俺を狙っている存在がいるような気がする。この感覚を言葉で表そうとしたら、そう表すしかない。
『死体同盟』のアジトを後にしてから丸一日が経ったが、俺はまだ全身を巡る危機感のような何かを拭えずにいた。自宅の部屋に閉じこもる俺を母親が心配していたが、適当に返事をする他なかった。
外に出たら、俺は本当に『死体』になりに行くかもしれない。『死体同盟』のアジトに足を向けるかもしれない。そして俺は、心の底ではそれを望んでいる。それがわかっているからこそ、家から出ることはできなかった。
時計を見る。時刻は午前11時。今日は月曜日なので、本来はとっくに学校に行ってなければならない時間だ。
ただでさえ、思うような成績が出せないと焦っていたのに、学校に行くことができないという現実が更に俺を焦らせる。
しかし俺が今、外に出たとしたら、確実に命を失う。俺を狙っている存在が、『死にに行け』と命じるだろう。そのことを確信している。
いや、俺はもう誰が自分を狙っているかなんてわかってる。
他の誰でもない、香車が俺を狙っている。
なぜ香車が俺を狙うのか? その理由は俺がそれを望んでいるからだ。
香車は既に死んでいる。だから香車が実際に俺を狙っているなんてことはあり得ない。つまり『香車に狙われている』と感じているのは、全くの思い込みであり、俺がそう願っているからだ。
つまり俺は、香車に狙われているのではなく、香車に殺されたがっているのだ。
だから俺は、外に出ることができない。外に出てしまえば、俺自身が『死』を望んでいることを認めてしまうような気がする。
しかしこのまま閉じこもっているわけにもいかない。
「香車……お前は、俺を許していないのか?」
思わず呟いた独り言。香車が死んだのは俺のせいでもある。アイツの本性に気付いてやれなかったばかりか、全く理解できなかったこの俺の。
だったらどうすれば俺は許される? その答えはやはり、殺されることなのかもしれない。
そして、気づけば俺は外に出ていた。
何をやっている? 外に出れば、もう自らの衝動を抑えることはできないとわかっていたはずだ。事実、俺はもう『死体同盟』のアジトに向かおうとしている。
今ならまだ引き返せると考えながら、既に引き返す気はなかった。既にいない香車の殺意を背に受けて、欲望のままに前に進む。
数十分後、目の前には『死体同盟』のアジトである洋館があった。今の俺の目には、その館そのものが、『死』を象徴するものであるかのように映る。
考えてみれば当然だ。この館に踏み込めば、俺は自分の『死』を決意したようなものなのだから。
チャイムを鳴らすと、インターホンから声が聞こえてくる。
『ああ、柳端くん? 開いてるから入ってきてよ』
聞こえてきた声は、意外にも綾小路のものだった。てっきり空木が出てくるものかと思っていた俺は、少し拍子抜けする。
門をくぐり、玄関の扉を開くと、大広間にはソファーに座った綾小路の姿しかなかった。
「いらっしゃい。今日は空木さんも槌屋さんもいないけど、好きに使っていいって言われてるから」
綾小路は相変わらず弱々しい微笑みを俺に向ける。その微笑みが、なぜか俺を安心させた。
俺は向かい合う形でソファーに座ったが、綾小路はわざわざ立ち上がって俺の隣に座り直す。
「ね、柳端くん。今日もここに来てくれて、嬉しいよ」
「そうか」
「ここに来てくれたってことは、『死体同盟』に興味を持ってくれたってことでいいのかな?」
「……」
その質問に答えることはできなかった。俺は本当はどうしたいのだろう。香車に殺されようにも、アイツはもうこの世にいない。なら俺はどうしたいのだろう。
俺は何をもってして、香車に殺されたと自分を納得させたいのだろう。
「柳端くんさ、こんなこと言ったら怒るかもしれないけど」
「……なんだ?」
「アタシ、柳端くんのことが好きなの」
「は?」
一瞬驚いたが、よく考えてみれば綾小路は俺と一緒にバイトをしていた時から、俺に付きまとっていた。『彼女がいるのか』と聞かれたことも何度かあった気がする。
しかし今の告白には、以前の綾小路とは違う、真剣さを感じた。
「怒った?」
「別に怒っちゃいないが、なんで今そんなことを言う?」
「アタシは柳端くんに、自分の『死体』を見て欲しいと思ってる。アタシなりに考えてみたんだけど、たぶんその理由は、柳端くんが心の底から好きだからだと思うんだ」
「それは……おかしいだろ。俺は好きなヤツには生きていて欲しいし、俺が死んだことで好きなヤツを悲しませたくない。それが普通なんじゃないのか?」
「確かにそれが『普通』なのかもね。でも、それが『あるべき姿』なわけじゃない。アタシは自分の『死体』を柳端くんに見てもらうことに幸せを感じるだろうし、自分の最期に柳端くんが……好きな人が立ち会ってくれたら、どんなに嬉しいかって思う」
自分の最期に好きな人が立ち会う。確かにそれだけ聞けば、そんなにおかしい考えではないのかもしれない。
人は誰もが死ぬ。その最期の時に、自分にとって大切な人間がそばにいてくれれば、それは幸せと言えるのだろう。
そしてその大切な人間が、綾小路にとっての俺なのだとしたら。
「ねえ柳端くん。君はどうなの? 君も、死ぬ時に棗って人がそばにいたら、幸せなんじゃないの?」
「そうかもな。だがもうそれは叶わない。香車はもう、死んだんだ」
「なら柳端くんは、棗くんのいないこの世界に何を求めるの?」
「それは……」
香車がいないこの世界に何を求める?
そんなこと、考えていなかった。香車が生きられなかった分、俺が生きていようとしか考えていなかった。
じゃあ俺は、何のために生きている?
「アタシ、思うんだ。今はアタシも両親に借金を返すために働いてるけどさ、それを返し終わったら、たぶんアタシの役目は終わるんだろうって。人はその役目を終えたら、さっさと死んじゃう方が幸せなんじゃないかって。それでさ、柳端くんの役目って、もしかして棗くんを求めることなんじゃないかなって」
「香車を、求める?」
「棗くんがこの世にいないなら、もう死後の世界に彼を求めるしかないんじゃない?」
……俺は、どうやったら香車に許されるのかを考えていた。どうやって香車に殺されるのかを考えていた。
だけど今、綾小路がその答えを言った。俺は香車を求めている。香車を求めて、死後の世界に行こうとしている。
それは、香車によって俺が殺されることを、意味するのかもしれない。
「綾小路、俺は……」
しかし尚も迷いを見せる俺の口が、柔らかいもので塞がれた。
「……!!?」
そう、綾小路の唇によって。
「……柳端くん、こういうの、はじめて?」
俺と綾小路の唇が触れあったのはほんの数秒だったが、俺の心臓は急速に高鳴っていた。一方の綾小路はやはり弱々しい微笑みを浮かべて、俺の胸に手を当てる。
「ねえ、アタシの思いが本当だってわかった?」
「お前……」
「アタシね、本当に柳端くんのことが好き。信じてもらえなくてもいいし、君の気持ちがアタシに向かなくてもいい。だからさ……」
綾小路は、またも俺の耳元で囁く。
「アタシの最期の時くらい、君を独占させてほしいの」
不思議な気分だった。
以前の綾小路がこうして俺を誘惑したとしても、俺の心は全く動かなかっただろう。だが今の俺は、綾小路の一挙一動に敏感に反応している。
ああ、もしかしたら、本当に俺と綾小路は似たもの同士なのかもしれない。俺たちは誰かの許しを得るために、その命を投げだそうとしている。だからこそ、魅力的に見えるのかもしれない。
どちらにしろ、俺が言えるのはひとつ。
今の俺の居場所は、おそらくはこの『死体同盟』と呼ばれる場所なのだろう。
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