柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第二話 ファミレスでの出会い

公開日時: 2021年2月26日(金) 17:21
文字数:3,767

 4月になって暖かくなったとはいえ、夜はまだ肌寒さが残る。しかしそんな肌寒さも、目の前の彼女と会話していれば気にならない。むしろ心が暖まる気分だ。


「それじゃ、今日も一日お疲れ様でした」

「ああ、お疲れ様。ルリ」


 目の前の彼女、柏恵美はやはり私のことを『ルリ』と呼んでくれる。長い長い戦いを経て、私はその呼び方を勝ち取った。それが、たまらなく嬉しい。

 今日も一日、エミが私の前からいなくならないでいてくれたことが、たまらなく嬉しい。それだけで、私の――まゆずみ瑠璃子るりこの心は満たされるのだ。

 やはり私は、エミを大切な存在だと思っている。エミも、私を大切だと思ってくれている。例えそれが世間的には歪な形だとしても、私には理解できない形だとしても、それでいいのだ。


「エミ、そういえば今日は用事があったって言ってたけど、もう終わったの?」


 私たちは今、大学の近くにあるファミレスで食事をしている。本来なら今日はエミが後見人の人と会うとのことで、私はまっすぐ家に帰るつもりだったのだが、エミの用事が意外と早く終わったそうで、彼女に食事でもどうかと呼び出されたのだ。


「ああ、斧寺くんは萱愛くんと大事な話があるとかで、私を先に帰らせたのだよ」

「……え? 萱愛?」


 話の流れからすると、その斧寺という人がエミの後見人のようだが、なぜその人と萱愛が関係するのだろうか。


「ん? 斧寺くんは萱愛くんの叔父だからね。親族同士で積もる話でもあるのだろう」

「え、ちょ、ちょっと待って!」

「どうしたのだね?」

「エミの後見人が……萱愛の叔父?」

「そうだが? 言ってなかったかな?」

「聞いてないけど!?」


 ここに来て、思わぬ繋がりを聞いてしまった。まさかエミと萱愛がそんなところで繋がっていたなんて……

 でも、よく思い出してみると、エミは萱愛のおじいさんを知っているかのようなことを以前言っていた気がする。もしかして、そこで何かあったのだろうか。


「ああ、ルリは斧寺くんが気になるのだね。心配はいらないよ。斧寺識霧という男は、ルリが警戒するような男ではない。むしろ、幼くして父も母も失った私を、中学を卒業するまで必死に育ててくれた人間だ。私としては不本意ではあったがね」

「不本意……ねえ」

「私が高校に入学すると同時に、彼とは別々に暮らすことになったが、父から受け継いだ私の財産の管理なども、斧寺くんがしてくれた。おかげで私が絶望に浸るのは難しくなったがね」

「……絶望に浸るのが難しくなったとかのくだりは、斧寺さんに言わない方がいいわね」

「いや、既に伝えたが?」

「……」


 まだ会ったことないけど、斧寺さんという人が非常にできた人だというのがわかってしまった。まあ、そうじゃなかったら、エミは私に会う前に死んでいたかもしれないから、その点は私にとっては幸運だっただろう。


「そういえば、私たちって高校で会ったから、エミのそれまでを知らないのよね」

「ほう、興味があるのかね?」

「そりゃ、まあ……」


 まず、その斧寺さんとエミがどうやって知り合ったのか。そしてエミは私と出会うまでどうやって生きてきたのか。


 そして、エミはどうして殺されたがっているのか。私はそれを、まだ知らない。


「そもそもその、斧寺識霧さんっていうのはどういう人なの?」

「ああ、確か元々警察官をしていて、今は警備会社で働いていると……」


 しかし、エミが斧寺さんに関する説明を始めた時、私たちのテーブルに、熱々のコーヒーがぶちまけられた。


「ああっ、すみません! 大丈夫ですか!?」


 何が起こったのかと思い左に向き直ると、手におしぼりを持った男が、慌てた顔で私たちに声をかけてきた。

 どうやらこの男がドリンクバーから持ってきたコーヒーを誤ってカップごと私たちのテーブルに落としてしまったようだ。


「ああ、大丈夫だよ。気にしないでくれたまえ」

「本当にすみません。服とか汚れてませんか?」


 男はエミに声をかけて、手に持ったおしぼりを渡そうとしてくる。それを見た私は、反射的にその手を掴んだ。


「大丈夫ですから。彼女に触らないでもらえますか?」


 私はこの男がどんな人間か知らない。だからこそ、警戒する必要があった。この男が、エミを狙っている『成香』でないとは限らないからだ。


 だけど、その時だった。


「……!!」


 一瞬、ほんの一瞬だったけど、男が私を見た。そしてその視線を受けた私は直感してしまった。コイツは、『成香』ではない。かと言って、『狩る側の存在』でもない。


 もっと別種の、何かだ。


「ああ、すみません。そうですよね、僕のようなおっさんが君たちのような若い女性に触ろうとするのは怖いよね。そうだった、そうだった。失念していたなあ」


 男は申し訳なさそうに、エミに伸ばした手を引っ込める。そのまま、テーブルのコーヒーを拭き始めた。


「でも、せめてテーブルを拭くのは許してくれるかなあ? さすがにこんな失礼を働いてしまってそのまま立ち去るわけにもいかないからね」

「……構いませんよ」


 私はそう言いながらも、男への警戒心は解かなかった。先ほどの異様な気配を私は忘れてはいない。少なくとも、コイツをエミに近づけるのは危険すぎる。そう直感していた。

 テーブルを拭く男をじっと見る。見たところ、歳は40代半ばくらいだが、真ん中分けにされた髪には白髪一つ無い。顔には微かに皺が刻まれているものの、体格がガッチリしているためか、くたびれた中年というイメージはない。

 私はそのまま、男の手に視線を移す。どうやら右利きのようで、右手でテーブルを拭いている。その右手は大きく、男性特有のゴツゴツした手だ。この男が仮に襲いかかってきたとしたら、腕力では敵わないだろう。

 しかし、もしコイツがいきなり襲いかかってきたとしても、私は既に上着で隠したホルスターに忍ばせてあるスタンガンに手をかけている。いざとなればこれで迎撃する準備はしてある。


「……ところで、君たちは識霧くんのお友達なのかな?」


 私が警戒していると、男は突然そんな質問をしてきた。


「おや、君は斧寺くんを知っているのかね?」

「あ、ごめんね。盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど、君たちから識霧くんの名前が出てきたから、驚いてコーヒーを落としてしまったんだよ」

「なるほど、そういうことなのか。斧寺くんは私の世話をしてくれた男だよ」

「んー? 識霧くんに世話になったということは……もしかして君が柏恵美さん、なのかな?」


 男がエミの名前を出した時、私の警戒レベルがマックスに達した。


「申し訳ありませんが、そろそろ離れてもらえませんか?」


 私は男の背後に立ち、その肩を掴む。これ以上コイツをエミに近寄らせるわけにはいかない。


「すまないが、私の支配者ルリがこれ以上の会話を許してくれないそうだ。この場は退いてくれないかね?」

「ああ、ああ、ごめんね。そうだよね、いきなり知らないおっさんから名前出されたら驚くよねえ、そうだった、そうだった」


 男は私に肩を掴まれても、まるで動じる気配がなかった。


「えーと、そちらのルリさんにとって、柏さんは大切な人なんだね? 大切な人がどこの誰とも知らない男に声をかけられたら心配になるよね。わかるよ」

「わかるのであったら、早く離れてくれませんか?」

「うんうん、僕にも大切な人たちがいるんだ。僕はその人たちのためなら、なんだって出来ると思うんだよ。だから君の気持ちはよくわかる。じゃあ離れないとね」


 男はそう言って、エミから離れていく。しかし私はまだ男の背後から離れるつもりはなかった。


「一つ質問します、あなたは一体誰ですか? どうして彼女の後見人を……斧寺識霧さんを知っているんですか?」


 私はまだコイツが何者か知らない。今後のためにも、知っておく必要があった。


「ああ、僕の名前は陽泉ようぜんと言うんだ。識霧くんには陽泉に会ったと言えば伝わるはずだよ」

「……私はあなたが何者かを聞いたんですが?」

「何者と言われてもねえ。僕は陽泉以外の何者でもないからねえ」


 どうもラチがあかないので、私は警戒をそのままに、陽泉の肩から手を放した。


「ああ、そうだ。もしかしたら僕の大切な人が、君たちと知り合いかもしれないな。後でちょっと聞いてみよう」

「……その、大切な人というのは?」

「それはちょっと教えられないなあ。ルリさんが柏さんを大切に思っているように、僕もその人を大切に思っている。大切な人を危険に晒したくないのは、僕も同じなんだよねえ」


 そして陽泉は私に向かって微笑む。


「でも、お互い大切な人がいるわけだから、僕たちは気が合うかもしれないね」


 その言葉に対する私の答えは決まっていた。


「私はあなたと気が合うとは思えません」


 それは、心からの言葉だった。


「はは、厳しいな。それじゃ、僕はこれで失礼するよ」


 陽泉はそう言って自分のテーブルに戻っていった。


「エミ、ここを出るわよ」


 これ以上このファミレスに……陽泉と同じ空間にいるのは危険だ。私の判断は早かった。


「君がそう言うなら従おう。しかし、彼は興味深いね」

「アイツがエミを殺そうとしても、私が止めるわよ」

「ああ、興味深いとは言ったが、おそらく彼は私が求める人間ではないだろう」

「どういう意味?」


「彼が人を殺すとしたら、それは『狩り』ではなく、『対応』と呼ばれるものになろうだろうからね」


 そう言ったエミの表情は、少し寂しそうなものだった。

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