「そうですか。弓長くん、今日は欠席なんですか……」
『スタジオ唐沢』のひと騒動があってから数日後の月曜日。俺は学校に登校すると朝一番に弓長くんのクラスに行ったが、彼の姿はなかった。
「ああ。というかアンタ、三年の萱愛先輩だろ? アイツに何か用があるんすか?」
俺に応対した弓長くんのクラスメイトらしき男子は容赦なく疑いの眼差しを向けてくる。唐木戸を自殺に追い込んだという噂が下級生にも広まっている以上、まだ俺はこの学校では関わってはいけない危険人物なんだろう。そうだとしても、弓長くんには問い質さないとならないことがある。学校にいないのなら、電話なりメールなりで連絡するしかないか。
「すみません。弓長くんが来たら、萱愛が心配してたって言っておいてください」
『スタジオ唐沢』で弓長くんが黛さんの元恋人だという男性と暴力沙汰になった後、俺と閂先輩は改めて弓長くんと話そうとしたが、唐沢先生に止められた。『まだ気分が落ち着いていないみたいだから』という返答だったからその場は唐沢先生に任せることにしたけど、学校にも来ないのはやはり気になってしまう。
それに、黛さんがどう思っているのかも気になる。メイジと呼ばれていた男性は、明らかに黛さんを狙って『スタジオ唐沢』に来ていた。だから弓長くんがあんな行動に出たのも黛さんを守ろうとした結果なんだろう。しかし俺がそう思えるのは普段の彼を知っているからだ。俺のことを慕ってくれて、自分の意志を出せるように頑張った彼を好ましく思っているからだ。黛さんが弓長くんに不信感を抱いたとしても不思議じゃない。
仮に黛さんが弓長くんとは交際できないという結論を出したとしてもそれに俺が文句を言う権利なんてない。ただ、その結論を出すに至った要因がメイジという男性のせいなのだとしたら、あまりにも悲しい。
黛さんに連絡を取ろうかと思ったけど、あの人とメイジさんの間に何があったのかを知らない以上、下手なことを言ったら機嫌を損ねるかもしれない。まずは閂先輩に相談してみるか。
携帯電話を操作しようとしたが、始業5分前を知らせるチャイムが鳴ってしまったので、連絡は昼休みに回すことにした。
昼休み。
「閂先輩、出てくれるかな……」
通話アプリを開いて先輩の連絡先を呼び出そうとした時、クラスメイトがざわめいているのに気付いた。
「お、おい、あれって……」
「あの人、柏恵美……だよな?」
は? 柏先輩? いやいや、あの人は一年以上も前に卒業したんだぞ。いくらなんでも、何の前触れもなく校内にいるわけが……
「やあ、昼休み中に邪魔するよ、萱愛くん」
「うわわわわっ!?」
聞きなれた低めの女性の声が俺の常識を打ち壊した。
「か、かしわ、せんぱい?」
「その通り。私の名前は柏恵美。君に質問がある者だ」
机の前でいつも通りの微笑みを浮かべながら俺を見下ろす柏先輩が、当たり前のようにそこにいた。こ、この人、まさか無断で入って来たのか?
「どうしたのだね? この私のことを忘れたわけでもあるまい。それとも……私がここにいることが、君にとって不都合な状況なのかね?」
「い、いや、俺は別に大丈夫ですけど。その、学校の先生方がなんと言うか……」
「うん、本当そう。柏ちゃん、絶対これ問題になるよ……」
あ、あれ、今の声って、もしかして?
「か、樫添先輩? 一緒に来てたんですか!?」
「うん……なんかいきなりアンタに会いに行くって言いだしてね。黛センパイから柏ちゃんを見張っててくれって言われたから、着いて行かないわけにいかなかったの……」
ガックリと肩を落として教室に入ってくる姿は、なんだかすごい可哀想な人に見える。俺もそれなりに無茶な状況に巻き込まれて来たとは思っていたけど、樫添先輩には及ばないのかもしれない……
「それで、どうしたんですか? もしかして、黛さんに何かあったんですか?」
「ルリに何かあったか? 君がそれを問うのかね?」
「え?」
「あの弓長という男をルリに紹介したのは君だと聞いている」
「……!!」
「君も感づいてはいるのだろう? 弓長くんの告白とメイジくんとの再会。この二つがほぼ同時期に起こっているのはあまりにも出来すぎている。裏に何らかの意図があると考えるのは、何もおかしくはない。違うかね?」
「違わない……です」
柏先輩が言ってることは、論理としては間違ってない。告白されたことによる黛さんの動揺、メイジという人の出現、弓長くんの変貌、これらの不可解な出来事は全て、俺が弓長くんを黛さんに紹介してから起こっている。
だが、俺の心は納得していない。柏先輩の言いたいことは予想がついているが、そう簡単に彼を疑うなんてことはできない。
「先輩は、弓長くんのことを疑ってるんですか?」
「……」
「弓長くんが、黛さんの元恋人と手を組んで、黛さんからの好意を自分に向けさせようと企んでいる……先輩はそう考えているんですか? だとしたら俺も怒りますよ。彼を疑うのであれば、それなりの根拠を示してください」
弓長くんが黛さんと出会ってから異変が起こっていたとしても、それだけで彼が悪人だと決めつけられていいわけがない。
「確かに根拠を示すのは難しいだろうね。だが、メイジくんは明らかにルリに執着している。その執着を都合よく思っている何者かが彼に手を貸している。それは間違いないだろう」
「何が言いたいんですか?」
「ルリはメイジくんに敵意を抱いている。おそらくは、メイジくんこそが今回の件の主導者だと考えている。だが私は違う」
いつの間にか、柏先輩の顔からは笑顔が消えていた。それに気づいた直後。
「っ!!?」
先輩の親指の先が、俺の首に食い込もうとしていた。クラスメイトが騒ぐ声が聞こえてくるが、そんなことは関係ないとばかりに首を掴んでくる。
「せ、ん、ぱい?」
「私はこう見えて、君のことを少しは買っている。私とて『誰かを守りたい』という気持ちを理解はしているのだよ。だから自分の気持ちに従っている君を悪く言うつもりはない」
「は、はい……」
「だが弓長波瑠樹は違う。彼が本当にルリと交際したい、もしくは私を殺したいと思ってくれているのであれば歓迎もするが、彼の本性がくだらない体裁を繕うだけのものならば、私とルリの敵だ」
「で、ですが! 彼は本当に……!」
「君が弓長波瑠樹を信じるに値する男と言うのなら、私にその根拠を示してほしい。そう言っているのだよ」
「……!!」
そうだ、俺は柏恵美という女性がどんな存在なのかを知っている。自分を『獲物』と称し、誰かに蹂躙されることを幸福と感じ、結果として黛さんの支配下に置かれることを自身の理想とした。そんな人がなぜ黛さんの意図を外れて独自に動き、卒業した高校に乱入してまで俺に会いに来ているのか。
黛さんにとって柏先輩が大切な友達であるように、柏先輩にとっても黛さんは大切な人だからだ。
黛さんのことが心配だから、別れたはずの昔の恋人と再会して憔悴している彼女のことが心配だから、こうして先輩は動いている。そして黛さんの動揺を招いた俺に対して怒りさえ抱いている。
だから今回、根拠を示さないといけないのは俺の方なんだ。一連の出来事が俺の行動から始まっている以上、弓長くんに悪意がないと証明する義務があるのは俺の方だ。
……俺はまた相手の気持ちを汲み取れていなかった。自分の感情ばかりで、柏先輩がどうして俺に話を聞きに来たのか、考えもしてなかった。
「わかりました、柏先輩、樫添先輩、ちょっと場所を移しましょう」
「どこへ行こうと言うのだね?」
教室じゃ説明がしにくい。まずは実際に見てもらった方が早いだろう。
「弓長くんが、どんな人だったのか。その痕跡が残っている場所です」
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