黛が現れたことで、アジト内の人間がほぼ同時に行動を開始していた。
まず黛が起こした行動は、入り口のすぐ近くにいる柏を確保することだった。アイツにとっては、それは最優先事項だ。
だがその動きは読まれていた。柏を掴もうとした黛の手は、空を切ることとなる。
「ヒャハハ、残念だけどまゆ嬢。まだ恵美嬢を渡すわけにはいかないねえ」
生花は柏を後ろに引っ張り、黛の手が届かないように自分の身体でガードする。その間に空木は柏を確保していた。
「ふむ。いい動きだね空木くん。ルリ、残念だが君の望みはたやすくは叶えられなさそうだ」
「そんなの最初からわかりきってることよ、エミ。アンタはそこで私に助けられる時を、大人しく待ってなさいな」
「ははは、さすがはルリだ。さて、どうするかな、沢渡くん?」
柏に声をかけられた生花は、相変わらずヘラヘラと笑いながら黛と対峙していた。
「ヒャハッ、どうするもこうするも、こんなに楽しそうな時間が来たんだ。楽しむ他ないさね!」
そう叫ぶと、生花が黛に向かっていく。それを迎撃しようと、黛は既に左手に持っていた催涙スプレーを構えたが、その直後に生花は身体を沈め、足払いのような蹴りを放っていた。
「くっ!」
それに即座に反応し、黛が後ろに飛び退く。再びスプレーを構えたが、体勢が整っていなかっために狙いが定まらないようだ。その隙に生花は黛の左横に回り込む。
そしてもう一度、生花の強烈な中段蹴りが放たれた。
「ヒャハッ!」
「っ!!」
間一髪で肘でガードしたが、衝撃で黛の身体が壁に衝突する。追撃を試みた生花だったが、黛は右手に持つスタンガンを突き出した。
「ヒャハハ、上等ゥ!」
しかし生花はそんなことで動きを止めるようなヤツじゃない。身体を滑らすような動きでスタンガンを避けると、そのまま黛に掴みかかろうとする。
だがそれを読んでいたのか、黛の頭突きが生花の顔に直撃した。
「ぐっ!」
怯んだ隙にスタンガンの追撃を試みた黛だったが、素早く反応した生花は距離を取った。その鼻から一筋の血が垂れていたが、それを舐め取って尚も笑っている。
「やるじゃないか、まゆ嬢。カワイイ顔してケンカ慣れしてんのかい?」
「ケンカ慣れはしてないけど、戦いにはもう慣れてるわ」
「ヒャハハ、恵美嬢の支配者を名乗るだけあるね。確かにアンタが守ってるなら、恵美嬢はそう簡単には殺されないか」
思わず戦いを傍観してしまった俺だったが、やるべきことを思い返した。
「綾小路。お前は今のうちにここから出ろ」
「え? でも、柳端くんは?」
「この戦いにケジメをつける。心配するな、必ず生きてここを出る」
「……わかった。柳端くん、気をつけて!」
綾小路を逃がし、俺は黛と生花の間に立つ。
「柳端……」
「ヒャハッ、幸四郎も混ざるかい? 仲良く三人で遊んでみようか?」
黛は俺を睨み、武器を構えている。なら俺がやるべきことはひとつだ。
「黛、お前は柏を救いに行け」
そう言って、俺は黛に背を向けて生花と対峙した。
「……アンタ、アイツらの仲間になったんじゃなかったの?」
「気が変わった。と、言ってもお前がそれをやすやすと信じる女じゃないのはわかってる。だからお前自身が柏を救いに行けと言っている。その方が信用できるだろ?」
「アンタが私を後ろから襲わないって保証は?」
「ないな。だが、そんな回りくどいことをするくらいなら、俺はとっくに柏を人質にでも取っている。その方がお前には効果的だろう」
「……」
俺の言葉に納得したのか、黛は俺や生花への警戒はそのままに、空木たちがいる洋館の奥へと向かっていった。
生花は特に黛の歩みを止めることなく、俺と向き合っている。ヘラヘラと笑うその顔は、やはり好きになれそうにない。
「黛を止めないのか?」
「まゆ嬢と踊るのと、幸四郎と遊ぶのとでどっちが楽しいかなんてわかりきったことさね。まゆ嬢にとってはアタシはただの敵の一人で、幸四郎にとってはアタシは嫌いで仕方ない元カノだ。リーダーはアンタが殺人に向いてない人間だって言ってたけど、アタシもそう思うよ。だけど……」
そう言って、生花は下劣な笑みで顔を歪める。
「そんなアンタがアタシを殺そうとするとしたら、どれだけ楽しいんだろうねえ?」
――わかっていたことではあった。
初めて会った時から、この女を好きになることはないとわかっていた。将来のことを考えて行動する俺と、今しか考えられない生花。俺たちが相容れるはずもない。
だが、今の俺は一度『死体同盟』に入り、死の誘惑に屈した。自分が死ぬことで香車に許されようとした。
だから俺は少しでも期待していた。生花にも何か事情があるのではないのかと。コイツにも死を選ぶような重大な理由があるのではないのかと。だからこそ、俺を弄ぶような言動をしたのではないか。そう期待していた。
しかし――
「わかったよ、沢渡生花。お前は俺の理解の外にある。俺は未来永劫お前を理解できない。だから……」
俺は生花に言い放つ。
「これ以上、俺の人生に入ってくるんじゃねえ!」
既に決断した。俺は『死体同盟』を抜け、綾小路に生かされる道を選んだ。その道に、生花がいることはない。
生花は、自分の欲望のために俺の人生を破壊する。そんな女が、俺の生きる道にいるべきではないのだ。
「そうかい、そうかい。アタシは幸四郎にとって邪魔者かい。だったら、力尽くでどかしてみなよ」
「どちらにしろ、お前に黛の邪魔をさせるわけにはいかない。それが俺のケジメだ」
『死体同盟』の理想を俺が否定する権利はない。だが俺は既に『死体同盟』と決別した。それでも柏を『死体同盟』に関わらせてしまった責任は取らなければならない。
「ヒャハ、ヒャハハハ! 相変わらずウダウダと言い訳をする男だねえ! 教えてあげるよ幸四郎。アタシはそんなアンタを見てると……楽しくて仕方ないのさぁ!」
そう叫んで生花が向かってきたのが、戦いの開始の合図だった。先ほど黛に放ったような中段蹴りが、俺の腰に目がけて振り抜かれる。
突然のことで判断が遅れた。それを後悔する間もなく、強烈な衝撃が俺の身体に走る。
「ぐうっ!」
身体がぐらりと揺れたが、体重の軽い女の蹴りは俺の身体に思ったほどのダメージは与えなかった。すぐさま体勢を立て直し、生花に向き直る。
「さあ! さあ! 幸四郎! アタシの顔を殴ってみなよ! アタシの腹を潰してみなよ! ムカついてんだろアタシにさあ! 人を殺せないアンタに、アタシを殺させてみたいのさ!」
「俺を見てると楽しいと言ったな! それが俺を弄んだ理由か!?」
「他に何があるって言うのさ!? 人生なんてその瞬間の楽しさ以上に面白いものはないのさ! 今のこの時間が、アタシにとっては一番なんだよ!」
確かに生花は楽しそうに笑っている。俺を見て、下品な笑いをうかべている。だがそれは、自分の楽しみのために、他人を利用したことに他ならない。
「なら俺を見て、何が楽しい! 俺はお前とは真逆の人間だぞ!」
「ヒャハハ! だからこそだよ! 今のこの瞬間を純粋に楽しめないアンタを見てたら楽しくて仕方ないのさ! 自分の行動に理由をつけたがる! 自分の行動に価値をつけたがる! そんなアンタを……」
生花はいつの間にか、俺の足元に潜り込んでいた。
「しまっ……」
「言い訳できない状況に追い込みたいのさ!」
体勢が崩れたところに、足払いのような蹴りが繰り出され、俺の身体は受け身も取れずに床に衝突してしまう。直後に起き上がろうと仰向けになるが、その前に生花は俺の上に馬乗りになった。
「さーて、大ピンチだねえ、幸四郎?」
腹の上に体重をかけられ、起き上がるのは無理そうだ。しかし生花は俺を見下ろしたまま、特に攻撃を仕掛けてくる気配はなかった。
「殴るんなら殴れよ。俺を追い込みたいんだったら、好きなだけ殴ってみろ。そんなことしても、俺はお前の思い通りになんてならない」
「ヒャヒャヒャ、相変わらず発想が真面目だよねえ、アンタは。殴ったところでアタシを殺そうとなんてしないだろ? それより、良い考えがあるんだよね」
そして生花は、俺の胸にその身体を密着させる。すると胸の豊かな膨らみの感触が服ごしに伝わってきた。
「お前……! なんのつもりだ!」
「なんのつもりもなにも、元々アタシとアンタは付き合ってたんだ。この場でヨリを戻したっていいだろ? アタシも身体には自信があるし、イイコトしたっていいじゃないか」
生花は俺に顔を寄せ、首筋を舐めてくる。そして身体を起こし、改めてその身体を俺に見せつけてきた。
「さーて、幸四郎。どうするのさ。このままアタシに襲われたって体で、ここでおっぱじめるかい? ま、そんなことしたら、佳代嬢に会わせる顔はないだろうけどね」
そう言って、シャツごしに自分の胸を持ち上げる。もともと露出度の高い格好をしているおかげで、むき出しの腹部が俺の前に晒される結果となった。それを見て、俺の中で確かな欲望が湧き上がってしまう。
「選びなよ。このままアタシに襲われるのを選ぶか、アタシを殺してそれを阻止するのか。ま、どっちにしろアンタは必死に『仕方なかった』って言い訳するんだろうけどねえ」
「……」
確かに生花の言うとおりだ。ここで劣情に流されるなんてことになったら、俺は自分の弱さを許せないし、生花をはね除けてこいつを殺してしまう結果になったとしても、俺は一生苦しむこととなる。
コイツの術中に嵌まってしまった。どうする? このままだとどっちにしても……
しかしそこまで考えて、俺はあることに気づいた。
「生花。ひとつ聞く」
「なんだい? ここまで来て、許してくれとでも言うのかい?」
「お前、なんで眼鏡をかけない?」
「あ?」
生花は先ほどから、眼鏡を頭に乗せたままだ。こいつの遠視はかなりひどかったはずで、そのままだと俺の顔も見えないはずだ。
「そんなこと聞いてどうするのさ? アンタに関係あるのかい?」
そう言いながらも、生花の顔は少し苛ついているように見えた。そういえば、中学の頃も俺が眼鏡の件に触れると、コイツは機嫌が悪くなっていた。
「大いにあるな。お前は今、この瞬間を楽しみたいと言いながら、苦しむ俺の顔がよく見えないのを良しとするのか? それはお前の主義に反しているんじゃないのか?」
「……別にこの距離だったら、眼鏡をかける必要もないだけさね」
「ウソだな。遠視のお前はこの距離でも俺の顔ははっきりと見えないはずだ。それなのに、眼鏡をかけないのは……」
俺はひとつの可能性に辿り着く。
「俺の顔をはっきり見たくない理由があるんじゃないのか?」
「……!!」
俺の言葉を聞いて、生花の動きが止まる。どうやら図星のようだ。
「そうだ。お前は眼鏡やコンタクトを嫌っていると言ったな。それは単なる嗜好の話だと思っていたが、本当はお前には別の理由があるんじゃないのか? 俺の顔だけじゃない。世界をはっきり見たくない理由が」
「……」
生花のその理由はまだわからない。しかしこの状況なら、それだけわかれば十分だ。
だから俺は、生花の眼鏡を下に降ろし、強引に顔にかけさせた。
「ぐうっ!?」
眼鏡をかけたことで視界がクリアになったはずの生花は、なぜか顔を両手で隠した。その隙に俺は力尽くで身体を起こし、生花をはね除ける。
「うあっ!」
はね除けられても、瞬時に体勢を立て直してきた生花だったが、先ほどまでの下品な笑いはもう消えていた。その顔はやはりどこか苛ついているような顔だ。
「どうする、まだ続けるか?」
「……」
お互いに体力を消耗しているが、俺はあえて生花を焚きつけるような言葉を選んだ。だがもう確信している。コイツはもう俺に襲いかかってくることはない。
「……白けたね」
そう言って、生花は中学の時と同じように、俺に背を向けていった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!