黛瑠璃子という女に関しては、珍しい名前だったから覚えてはいた。
ただ、クラスも違うから関わることもなかったし、顔もよく覚えてない。それなのにソイツはオレに会いに来た。
「その、工藤くんが、私に、話があるって言われたから、来たんですけど……」
自信がなさそうな口調でオレに話しかける姿と、その後ろにニヤニヤと笑うミーコの姿を見たことで状況はだいたいわかった。どうやらミーコのヤツは、この黛瑠璃子とやらをけしかけてオレにフラれる様子を笑いものにした後、オレと付き合うにふさわしい女は自分であることを改めて示したいという魂胆のようだ。
どうしたものかと思っていると、オレが黛に対応する前に周りにいたクラスメイトの女子たちが騒ぎ出していた。
「は? そんなわけないじゃん! つーか誰って感じだし!」
「工藤くんがアンタみたいな地味女に用があるわけないじゃん。なに調子乗ってんの?」
当たり前のように侮蔑の言葉を吐いているが、やめてほしい。まるでもうオレが黛を侮蔑しているかのようになっている。いや、コイツらの中では既にそうなっているんだろう。コイツらの中にいるオレは、この場で黛に迷惑そうな顔をして、代わりに自分たちにやさしい顔を向けている。それはもう決定事項だ。
コイツらもミーコも、この場においてオレと黛が会話することすら許さない。
「ああ、君って1組の黛さんだよね。そうなんだよ。オレさ、君に話があったんだよね」
だったら、オレはそれに逆らってやる。オレはお前らのアクセサリーなんかじゃねえ。
「え……?」
オレの言葉を受けて、黛だけでなく周りにいた女子たちも固まっている。それだけオレが黛に好意的に接するのは予想外だったってことだろう。
「なに驚いてるんだよ。オレが君に話があるって聞いたから黛さんはここに来たんだろ?」
「は、はい」
実際には黛のことは顔と名前くらいしか知らないわけなので話があるも何もないが、どうすればミーコや他の女どもを黙らせられるのかはわかる。
「オレと、付き合ってくれませんか?」
オレが黛と付き合えばいい。
いきなりの告白に、黛よりも後ろにいるミーコが口を開けて驚いていた。オレの周りにいる女子たちも何が起こっているかわからないと言いたそうな顔をしている。いい気味だ。お前らがオレの心を掴むことはない。
「……よろしくおねがいします、工藤くん」
黛は当然のようにオレの告白を承諾し、差し出したオレの右手を両手で握ってくれた。
ああ、付き合うんならお互いに呼び方も考えないとな。
「メイジ」
「え?」
「付き合うんだからさ。オレのことはメイジって呼べよ。よろしくな、瑠璃子」
「……うん!」
オレに名前を呼ばれた瑠璃子は、目尻に涙を浮かべながら微笑んでいる。なんで今さっき出会った男からの告白をそんなに喜べるんだよコイツ。
やっぱりコイツもオレの顔しか見ていない。オレを自分の地位を上げるための道具としか思っていない。
だったらオレもお前を利用してやる。オレが女どものアクセサリーじゃねえって思い知らせてやる。
「ちょ、え、なにこれ? 何が起こってんの?」
そう言ってミーコはオレに近づいて来たが、もう遅い。お前の企みは潰れたんだよ。
「工藤くん、これ、なんの冗談なの?」
「ん、どうしたミーコ。なに驚いてんの?」
「いや、だって……なんで、黛さんに、告白してんの?」
「オレが瑠璃子に告白するのがまずいのか?」
「……くそっ!」
不機嫌そうに教室の扉を蹴って廊下に走っていくミーコを見て、オレの心に暗い喜びが生まれた。
自分より下のはずの女がオレに選ばれて、どんな気持ちだよ?
ああそうだ。お前らはオレを権力闘争の道具にしていた。ならお前らがこの学校で楽しく生きていけるのはオレのさじ加減ってことだ。オレが選べばどんな女でもグループの頂点になれる。オレに気に入られればどんなヤツでも人の上に立てる。
その証拠に、瑠璃子もオレに選ばれたというだけで心の底から喜んでいる。自分をバカにしていたミーコが悔しそうに走り去ったのを笑っている。やっぱりコイツもオレが好きなんじゃない。オレに選ばれた自分が好きなんだ。
オレを好きになる女なんて、どこにもいない。
瑠璃子との交際は意外と悪くなかった。
付き合ってみてわかったが、瑠璃子は自分に自信がないだけで頭はいいし、オレが当然のようにやっている挨拶や身の回りの手入れなどの何気ない動作もオレの良さだと認めてくれた。自分でも気づいていなかった自分の長所を見つけてもらえるのは、素直に嬉しかったし、なによりオレの一挙一動に顔を赤らめる姿は可愛かった。
だけどその一方で、瑠璃子の危うさも感じていた。
「よし、じゃあ週末楽しみにしてるよ。瑠璃子もさ、自分が行きたいところあったらどんどん言ってくれよ」
「う、うん」
デートの約束をしても、瑠璃子は自分の意志をはっきりと示さない。これも付き合ってからわかったことだが、瑠璃子はあまりにも周りに興味がない。というより、積極的に好きな何かを見つけようとしていない。
はっきり言えば、瑠璃子は自信がない以前に行動を起こしていないという大きな問題があった。
オレが瑠璃子の良さや性格を理解できたのも、きっかけはどうあれオレから告白して付き合い始めたからだ。瑠璃子をよく知らない周りの人間からすれば、コイツは単なるオドオドした女に過ぎない。だからミーコにも利用されたのだろう。
そしてデートに行った数週間後、決定的な出来事が起きた。
「瑠璃子、お前、忘れてたのか?」
瑠璃子はオレが握っていたカレンちゃんのキーホルダーを見て、「手に持ってるのなに?」と言っていた。オレとしては興味のないキャラなんて覚えてないだろうとは思ったけども、デートに行った時にオレが紹介したキャラくらい覚えてろよとも思ったから、ちょっと強い口調で指摘してしまった。
だけどそんなオレに対して、瑠璃子は強い怯えを見せた。
「ご、ごめんなさい! 忘れてたわけじゃないから! ちょ、ちょっとその、見るの久しぶりだったから!」
「……なに動揺してるんだよ。別に気にしてねえよ」
「ほ、本当にごめんなさい! こ、今度はちゃんとその……」
「だから気にしてねえって!」
デートの思い出を覚えていなかったことよりも、嫌われることに強い怯えを見せるその態度に腹が立った。これから先、瑠璃子はオレの言動にいちいち怯えるつもりなのか? オレの彼女であるという立場に縋り続けるつもりなのか?
そうやって自分からは何も行動を起こさず、他人の力に縋り続けるようなヤツのことを、なんで好きにならなきゃらならないんだよ。
瑠璃子もオレのことなんて好きじゃない。オレも瑠璃子のことなんて好きじゃない。全く、お笑いだ。オレも瑠璃子も、お互いのことを好きじゃないのにただ単に自分の目的のために彼氏彼女を演じている。
おそらく、オレは一生、誰と付き合ってもそうなるんだ。だったらもう、誰かと付き合う意味なんてない。
「……なあ、瑠璃子さぁ、勘違いしてるっぽいけど、オレがお前を好きになるわけなくない?」
気づけば、オレは笑いながらそう言っていた。なんで笑ってるのかは自分でもわからない。だけどオレの心に『絶望』が広がっているのは確かだった。
「ふざけないでよ……!」
当然の如く、瑠璃子には殴られた。なのに痛みは感じない。殴られることがわかっていたからというのもある。
ただそれ以上に、結局オレは誰も好きじゃないし、誰にも好かれないという『絶望』の方が大きかった。
「はいはーい、マユズミさーん。残念でしたねー」
更にはオレが別れを告げたのを狙っていたかのようにミーコが現れ、瑠璃子を蹴り飛ばしていた。その姿はやっぱりオレが好きになったミーコじゃない。オレと付き合ったらみんなこうなるんなら、オレは誰も好きになんてなれない。
きっと瑠璃子もこれから、ミーコのように他人を利用する人間になるんだろう。女なんて、みんなそうだ。男を利用するだけ利用して、自分の価値を上げることしか考えていない。だからこれから瑠璃子がミーコにどんな暴力を受けようと、何も思わない。そう思っていた。
しかし、瑠璃子の行動はオレの予想を超えていた。
「じゃあ、これ以上落ちようがないんだから、何したっていいわよね?」
「ばっ、ちょ、やめっ!」
オレの目の前で、さっきまでとは別人のような冷徹な顔になった瑠璃子がミーコを叩き潰していた。
「あっ、ぎあああああああああっ!!」
なんだよ、これ。何が起こってるんだ?
明らかな暴力行為が起こっているのに、ミーコを助けることも瑠璃子を止めることも忘れていた。なんでそんなことが出来るんだよ。なんでそんなことしてるんだよ。
絶望したんじゃなかったのか? オレの彼女でなくなったことで、他の誰かに頼るんじゃなかったのか?
だけど現実には、ミーコを叩き潰して周りのヤツらから恐怖の目を向けられても瑠璃子は平然としている。額についた血を拭って、冷めたような目をしてオレを見ている。
その目がどういう人間の目なのかは、よく知っている。
『自分は誰からも好かれない』と絶望した人間の目だ。
「……結局、お前もオレと同じじゃねえか」
なんてことはない。瑠璃子はオレよりもっと前からその『絶望』を抱えていた。だとしても、瑠璃子はそれを抱えたまま生きていける。『自分は誰からも好かれない』と考えた上でも、それでも平然としていられる。
対してオレは、その『絶望』に振り回されて一人で勝手にいじけていただけだ。
瑠璃子はオレと同じ『絶望』を抱えていたが、人間としての強さが圧倒的に上だった。
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