柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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エピローグ

公開日時: 2020年10月24日(土) 20:14
更新日時: 2020年10月25日(日) 05:31
文字数:4,395


 あれから三ヶ月が経った。


「エミー、勉強難しいよー」

「我慢したまえ、君が選んだ大学と学部だろう?」

「そ、そうだけどさ……」


 私は今、自分の部屋にエミを招き、一緒に勉強をしている。

 といっても、エミは受験勉強、私は大学の課題だ。


 そう、エミを助けるために結構授業をおろそかにした私は、前期でいくつか単位を落としてしまった。

 だから後期で取り返さないとならない。……それはわかっているのだけれど。


「まさか、こんなに課題が出るとは思わなかった……」

「ははは、見通しが甘かったね」

「むう……」


 エミは相変わらず薄笑いを浮かべている。

 だがなんだろう、その顔が以前よりもほんの少し、近く感じる。

 これが私の気のせいかどうかはわからない。



 エミの敗北宣言の後。

 柳端は目を覚まし、呆然としていた。なんとか自宅に電話をして迎えに来てもらったが、親御さんにはすこし疑いの目を向けられた。

 柳端を『成香』から脱せられるかは、賭けだった。私は二年前に棗が柳端を刺したセリフを言うことで、棗が柳端を刺したということを思い出させた。

 それであいつが正気に戻るかどうかはわからなかったが、結果的には成功して良かったと思う。

 そしてあの時以降、エミに対する暴力は完全に無くなった。

 理屈はわからない。だが、柳端が棗の呪縛から解放されたことが無関係では無いだろう。

 柳端はしばらく学校に来なかったが、ある男の献身で少しずつ精神が回復しているようだ。


 その時、携帯電話が鳴る。


「ああ、萱愛?」

『黛さん、お久しぶりです。柏先輩も大丈夫ですか?』

「あんたいつまでエミを心配しているのよ? ひょっとしてちょっと気があるの?」

『そ、そんなんじゃないですよ! ちょっと心配になっただけです!』


 萱愛は相変わらず、学校で浮いた存在になっているようだ。

 だが彼は自分がそんな状況にも関わらず、柳端を積極的にケアしていた。

 それも以前のように自分の意見を押しつけることはせず、少しずつ、根気よく見守っている。


「柳端の様子はどうなの?」

『ええ、クラスメイトとの会話も増えてますし、少しずつ回復してます』

「そう、良かった……」


 柳端の精神を追いつめたのは、他ならぬ私だ。

 しかし私があいつに何かしてやれるわけではない。私が会いに行ったら悪化するかもしれない。

 だからせめて、柳端を支える萱愛を支えてあげようかと思い、定期的に連絡している。


「萱愛くんかね?」

「ええ、柳端の様子はいいみたい」

「何よりだ。そういえば、樫添くんの進路なのだがね……」


 樫添さんは難関大学を志望し、将来はカウンセラーになるという目標を掲げた。

 本人曰く、「思い悩んで自殺に走る人を引き留めたい」というのが理由だそうだ。

 彼女にも本当に感謝している。今度ご飯でもごちそうしよう。


 そしてエミはと言うと……


「ねえ、本当に私と同じ大学に行くの?」

「ああ、もう決めたことだ」

「でも、エミならもっと……」


「ルリ」


「……!」

「君は私と共に生きる。そうだったね?」

「も、もう……」


 未だにこう呼ばれるのは慣れない。


 エミは私と同じS市立大学を第一志望にしている。エミの学力なら余裕で受かるだろう。

 そして何故か、私を「ルリ」と呼び始めた。

 それにどんな意図があるかはわからない。だけど私はこう思いこむことにしている。


 私を……一生涯の友達だと認めてくれた証なのだと。


 ※※※


 今日も、クラスメイトと会話することなく一日が終わった。

 放課後の教室でそんなことを考えながら、俺は帰り支度をする。


「……」


 俺の机には、何度も落書きをされたのを消した跡が残っている。俺についての噂が、大きくなっていることも耳に入ってきた。

 正直に言えば、つらい。

 決して後悔しているわけではない。俺は唐木戸を追いつめた罪を背負って生きると決めた。その選択を変えるつもりはない。

 だがそれでも、それでも弱音が出てしまう時はある。


「うう……」


 泣いてはいけない。俺に泣く資格などないのだ。

 しかし、そんな俺の思いとは裏腹に、両目からは液体があふれ出てくる。

 俺は……俺は……


「萱愛……」


 誰もいないと思っていた教室に、俺ではない声が響く。

 あわてて両目を拭って入り口を見ると、中学のように髪を短く切り直した柳端が立っていた。


「や、柳端、まだ帰っていなかったんだな?」


 だめだ、柳端に俺の弱っているところを見せてはいけない。

 彼も、つらい過去から立ち直りつつあるのだ。


 三か月前、柏先輩と黛さんの間に何があったのかは樫添先輩から聞いた。

 そしてそれに……柳端が大きく関わっていたことも。

 その直後から、柳端は学校を休むようになった。それどころか、家からも出なくなってしまった。

 以前の俺なら迷わず柳端の家を訪問し、学校に復帰するように彼に迫っただろう。

 だがその時の俺は迷っていた。本当にこの問題に首を突っ込んでいいものかと。


 また俺は、弱っている人を追い込んでしまうのではないかと恐れた。


 だけど俺は決意した。柳端を救うことを。

 決して唐木戸のことを帳消しにしたいからではない。柳端にもう一度立ち上がって欲しいからだ。

 俺は柳端の自宅を訪ね、彼の話を聞くことにした。

 「学校に来い」などとは言わないようにした。あくまでそれを決めるのは柳端自身で、俺が決める領域じゃない。

 俺は忠告はしなかった。ただ、彼の部屋の前でこう頼み込んだ。


「気持ちの整理がついたら、俺にお前の悩みを話して欲しい」と。


 柳端の自宅を訪ねる度に、その言葉を投げかけた。それ以外の話はしなかった。

 それで柳端の気持ちが動いたのかはわからない。だが彼は六月の始まりと共に学校に復帰した。

 俺と同じくクラスメイトとの会話は無かったが、それでも普通に授業を受けられるようにまで回復したのだ。

 そして今、柳端は俺の前にいる。


「どうしたんだ? 何か忘れ物か?」


 俺は平静を装い、柳端に声をかける。


「……泣いていたのか?」


 だが柳端には見抜かれていた。


「……すまないな。こんな所を見せてしまって」

「……」

「お前の方が辛いはずだよな、なのに……」


「萱愛、ありがとう」


「……え?」


 今、柳端はなんて言った?

 俺に……礼を言ったのか?

 そして彼は俺の隣の席に座る。


「……俺は、ここ最近のお前に救われた。いや、気づかされたんだ」

「どういうことだ?」


「現実を受け入れていなかったのは、俺の方だった」


「……」


 俺は柳端の話を静かに聞くことにした。


「俺は香車を見ていなかった。いや違う、俺が見ていたのは『俺にとって一番都合のいい香車の姿』だけだった。確かに香車は俺を救ってくれた恩人だ。だがそれだけがあいつじゃなかったんだ」

「柳端……」

「香車には確かにあったんだ。『人を殺したい』という気持ちが。だが俺はその原因を全て柏に押しつけて、それを受け入れようとはしなかった。俺を救ってくれた香車、人を殺したいと思っていた香車。そのどちらも香車だったんだ」

「……」


 だけど、それを受け入れるには勇気が必要だったのだろう。だから数ヶ月の間、柳端は気持ちを落ち着けるのに専念していたのかもしれない。


「俺はそれを受け入れていなかった。だから香車のその一面を一緒に抑えようなんて考えもしなかった」

「だが、それは……」


「俺も、香車を殺したんだ」


「……!」

「柏だけじゃない、俺も香車の死の一因だったんだ。だが俺はその現実から逃げ出した。だから俺は……柏を、そして黛を殺そうとした」


 ……柳端は、俺に似ていたのかもしれない。

 大切な人を失った。そしてその事実を受け止めていなかった。


「だがお前に気づかされたんだ」

「俺に?」

「お前の状況は佐奈霧から聞かされた。唐木戸ってヤツを自殺させたって噂になっているそうだな」

「……それは事実だ。俺はこれからその事実を背負って生きる」

「それが正しいかどうかは知らない。だけどお前は唐木戸の死に向き合っている。そいつの分も生きようとしている。だから俺も香車の死に向き合う決意をした」

「……」


「それは、今からでも遅くないと信じている」


 ……柳端の選択が正しいのかはわからない。だが、俺は初めて感じた。


 自分が、他人を救えたんだという感触を。


 唐木戸、俺は、やり直せるかな?


「あんたたち、まだ残っていたの?」

「萱愛、柳端、用がないなら速やかに下校しろ」


 教室に御神酒先生と樫添先輩が入ってきた。どうやら見回りをしていたようだ。


「御神酒先生……」

「なんだ? 萱愛」

「ありがとうございます」

「それは何に対しての礼だ?」

「俺の目を覚ましてくれたことに対してです」

「……それはお前の成果だ。教師はそのきっかけを与えることしかできない」

「それでも、ありがとうございます」


「……ああ」


 御神酒先生が微かににそう呟いたのを聞き取って、俺たちは教室を出た。


「萱愛、柳端、先輩として言ってあげる」


 校門に出ると、樫添先輩が突然話を切り出す。


「なんですか?」


「あんたたちは確かに成長した。同じ境遇を経験したよしみでそう保証してあげる」


「……その背丈で先輩面するのかお前は」

「柳端、あんたは先輩に敬語使うべきだと思うの」


 ……成長か。

 信じよう。俺たちがそれを出来ただけでも、今回の事は無駄ではなかったと。



 ※※※


「おやおや、ルリはすっかり眠ってしまったか」


 私は椅子に座って寝息を立てるルリ……黛瑠璃子を見て、考える。

 思えば、私の方から彼女に声をかけたのだ。

 もしかしたら、私は本能的に気づいていたのかもしれない。彼女の強さに。

 彼女は、気づいているのだろうか。自分の行動が……


 私の、新たな願望を叶えていることに。


 今でも私は『狩られる』ことに憧れている。『狩る側』に命を捧げる妄想をしている。

 香車くんはその願望を叶える存在だった。間違いなく、今でもそう言える。

 だがその状況は未来永劫訪れない。なぜなら、ルリが存在しているからだ。

 ルリは悉く私の願望を打ち砕いた。完膚無きまでにすり潰した。

 そう、私は彼女には敵わないのだ。

 私だけではない、彼女は香車くんにも打ち勝った。

 彼女は『狩る側』をねじ伏せ、『狩られる側』を管理下に置いた。

 だから私は絶対に自らの願望を叶えられない。だがこれも……


 私が求めた『絶望』の形なのだ。


 私の願いなど知ったことではない。私の意志を全て無視し、支配する。

 それが彼女の行い。『狩る側』とは、別種の支配。

 だから私は彼女への呼称を変えた。


 かつての香車くんと同じく……彼女を特別な存在だと認めたために。


 これからも彼女は私の願いを潰していくのだろう、私の希望を潰していくのだろう。

 そして私に抗う術はない。その自由もない。

 私が『狩る側』に狩られたいなどといった願望も関係ない。

 だがそれでいい。支配者と共に歩む生、私にはそれしか許されていないのだ。


 だから私は改めて誓いを立てる。


「私は君に未来永劫支配されることを誓おう」


 そして、椅子に眠る彼女の前で跪く。


「だから、これからも私の希望を潰しておくれ」


 最も恐ろしく、最も頼もしい……




「私の、支配者ルリ






これにて、「柏恵美の理想的な殺され方」は一旦終了です。

次回から第2.5部「閂は罪人を封じている」が始まります。

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