺の喉元に突きつけていた。
「待ちたまえ。君の用事は済んだかもしれないが、私の用事はまだ済んでいない」
何だ!? これ以上何があるというんだ!?
「お、俺を……殺すのか?」
「殺す?……くっくっく」
そして柏は――
「くっははははははははははは!」
異常としか思えない笑い声で、笑った。
「君は本当にわかっていない。私は獲物、狩られる側の存在だ。いずれ『彼』に狩られる存在だ。そんな私が、誰かを殺すなど、おこがましいとは思わないかね?」
無理だ。こいつを理解するのは、一生無理だ。
だから、こいつの用事とやらを予想するなど無理だ。
「君にお願いがある、この街を出て行ってもらいたい」
「なん……だと!?」
「私はこの街を狩る側の存在である『彼』の縄張りにしたい。だから、君の不用意な行動で獲物が減ったり、狩りがやりにくくなるのは困るのだよ」
「そ、そのお願いを断ったら……?」
「断ったところで、私は君に何もしないよ。君が狩る側であれば、獲物である私のお願いを聞くわけがない。まあ、そうなったら……」
そして、こいつは言った。
「狩る側の存在である『彼』が直々に出向いて、君と縄張り争いをするだろう」
翌日。
俺は隣町の警察署で、取調べを受けていた。
「連続失踪事件」の重要参考人として。
あの後、すぐに廃病院を出て、あの街を出た。
あの場所に、あの街に、あの存在の前に、一秒でもいたくなかった。
あの異常な女に関わっていたくなかった。
だが、それ以上にあの街を出る理由があった。
あの女の言うことが真実だとしたら、あの街には――
あんな異常な存在を、狩ってしまう存在がいる。
あんな異常な存在を、狩りたいと思う存在がいる。
そして俺が思うに、そいつはもう――
――人間とは、言えない。
※※※
私は自宅のテレビで、警察官が連続殺人の罪で自首したというニュースを見ていた。それを見ながら、今回の行動を反省する。
正直、危ない橋を渡ったと思う。
うまくはいったが、殺されてもおかしくはなかった。
まあ、狩られることはないとは思っていたし、こんな証拠を残してしまう者が、大した相手とは思えなかった。
私は手に持った、ボイスレコーダーの再生ボタンを押す。
『真田さん! 警察官のあなたが、なんでこんなことを!?』
『うるせえよ。てめえの危機管理意識の無さが原因だろ?』
私がこのボイスレコーダーを拾ったのは、彼に獲物だと名乗り出る前だ。
彼が私を狩る場所として、相応しい場所をいくつか見つけていた。あの廃病院も、その一つだ。
そこで、このボイスレコーダーを拾った。
どうやら、他にも狩りをしている者がいるようだが、こんな証拠を残すようでは、あまりにもお粗末だ。
彼が私を狩った後なら、縄張り争いをしても、まず遅れをとらないだろうが、彼は不運にも入院してしまった。彼が入院している間に、縄張りを荒らされるのは困る。
だから、私が動くことにした。
真田という警官の存在は、廃工場の一件について警察署で事情を聞かれた時に確認した。
土を掘り返した跡がいくつかあったので、真田巡査が廃病院を何度も狩場として使った可能性は高く、私がそこに連れ込まれる可能性も高かった。
一応、真田巡査が狩る側としてどのくらいのレベルか見たかったので、今回の行動に及んだが、結果はまあお粗末なものだった。
だから、彼にはこの街から出て行ってもらうようお願いしたが、聞いてくれたようだ。
だが、これからは今回のような行動は控えなければならない。
彼に狩られるまで、この命を保たなければならないし、私以外の獲物を献上しなければならない。
そう、彼のための獲物が減るのは困るのだ。
だから――
「ん? メールか。知らないアドレスだな」
私がそのメールを見て――
『黛瑠璃子は預かった。返して欲しければ、指定する時間に、廃工場まで一人で来い』
動揺するのは、当然のことなのである。
第三話 完
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