柏恵美の理想的な殺され方

さらす
さらす

第十三話 三つ巴(7月5日 午後4時08分)

公開日時: 2023年12月15日(金) 22:07
文字数:3,142


 【7月5日 午後4時00分】


「や、柳端は本当に紅蘭さんの兄になったっていうんですか!?」


 現在、俺は綾小路さんと共にバスで竜樹さんの家に向かっている。その車内で、俺は一ヶ月前に何が起こったのかを聞いた。

 竜樹さんや沢渡さんが柳端のバイトの同僚であること。

 竜樹さんと波瑠樹くんの間にわだかまりがあること。

 

 そして……紅蘭さんがかつて竜樹さんの『妹』だったことを。


「柳端は、紅蘭さんのために竜樹さんを襲撃するつもりなんでしょうか?」

「……マジメくんは、そう思ってるの?」

「い、いや、いくらアイツが紅蘭さんに同情したとしても、竜樹さんを傷つけるなんて大それたことをするとは思いません」

「なら、それが答えだよ」

「え?」


 どういうことだ? さっき綾小路さんは『柳端は動き出している』と言った。それなのに『柳端が竜樹さんを傷つけるとは思えない』というのが答えだと言っている……


 ……ああ、そうか。


「柳端には何か別の目的があって、紅蘭さんと協力している。そういうことですね?」

「アタシもそう思ってる。その目的が何かはわからないけど、柳端くんがあんなクソ女に引っかかるわけないってことは確信できる」


 綾小路さんの表情は真剣だ。その顔にはかつて俺の前で見せていた他人を侮ったり見下すような傲慢さは感じられない。香奈芽さんに窃盗の罪を暴かれた後、柳端とこの人の間に何があったのかは聞かされてないが、ここまで変わるほどの何かが起こったのだと納得できた。


「アタシはこの一ヶ月、柳端くんの目的が何かを探ってた。もし何か起こった時に、彼の力にはなりたかったからね」

「じゃ、じゃあ、綾小路さんが俺にさっきM高校にいたのも……?」

「うん。柳端くんが紅蘭と一緒に君に会いに行くのがわかってたから」


 沢渡さんが俺に連絡を入れてきたのも、柳端が動き出したのを悟ったからか?


「ですが、なんでこのタイミングで柳端が動き出すとわかったんですか?」

「……アンタ、ここ数日で何が起こったか覚えてないの?」

「え? ……あ!」


 そうだ。昨日、波瑠樹くんは唐沢先生の『オーダー』を受けて黛さんを襲い、結果として失敗した。だから唐沢先生は次の手を打つ必要がある。その次の手こそが……


「アンタがどういうつもりだったかは知らないけど、結果的に竜樹の弟を撃退した。だから紅蘭はそいつを連れ戻したがってる。そうなると、紅蘭が『兄』である柳端くんを動かすのは予想できるでしょ?」

「いや、ちょっと待ってください。綾小路さんはなんでそのことを知ってるんですか?」

「……」


 俺の質問に、綾小路さんはなぜか眉根を寄せてそっぽを向いてしまった。なにかまずいことを聞いてしまったのだろうか。


「……閂」

「は?」

「だから! 閂さんから聞いたの! アンタと竜樹の弟の間に何が起こったのかも! 『スタジオ唐沢』の教室長が何を企んでるのかも! 柳端くんの目的が何かわからなかったから、藁にもすがる思いでアタシから閂さんに連絡したの!」

「え、ええ!?」


 綾小路さんから、香奈芽さんに連絡を? あの綾小路さんが?


「……なによその顔。アタシが閂さんに連絡しちゃ悪いの?」

「悪いって言うか……恨んでるわけじゃないんですか?」

「……アタシが破滅したのは閂さんのせいじゃなくて、アタシ自身がバカなことやったからでしょ。だから恨むのは筋違いだってわかってる。ま、あっちだって自分の目的のためにアタシをハメたわけだから、嫌ってはいるよ。……でも、今回はそうも言ってられない」

「……」

「嫌いだろうとなんだろうと、柳端くんの力になれるなら、利用するものは利用する。嫌いなヤツに頭下げるくらい、どうってことないよ」


 ……正直言って、俺はさっきまで綾小路さんのことを疑っていた。ついこの間、唐沢先生に裏切られたこともあって、こんなに都合よく俺に手を貸してくれる人がいるはずがないと思い込んでいた。

 だけど違う。この人は本気で柳端のために動いている。そうじゃなければ香奈芽さんに協力を求めるなんて発想は出てこない。


「それで、今のうちに聞きたいことはまだある?」

「そうですね……沢渡さんは今どうしてるんですか? あの人も竜樹さんとは知り合いなんですよね?」

「どうだろうね。一応、柳端くんが動き出したことは伝えたけど、あの女が素直にアタシたちに協力するかどうかはわからないよ。もっと言えば、状況次第じゃ敵に回るかもしれない」


 綾小路さんから聞かされた話では、沢渡生花という人は極端な刹那主義者らしい。今日まで沢渡さんと直接話す機会はなかったが、中学時代にあの人が日が変わるごとに別の男子を連れて歩いているのを見たことがある。『今が楽しければいい』という考えを持つ人からすれば、誰か一人に固執する気持ちは薄いのかもしれない。そうなると、都合よく俺たちに協力してくれるわけもないか。


「でも、沢渡さんが柳端くんに会いに来るのは間違いないよ」

「え、どうしてですか?」

「……あの人、柳端くんのことになると先のことを気にするから」

「……?」


 発言の意味がよくわからなかったが、綾小路さんの表情はなぜか少し怒っていた。



 【7月5日 午後4時08分】


 バスが目的の停留所に停まり、そこから数分歩いた場所に水色のアパートが建っていた。


「ここが……竜樹さんの自宅ですか?」

「そう聞いてる。竜樹がここにいるかはわからないけど」


 どちらにしろ、竜樹さんは波瑠樹くんと一緒にいた。波瑠樹くんがさっきの電話では苦しそうに呻いていたことを考えると、満足に動ける状態ではない可能性が高い。どこか室内にいるのは間違いないだろう。

 郵便ポストで住人の名前を確認すると、一階の一番道路側の部屋が竜樹さんの自宅のようだ。


「わかりました、俺が呼び鈴を押してみます。綾小路さんは少し離れたところで待っててください」

「わかった……いや、ちょっと待って!」


 綾小路さんの視線は、アパートの窓に向いていた。俺もそっちに目を向けようとした直後。


「うっ!?」


 窓から飛び出してきた何者かが、俺の身体に追突してきた。


「ぐうっ!」

「マジメくん!?」


 廊下の手すりに押さえつけられる形になったが、腕は動く。なんとか相手の手を引き剥がして……

 いや待て。今、俺の前にいるのは……この顔は……!


「波瑠樹くん!」

「……か、や、まな、先輩。ぼ、ぼく、やっぱり、ダメです……」

「しっかりしろ! 俺は君の味方だ!」

「ダメです、ダメです……兄さんは……僕を絶対に許してくれない……」

「何を言って……」

「僕は! 兄さんの理想の弟に! 絶対になれない!」


 波瑠樹くんの張りつめた声は、先日の戦いの時に似ている。たぶん、彼はまだ苦しんでいるんだ。そしてその苦しみの原因こそが……


「……やっぱり来たのか。萱愛くん、だったか?」

「竜樹さん……!」


 玄関から出てきた竜樹さんの顔には汗が浮かび、余裕がなくひきつった表情だった。


「竜樹! コイツはアンタの弟でしょ!? やめさせて!」

「なんだよ、綾小路さんまで来たのか……要は君たち二人とも紅蘭の差し金ってことか?」

「違います! 俺たちは波瑠樹くんを助けに来ただけです!」

「だったら帰れよ! 波瑠樹は僕の弟だ。お前らからあーだこーだ言われる筋合いはないんだよ!」


 このまま話しててもラチがあかない。まずは波瑠樹くんを落ち着かせないと……!



「波瑠樹さーん。迎えに来たよー」



 だが俺を押さえつける手は、甘く媚びるような声と共に緩んだ。


 今の声は……!



「来やがったな……紅蘭!」



 憎しみを込めた声を放った竜樹さんの視線の先にいたのは、さっきM高校で会った金髪のツインテールの女の子と……


「だからお前は閂のことだけ考えろと言ったんだ。この一件はお前がどうこうできる問題じゃない。そうだろ、萱愛?」


 呆れたように俺を見つめる、柳端が立っていた。



読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート