考えてみれば、“腹黒”という単語がこれ以上似合う女を他に知らない。
コイツはいつだって他人の弱点を突いてその行動を操り、誰にも悟られることなく策略を巡らせてきた。目的達成のためには自分自身も戦いの場に赴くことはあったけど、コイツのやり方は基本的に裏から手を回して、周りがいつの間にかコイツに協力せざるを得ない状況を作り出してしまうというものだ。
それを知っていながら、メイジに協力しているのがコイツだと気づかなかった。本来なら真っ先に疑うべきなのはコイツだったはずなのに。
閂香奈芽。この女こそが、工藤メイジに協力していた“腹黒”だったんだ。
「ひひひ……黛先輩は状況が飲み込めていらっしゃらないご様子ですが……こちらとしてもゆっくりご説明できる状況ではないのですよ」
閂は横目で対峙している弓長くんとメイジを見ている。それを受けてメイジも、顔をわずかに動かして『早く行け』というジェスチャーを取っていた。
「では、走りましょう。この場からはお早く立ち去るのがよろしいかと……」
「わかった。今のところはアンタを信用してあげる」
「ひひっ、手厳しいお言葉ですが、それでこそ黛先輩でございます……」
仮にコイツとメイジが敵だったとしても、コイツ一人なら取っ組み合いでも対処できる。どちらにしろ弓長くんが敵の一人である以上、ここにからは逃げるのが得策だろう。
閂と共に全速力で大学を出て、最寄りの駅まで走ることにした。
「はあ、はあ……」
「ひ、ひひっ、ひひひっ……ひ、久しぶりに、走りました、ねえ……」
駅前広場にたどり着いた頃には二人とも息が荒くなっていた。
必死に走ったから息は上がるのは当然だけど、閂は私の比ではないほどに上がっている。コイツ体力なさすぎでしょ。
だとしても、事情は説明してもらわないとならない。コイツの目的、そしてメイジの目的は何としても聞き出す。
「話してもらうわよ、閂。アンタは何を企んでたの?」
「……ひっ、ひっ、ひいーっ……た、企んでいた、という表現が似合うのは……弓長氏、の方です、よ……」
「弓長くんが?」
「あの男が……先輩を……無力化するために差し向けられたというのは……メイジさんが仰っていたでしょう……?」
確かに弓長くんは『黛さんに消えてもらう』という『オーダー』通りに私に襲い掛かって来た。そしてそれを阻止したのがメイジだ。
でも、なんのために? メイジは私を苦しめるために動いていたはずだ。仮にあのまま弓長くんが襲い掛かっていれば、むしろアイツには都合がいい。
メイジが今まで私にしたことを思い出してみても、私を嫌っているのは明らかだ。アイツはあの遊園地で私を嘲笑って、そして……
『お前、うぜえな』
……あれ?
そういえば、メイジは初めから私ではなく弓長くんに強い敵意を向けていた気がする。それに『スタジオ唐沢』でも、さっき大学で弓長くんを殴った時も、『お前が瑠璃子と付き合うのは困る』と言っていた。
それらの言葉の意味が、弓長くんが敵だという事実が明らかになった今、まるで変わってくる。
「……メイジは、私を助けるために動いていた?」
私と弓長くんがあのまま交際していたら、今に至るまでに彼の異常性や事前に与えられていた『黛瑠璃子を消す』という『オーダー』を見抜けていただろうか。いや、たぶん無理だ。遊園地で彼と遊んでいた時、私は確かに彼に惹かれていた。メイジが現れた時も真っ先に私を好きだと言ってくれたことも嬉しかったし、メイジから私を守るという気持ちが本心だと疑いもしなかった。
だけどそれが外面だけの欺瞞だとわかったのは、私の周りにメイジと通じている“腹黒”の存在を知って、弓長くんも信用できなくなったからで……
『“腹黒”なヤツには気をつけろよ』
「あ……!!」
思わず声が漏れ出てしまったけど、それほどまでに私の驚きは強い。メイジはあの時から教えてくれていたんだ。
私の近くに、敵がいると。
「ひひっ、お気づきでしょうか黛先輩? 工藤メイジさん……あなたの元恋人の目的に」
「……そんなはず、ない」
「ほう?」
「そんなはずないわ。アンタにも話したでしょ。アイツは私のことなんて好きじゃない。好きになるわけがない。みんな私のことなんて好きじゃない。それは、アイツ本人が言ったことよ」
「そうでしょうねえ……ひひっ、そうでしょう。黛先輩にとってはその方が都合がいいのでしょう」
「なに言ってるの? アイツが私の前に現れなければ……!」
「メイジさんが現れなければ、自分の都合のいい言葉を吐き続ける男と一緒にいられましたねえ……ひひっ、ああ残念なことです。ひひひっ!!」
「……!!」
閂の嘲るような言葉が突き刺さるけど、反論のしようもない。私はメイジを敵だと思っていた、敵であってほしいと望んでいた。私を否定した男が、いつまでも女を見下す悪人であってほしいと、無意識のうちに願っていた。
「だとしても……! なんで言わなかったのよ? アンタもメイジも弓長くんが敵だって気づいてたんでしょ?」
「ええ、ええ、そうですねえ。ですがそのことに気づいていたのはよりによって私とメイジさんなのですよ。私たち二人が黛先輩にはっきりそう言ったところで、あなたはそれを信用しましたか?」
「それは……」
信用するわけがない。現に私は今も閂のことを完全に信用してるわけじゃない。もともとコイツは自分の目的のために他人を利用する人間だし、メイジに至っては論外だ。
「ひひっ、まあいいでしょう。結果的にではありますが、こうして先輩にも本当の敵がわかっていただけたわけですからね……」
「いや、まだ聞いてないことがあるわ。メイジが私を助けたかっとしても、アンタの目的はなんなのよ?」
「……半分は、先日のお詫びですよ」
「お詫び?」
「陽泉氏の件では、黛先輩も柏先輩も巻き込んでしまいましたからねえ……」
確かにコイツは萱愛を陽泉から解放するためにエミを利用して私たちを巻き込んだ。だからその借りを返すために動いていたという理由なら納得は出来る。
ただしそれで納得するのは閂香奈芽という女を知らない人間だけだ。この女がそんな殊勝な考えを持ってるわけはない。
「だったらもう半分の目的の方が、アンタの本命ってわけね」
「ひひっ、その通りでございます……」
素直にそう言ったということは、その本命の理由とやらが私を害するものである可能性は低い。一応は信用しておくか。
「とりあえず、弓長くんが敵だってエミたちにも教えないと」
さっき樫添さんには私がメイジと一緒にS市立大学にいると言ってしまった。樫添さんやエミが私を心配して大学に行ってしまうと、弓長くんと鉢合わせしてしまうかもしれない。急いで連絡しないと。
しかしエミに電話をかけてみても、呼び出し音が聞こえるだけで一向に声が聞こえてこなかった。
「……エミ、どうしたのよ……!?」
まずいまずいまずい。
一刻も早くエミに本当の敵を伝えないといけないのに。電話に出ないという事実だけで悪い予感が頭に浮かんでしまう。
なら一旦電話を切ってエミの位置情報を把握しないと。
「あ……!!」
しかし無情にも、エミの位置情報はS市立大学の正門前になっていた。
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