……正直に言えば。
「ひひっ、黛先輩……ですよね? 『あの人』の一番の親友だと有名な」
『そのこと』を全く考えたことが無いと言うと嘘になる。
「い、いいえ。あなたにとって有益な提案があるのですが」
だけど私は、『そのこと』を考えるのを意識的に避けていた。なぜなら、有り得ないからだ。『彼女』と私の目的は正反対だから。だから考えないようにしていた。
「『あの人』を、独占したくはありませんか?」
『彼女』を、『私だけのものにすること』は考えないようにしていた。
だけど目の前のこの女子は、私の隠された願望を見抜いたかのようにとても魅力的な提案を投げかけてくる。ただ、それを鵜呑みにするわけにもいかなかった。
……そうだ、騙されてはならない。そもそも私はこの子が何者かもまだ知らない。もしかしたらこの子も、『彼女』に危害を加えようとしているのかもしれないのだ。
「『彼女』は、他人のものになんかならない。それを考えるだけ無意味よ」
だが、辛うじて動揺を隠したつもりの返答をした後で気づいた。
「ひ、ひひひ。や、やっぱり、『あの人』を独占したい。先輩は心の底ではそう考えているんですね?」
自分が、その欲望を持っていると白状してしまったことを。
それを確認した女子は、長い前髪に隠された顔を歪めて不気味な笑い声を上げる。まずい、このままでは相手のペースだ。
「あのさ、まだ私の質問に答えてもらってないんだけど」
「ひ?」
「誰なのあなた?」
「ひ、ひひ、そうでしたね、申し遅れました」
そして女子はスカートの両端を指で摘まみ、片足を半歩後ろに下げて、もう片方の足の膝を軽く曲げながら名乗った。
「閂香奈芽。……それが私の名前でございます、ひひひ」
確かこの挨拶は、ヨーロッパでメイドさんなどが行っていた、『カーテシー』というものだと聞いたことがある。……この人がやると、見事なまでに似合っていないけど。
「で? その閂さんは、何の目的で私に近づいたの?」
「も、目的とおっしゃられましても、私はただあなたのお力になろうと……」
「バカにしてるの?」
「……」
「そんな見え透いたウソに騙されるわけがないじゃない。あなたがそれ以上そんなことを言うんだったら付き合ってられないわ」
「わ、わかりました。私の、目的を話しましょう……ひひ……」
閂という女子は相変わらず、長い前髪の奥で笑っている。『彼女』もよく微笑みを浮かべているが、あれよりも数倍不気味な笑いだ。
「私は、本物の友情が見たいのです」
「……」
「生まれてこの方、私には『友達』と呼べる人が存在しません。ですが、どうにも周りの人間たちが持つ『友達』も、私が求める『友達』とは違う気がするのです」
「……違うというと?」
「あ、あの、『友達』というものは、それこそ命を懸けてでも救いたい。命を懸けてでも尽くしたい。そんな存在だと、思うのですよ……ですが私の周りの人間たちは、自らのために『友達』を平気で裏切っていたのです」
……命を懸けてでも救いたい。
もし、そういう関係こそが真の『友達』であれば、私は『彼女』を……
「で、ですが、私は黛先輩を見て思ったのです。『あの人』が学校中をどんなに敵に回そうと、あなたは『あの人』を救おうとしている。それは本物の友情なのでは、ないのかと……ひひひ」
「買い被りすぎよ。私と『彼女』は……単なる『友達』」
そう、『単なる友達』なのだ。……それ以上では、ない。
「な、なら、『単なる友達』以上の関係になりたくはありませんか?」
「……」
「私が、手助けを致します。私はあなたと『あの人』の友情を確認したい。あなたは『あの人』の唯一無二の『友達』になれる。……利害は、い、一致していると思いますが?」
……怪しい。この女はとても怪しい。
だがその怪しさを差し引いても、私にとっては魅力的な取引だった。
私は、『彼女』のただ一人の『友達』になりたいのだ。
「……ま、まあ、今すぐでなくとも構いません。私は一年C組の教室におりますので、お返事はまた今度でも……」
「……」
そのまま一年生の下駄箱に向かう閂を、私は何も言えずに見送ってしまった。
私は、『彼女』とどうなりたいのだろう。だが現時点では……
私と『彼女』は、決して最良の関係では無いような気がした。
二日後の授業中、私は受験生にも関わらず教師の話を半ば聞き流していた。まあ、ちゃんと授業には出ているし、定期試験も平均点は少し越えているので大丈夫だろう。
それよりも、私が考えるべきは別のことだ。
閂香奈芽。あの女の目的だ。
外見が明らかに不気味なのは置いといても、あの女はどう考えても何かを企んでいる。私に語った目的も本当かどうか怪しいものだ。
しかし、今の私に出来ることは少ない。閂の目的がわからない以上、下手に動くのは危険だ。おそらくあの女はある程度私について調べている可能性がある。もし私が閂を脅そうとしても、なんらかの反撃を受けてしまうかもしれない。
私がそう考えた理由は、昨日の昼休みにあった出来事からだ。そう、あの女はいきなり私の教室にやってきた。
「ひ、ひひ……黛先輩、ごきげんよう……」
「……アンタの顔を見たらご機嫌では無くなったわ」
これは半分本音だ。昼休みにこんな陰気な女の顔は見たくない。クラスメイトたちも閂の姿を見て、眉をひそめている。
「まあ、そう仰らずに。本日は見せたいものがございまして」
「見せたいもの?」
……よくない予感しかしなかったが、大人しく相手の出方を見ることにした。すると閂は携帯電話を取り出す。
「音はミュートにしてあります、ご安心を……」
そして動画のアプリを起動させて画面を私に見せる。そこには……
「……!」
先日、私にモップを擦りつけた女子にナイフを突きつけている所がはっきりと映っていた。なんとか驚きが態度に出てしまうことだけは抑えることが出来たが、私は内心、確実に動揺していた。その動揺は、脅しをしている所を撮られたということに対してではない。
「……なにこれ。だからどうしたの?」
「流石は黛先輩、この程度では動じませんね」
そう、閂はこの動画で私を脅そうとするつもりはさらさらない。脅すつもりならもっと人気のないところで私にこの動画を見せるべきだし、教室内でこれを見せてきたのは私が表面的には動揺しないということを見越した上でのことだ。
つまりこいつは、私を脅すつもりでこの動画を撮ったのではない。これはおそらく牽制だ。
「……どこまで私を調べたの?」
「ひ、ひひ、こちらの意図を瞬時に理解された。やはり先輩は、た、只者ではありません……」
閂は私のことを調べている、この動画はおそらくその一端だろう。こいつはこう言いたいのだ。
『私はあなたの動きを、把握できます』と。
こいつがどこまで私を調べたのかはわからないが、ここ数日の私の行動は調べられていると見ていいだろう。そして閂はそこから私の行動パターンをある程度予測し、その対策を既に練っている。そうなると、下手に閂を脅したりするのは危険だ。こいつはそれを言いに来たのだ。
「こ、これはあくまで保険です。私としてはあくまで先輩と、友好的な関係を築きたいのでございます、ひ、ひひひ」
「……」
「ま、まあ、今日はここまでにしましょう。『あの人』に関する話、是非とも前向きに考えてもらいたいと思っております……」
これが、昨日の昼休みにあった出来事。
しかし、こちらが一方的に情報を掴まれているというのも癪だ。そうなると、こちらも閂について調べる必要がありそうだ。あくまで、水面下で。
とりあえず、私は放課後に一年生の教室に行くことにした。
放課後。
下駄箱にいた何人かの一年生に強引に聞き込みをして、閂について聞き出してみた。結果はというと。
……ほとんど情報は得られなかった。
まずあいつは本人が言っていたように、『友達』と過ごしている様子は無いらしい。教室内ではいつも一人だ。
かと言って、いじめられているわけでもない。どうも周りのクラスメイトは閂に手を出すことを恐れているようだ。もしかしたら一年の時の私のように、何らかの強引な手段に出たのかもしれない。
あとは、休み時間は必ずと言っていいほどどこかに出かけているようだ。行方を知っている者は誰もいなかった。 ……だめだ。あちらの握っている情報に対して、こちらの情報が少なすぎる。相手がどういう人間かもわからない以上、対策がとりようもない。
「ひひひ、お困りのようですね、黛先輩」
下駄箱で考えを巡らせている私に、声を掛けてきたのはもちろん閂だった。
「わ、私について、調べてくださったのですか? ああ、光栄でございます」
「……」
「ですが私としては、やはり先輩と友好な関係を築きたいのでございます。ですので……」
「もういいわ」
「はい?」
「さっさとそちらの提案とやらを提示して頂戴。それが魅力的かどうかは私が判断する。それでいい?」
「お、おやおや」
このままではラチがあかない。とりあえずはこいつの提案とやらを聞いてみよう。考えるのはその後だ。
「わ、わかりました。それではまず、こちらをご覧ください」
そう言って、閂は一枚の写真を取り出す、そこには……
「ひ、ひひ、よく撮れているとは思いませんか?」
自宅らしき場所でバスタオル一枚でくつろいでいる、『彼女』の姿だった。
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