「うがあああああああああっ!!」
どうしてだ、どうして。
「なんで!! なんで香車が!! なんで!!」
どうして平和に暮らしていた香車が、こんな目に遭わなくてはならなかったんだ。
どうして? 違う、原因はわかっている。
「柏あぁあぁぁぁぁ……」
柏、柏、柏恵美。
あの女が、あの女が全てを狂わせた。あいつが全てを壊した。
あの女が俺たちの前に現れなければ、俺たちは、ずっと、ずっと平和に……
「あいつが、なんで、なんで生きているんだ!!」
自分の中で様々な感情が渦巻いて、口から上手く言葉が出てこない。
あいつに抱いている感情がよくわからない。
そして俺はこの二年間、香車と柏のことばかり考えていた。
あの変態女が、死にたがりのクズが、香車を殺しておいて未だに息をしているのが許せない。
だがどうする? あいつを殺す? 俺が?
「そんなことが出来るわけが……」
そう、俺は二度もあいつを殺すのに失敗している。
だから後込みしていた。あいつを殺すことに。
そして自分への苛立ちが募った。香車に対して何も出来ない自分に。
「くそっ!!」
だがある日。そう、高校に入学する直前のことだった。
(……幸四郎)
声が聞こえた。そう、確かにその声が聞こえたのだ。
「……香車?」
香車だ、香車の声だ。
久しぶりに聞く香車の声に俺の心が歓喜に震えた。
「香車だな!? どこだ!? どこなんだ!?」
(……痛いよ、苦しいよ、幸四郎……)
香車は悲鳴を上げていた、そのように聞こえた。
だがどこにいるのか全くわからない。
(柏さん、柏さんが僕を……)
「柏!? そうか、柏か! あいつに囚われているのか!?」
そして俺は高校に入学してからというもの、暇があれば柏との接触を試みた。
そして柏に会う度に、香車の声は明瞭になっていった。
「なあ香車、そろそろ教えてくれ。お前はどこにいるんだ?」
(幸四郎……僕は、柏さんのせいで……)
「柏のせい!? そうか、そうだよな。あいつのせいでお前は……」
(怖いよ、僕が変わっていくのが怖いよ……)
「大丈夫だ、俺がついている。お前が俺を守ってやる!!」
(……本当に?)
「ああ、本当だ!!」
(……うれしいよ。だからお願いがあるんだ)
「なんだ? 何でもいい、お前のためなら……」
(僕が完全におかしくなる前に、柏さんを……殺して……)
「……え?」
何だ? 香車は俺に柏を殺せと言ったのか?
違う、香車は人殺しを楽しむようなやつじゃない!!
(違うよ幸四郎、僕もこんなこと頼みたくないよ。でも怖いんだ)
「香車?」
(柏さんが怖いんだ、あの人が僕を変えていくんだ。だから幸四郎に頼んでいるんだ)
その時、ようやくわかった。
そうだ、香車は必死に抵抗していたんだ。柏の誘惑に対して。
だけどそれに屈してしまうのを恐れた、だからなんだ。
だから香車は、柏を殺そうとしたんだ。
そうだ、香車は善人だ。あくまで柏に立ち向かおうとしたんだ。
だからあいつは何も悪くない、悪いのは全て柏だ。
「わ、わかった……柏を、俺が……」
(幸四郎、怖いの?)
「……っ!」
何でだ、何でこの期に及んで俺は腹を括れない。
だから香車を助けられなかった。そしてまた香車を……
(じゃあさ、幸四郎。一つ考えがあるんだ)
「か、考え?」
(うん、あのさ……)
そして香車は、提案した。
(幸四郎の意志を、僕に貸してよ)
俺にとって、魅力的な提案を。
「俺の意志を、貸す?」
(うん、幸四郎には僕として動いて欲しいんだ。僕として、僕のつもりで柏さんを殺して欲しいんだ)
「香車と、して……」
香車として柏を殺す?
そうだ、それだ。とても理に適っている。
香車は柏に立ち向かっていた。香車は柏から逃れたかった。
そして俺は香車を柏から救いたかった。
香車は柏を殺さないと救われない。だから香車は柏を殺したがっていたんだ。
それは何も不自然じゃない、普通の行動だ。
そう、香車が柏を殺すことこそが……
あいつがごく普通の人間であったという証拠。
そうだ、だから俺は柏を殺さないといけない。いや違う、
『僕』は『柏さん』を殺さないといけない。
棗 香車は死んでいない。『僕』は『香車』だ。
だから『柏さん』を殺さないと。
そして現在。
『僕』は宣言する。目の前にいる女に。
「『僕』は、『棗香車』として、『柏恵美』を殺す」
驚きに目を見開く女をよそに、『僕』は思い出の場所へと走っていった。
※※※
私は日が沈み掛けた学校の屋上で佇んでいた。
時刻は午後五時。そろそろ学校からも人気も無くなるだろう。
二年前の事件を受けてか、屋上には高いフェンスがかかっていた。まあ、鍵は簡単に拝借できた辺り、この学校の安全管理はたかがしれているが。
さて、そろそろだろう、『彼』がここに現れるのは。
例え別の場所にいたとしても、学校内の人気の無い場所であれば構わず『彼』は私に襲いかかってきたのだろうが、どうせなら思い出の場所で最期を迎えてみたい。
そう、本来なら二年前のこの場所で私の命は終わるはずだった。
しかしそれは叶わなかった。しかし二年の時を越え、戻ってきた『彼』は今度こそ私に引導を渡すのだろう。
待っていた甲斐があった。いや、『彼』からは決して逃れられないのだ。
「だから、君は逃げることをお勧めするよ、樫添くん」
私の隣にいる樫添くんに忠告する。その顔からして、彼女も緊張しているようだ。
見たところ武器も持っていない。黛くんの要請で、急いで私を守りに来たのだろう。
だが彼女一人で私を守りきれるはずもない。犠牲者が二人になるだけだ。
「……ここまで来て、逃げるなんて出来ると思う?」
「『彼』が来る前にその階段を降りればまだ君は助かるよ」
「……私は決めたの。ここまで付き合っておいて、この舞台から降りることはしないって」
「ふむ……」
彼女も彼女で見上げた決意だ。そしてそれは、『彼女』も同じだろう。
……私の、最大の敵も。
その時、屋上のドアが開いた。現れたのは……
「……待っていたよ」
「お待たせしました、『柏さん』」
つい先ほどまで『柳端幸四郎』であった、『香車くん』だった。
「ああ、待ちくたびれたよ『香車くん』」
「あ、あんた、柳端……?」
樫添くんが『香車くん』を見て驚く。
「あ、ああ、『柏さん』以外にも人がいるなあ……」
「ちょっと、柳端! あんた……」
「殺した方が、いいのかなあ……」
「なっ!?」
ふむ、まだ迷いがあるのかな? しかしそれもすぐに無くなるだろう。
この場所、この状況、あの時に限りなく近い。
しかし私には懸念がある。おそらくは、現れるのだろう。
「エミ!」
……やはり。
『彼女』は現れた。私を救いに。私の望みを踏みつぶしに。
だから『彼女』は……
「君は私の敵。そうだろう? 黛くん」
私は最大の敵の名を口にする。
「ええ、そうよ。私はあなたの敵。だから今度も邪魔に入った」
今こそここに、『狩る側』と『狩られる側』、そして『守る側』が集まった。
これで最後だ。二年前から続くこの戦いも……
今ここで、決着がつく。
※※※
日が沈み始め薄暗くなった屋上で、私と樫添さん、そしてエミと柳端の四人が対峙していた。
「ありがとう、樫添さん。そしてごめんなさい。あなたを危険な目に遭わせてしまって」
「センパイ、ここまで来てそういうのは無しです。お礼は一緒にここを降りてからにしてください」
樫添さんはエミと共に、屋上の入り口の対角線上にあるフェンスを背にしている。
事前に彼女にエミを見張らせておいて正解だった。おかげで柳端がすぐにエミに近づくことは出来ない。
屋上の入り口には私、フェンスの近くにはエミと樫添さん、そしてその間に柳端が立っている。
つまり挟み撃ちの形だ。柳端がエミたちに近づけば私があいつを止めるし、逆に私に近づけば、樫添さんの妨害が入る。
だが……そう簡単にはいかないだろう。
「やっぱり用意しておいて正解だったなあ」
その証拠に、柳端は鞄からハンマーを取り出した。
「柳端、あんた……!」
「『黛さん』、残念だけどあなたも逃がすつもりはないですよ」
この口調、二年前に聞いた棗のもの。既に柳端は『成香』となっている。
こいつだ。こいつを倒さない限り、エミに平和は訪れない。
今度こそ決着をつけてやる。そして、エミと一緒にここを降りるんだ!!
そう決意した私は、懐から『武器』を取り出す。
「ふむ、さすがに手ぶらできたわけではないか」
「ええ、あなたを守るために準備してきたわ」
「しかし君に扱えるのかね、その『ナイフ』を」
「……」
大丈夫だ。
この『武器』はエミを守るための物。
やれる、やってみせる。
「ああ、『柏さん』、柏さぁん。『僕』はやっとあなたを殺せるんだ」
「……」
「これでいいんですよね? 『僕』はあなたを殺したかった。そうだ、ずっとあなたを殺したかったんだ」
……なにこれ?
今目の前にいるのは、柳端? それとも棗? いや違う。
なんだろう、この薄気味悪い存在は。
「……エミ」
「なんだね?」
「あなた、これでいいの?」
「……」
「今、私たちの目の前にいるのは間違いなく棗じゃない。かと言って柳端でもない。そしてあなたの求めた『狩る側』でもない。そう言い切れるわ」
「ほう、君が? 君がそうだとわかるのかね?」
「ええ、これは単なる紛い物。既に死んだ存在に縋りつく、何にもなれない偽物。エミ、あなたは本当にこんなのに殺されていいの?」
「……君も知っているはずだ。私が狩られることに憧れを抱いているのは」
「確かにそうね。でもあなたはこうも言っていた。『誰でもいいわけではい』と」
「……」
「はっきり言うわ。二年前に棗が死んだ時点で、あなたの夢は既に潰えている」
その言葉に、エミの顔があからさまに歪む。まるで飲み込めないものを無理矢理飲み込もうとしているかのように。
「『黛さん』、何を言っているんですかぁ? 『僕』はここにいますよ?」
そして柳端はこちらを振り向いて不思議そうに言う。
「柳端、あんたにも言うわ。既に棗は死んでいる。あんたは決して棗にはなれないし、柳端という存在から脱することも出来ない。いい加減目を覚ましたらどうなの?」
「失礼な人だなあ、先に殺しますよ?」
「その言葉が既にあんたが棗ではないと証明している」
私の発言に、柳端の動きが止まる。
「あんたが本当に棗だったら、私がこの屋上に来た時点で既に攻撃している。二年前のようにね。そしてさっきのエミと私の会話の間にも攻撃するチャンスはいくらでもあった。でもあんたは動かなかった」
「……うるさい」
「あんたに人は殺せない。殺すという選択は出来ない。こんなものはただの茶番にしか過ぎない!」
「黙れ!!」
激高した柳端がハンマーを振り上げてこちらに向かってくる。
「……っ!!」
焦るな。
柳端は動揺している。直線的な動きで向かってくる。
ならばギリギリまで引きつけてから……
「ああっ!!」
「ッ!!」
ハンマーが振り下ろされる直前に素早く横に跳んで、攻撃を避ける。
そして、ここだ。
ハンマーを振り下ろした柳端に大きな隙が出来た。
「うっ!?」
そしてその隙を逃さず、素早く刃先を首筋に突きつける。
「ま、黛センパイ……」
樫添さんが驚きの声を上げる。当の私も驚いている。
この命を懸けた状況下で、自分がここまで冷静に動けることに。
学んだのだ。二年前のあの時に。
命を懸けなければならない時が、自分の人生にもあると。
「今確信したよ、黛くん」
樫添さんと共にこのやりとりを見ていたエミが口を開いた。
「君こそが私の目的の最大の障害だ。君がいる限り、私は殺されない」
――その通りだ。
「そう、私は何度でもあなたを守る。そしてあなたを……」
あなたを救うために……
「屈伏させる」
あえてエミを見ずに言った言葉は、彼女の耳にしっかりと届いた。
「やってみるがいい」
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