「『死体同盟』の目的が、エミを守ること……?」
空木から語られた不可解な言葉に、私は一瞬硬直した。
しかしすぐに気を持ち直すと、後ろにいるエミを庇うように立つ。どんな理由を語ろうと、コイツらがエミをさらったのは間違いない。
「ふざけないで。アンタたちはエミをこんなところに連れ出して、自分たちの仲間にしようとした。そんなヤツの言葉を信用できると思う?」
「確かにそうでしょう。ですが私の目的は、柏様のように『死』を肯定的に捉える境地に辿り着くこと。そして……」
空木は顔を伏せたまま、震えた声を出す。
「兄の思想を、否定することです」
――エミのような思想を持つことが、空木の兄の思想を否定する? いったい、何を言っているの?
「ふむ、それならば合点がいったよ。空木くん、君がなぜ空木医師と数年に渡って会っていないのか、そしてなぜ『死体同盟』の盟主の座に座るべきなのが、私なのかもね」
エミはなぜか納得したようにうなずくが、当然私は話についていけてない。
「エミ、説明して。あなたとその、空木の兄との関係はなんなの?」
私がエミに問いかけるのと同時に、空木の仲間である杖の女が空木の横に座る。
「空木さん。私たちにも説明してちょうだい。私も湯川さんも『死体同盟』は『生きづらさ』を抱えた人間たちの居場所としか思ってなかった。あなたは柏さんを使って何をしようとしていたの?」
ここまで来たら、空木の兄が何者かを何が何でも聞き出す必要がある。そうでないと、この問題に決着はつかない。
「……そこにいる彼、空木曇天の兄、空木晴天は精神科医だ。私も彼に最後に会ったのはもう五年ほど前……そうだね、中学三年生の時だ」
「……!」
中学生の頃といえば、まだ私はエミと出会っていない。つまり、空木晴天はエミの過去に関わる人物ということだ。
「過去に私が父親を失った事件は知っているね?」
「ええ。斧寺識霧さんに聞かされたわ。……それで、萱愛のおじいさんがエミをかばってその犯人に撃たれたって」
「その後、斧寺くんは人が死んだ光景を目の当たりにした私を心配して、精神科に連れて行ったのだよ。そこにいたのが、空木晴天だ」
「じゃ、じゃあ、その空木晴天って人は、エミの担当医ってこと?」
「そういうことだね」
ここに来て、意外な事実が顔を出してきた。ならエミがなぜ『死体同盟』に連れ出されたかも、そこに関係しているはずだ。
「一度、兄が言葉をこぼしたことがあります。『どんなに診療を重ねても、どんなに投薬しても、『死』に向かってしまう子がいる』と」
「それが、エミってこと?」
「そうです。そして私は一度、兄の職場で柏様をお見かけしたことがあるのです。兄の言葉と柏様のお姿を見て、すぐに気づきました。この方こそ、兄の思想を否定する人なのだと」
「なるほどね、君が私のことを知っていたのは、私を一方的に見ていたからか。どうりで君の顔に見覚えがないはずだ」
「申し訳ありません。ですが私は、どうしてもあなたに、自分を導いていただきたかったのです」
ここまでの話を聞くと、空木は自分の兄に対抗するためにエミを利用しようとしていたように感じる。それだけでもかなり腹が立つが、もうひとつ聞かないといけないことがある。
「でも、アンタのお兄さんはエミを医者として助けようとしていたんでしょ? それを否定しようっていうなら、私からすれば悪人なのはアンタなんだけど」
「ふむ、そこなのだがね、ルリ。空木晴天はそのような高潔な人間ではないのだよ」
「え?」
エミの顔を見ると、先ほど空木に向けていたような侮蔑の表情を浮かべている。なんだろう。エミが人をここまで嫌うのを初めて見たかもしれない。
「高潔な人間じゃないなら、どういう……」
「どーんてん、くん。どんてんくん」
その時だった。この場にまるで似つかわしくない、のんきな声が館の中から聞こえてきた。
「……!!」
その声を聞いた空木は、身体を再び震わせる。それだけじゃない、エミも顔をしかめて、館の扉を見ている。
「な、なんで。なんでここが……?」
空木が呟くのと同時に、館の扉が開け放たれ、中庭に一人の男が入ってきた。
「あっ、やーっぱりどんてんくんだ。この館の近くで目撃情報があったから探してみたら、本当にいたなあ」
入ってきた男は、空木とは対照的に青いシャツに水色と白のチョッキを着た、短髪で小柄な男だった。端正な顔立ちをしているが、背丈は私より少し高い程度で、男としては小柄かもしれない。
しかし男の姿を見た空木は顔を恐怖に歪ませ、エミは嫌悪感をあらわにしていた。
「どんてんくん。なーにしてるのかな? 『死体同盟』なんて怪しい団体作ったそうじゃない。ちょっとボクも心配になっちゃったからさ。探してたんだよ」
「……それが、ここにいる理由ですか? 兄さん」
「うん。そうだよー」
空木は確かに、男を『兄さん』と呼んだ。じゃあまさか……
「空木……晴天……!」
「ん?」
エミが男の名を呟いたのに反応し、空木晴天は振り向いた。
「あーれ? もーしかして、柏さん、かなあ?」
「……久しぶりだね、空木医師。私は君になど会いたくはなかったよ」
「あ、あーあーあー! 本当に柏さんだ! 久しぶり、だねえ!」
エミが嫌悪感を前面に出しているにも関わらず、空木晴天の言葉はどこまでも緊張感が感じられない。なんというか、真面目さがない。この男が、本当に医者なんだろうか。
「もーしかして、どんてんくんが柏さんを『死体同盟』とやらに誘ったのかなあ? そーれは困るなあ。柏さんには生きていてもらわないと」
「君に私の生き死にを決められたくはないのだがね」
「いーや、君は生きるべきなんだよ。だってさー」
エミに微笑みかけて、両手を広げて天を仰ぐ。
「よーのなかは、楽しいことに満ちてるんだ。右を見ても希望、左を見ても希望。こんな希望に満ちた世界からいなくなるなんて考えられないよ」
「……!!」
コイツの言葉を聞いて、私は悟った。
コイツは……空木晴天は……!!
「君は相変わらずのようだね、空木医師。君の言葉には何も感じられない。『世界に希望がある』としか言わない。そんな君は、どこまでもつまらない」
「あーれ? ボクは柏さんを励ましたつもりなんだけどなー。まーあ、いいや。今日の目的は君じゃないしー」
今の私は、おそらくエミと同じ感情を抱いている。
空木晴天。コイツは今、『世界に希望が満ちている』と言った。しかし、そんな根拠はどこにもない。私だけじゃなく誰もが、すぐそこにある絶望に取り込まれる可能性があることを、既に知っている。
だけどコイツは違う。コイツはエミに対して、無責任にも『世界に希望が満ちているから生きてくれ』と言った。何の根拠も、あるかもわからない希望に縋ることを強制した。
それは、容赦ない絶望に浸りたいエミが最も嫌う思想だ。
「そういう、ことね」
思わず呟いて、理解した。なぜ空木曇天がエミを『死体同盟』に引き入れたかったのかを。エミのように絶望に浸りながらも幸せを感じることができる人間。その存在こそが空木晴天の考えの否定に他ならない。
「どんてんくん、ボクと一緒に来てくれるかな? ボクもひさしぶりにこっちに帰ってきたからさー。いろいろお話しようよ」
「……兄さん。また私に『生きろ』と言うのですか?」
「そーうだよ。だってボクは医者だからねー。人を生かす商売だからねー」
そう言いながら、空木晴天は周りを見回す。
「さーて、君たちももうお家に帰ろうね。もう結構暗くなってるし。あ、でも、柏さんとはちょっとお話したいかなー」
「待ちなさい」
空木曇天の隣にいた、杖の女がよろよろと歩きながら空木晴天の前に立つ。
「私はこの家の主、槌屋麗です。私は空木……曇天さんや他の人たちはこの家に招きましたけど、あなたのことは招いてないわ。あなたのやっていることは不法侵入よ」
「うーん? あー、槌屋さんってあの、マラソンランナーだった? なーるほど、君がどんてんくんに協力してたんだねー」
槌屋と名乗った女は、スマートフォンを掲げる。
「とにかく、出て行ってもらわないと警察を呼ぶわ。それがイヤなら、今日は帰って下さるかしら?」
「あーあーあー、そーういうこと言いますか。まーいいでしょう。今日はどんてんくんや柏さんにも会えたから、いいとしようか」
そして空木晴天は素直に館の出口に向かっていく。
「あー、そうだ。どんてんくんさ、ボクは君も柏さんにも生きていて欲しいってことは言っておくよー」
「……どうして、ですか?」
「だってさー、死にたい人を生かすのがボクの仕事だし。それに……」
こちらを振り返り、どこまでも快活な笑顔を浮かべて、私たちに告げる。
「死にたい人を生きないといけないようにするのって、楽しいからねー」
そう言った男は、どうあってもエミと……そして私とは相容れない存在だと確信した。
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