「……行ったか。まったく、お前毎回こんなことに巻き込まれてんのかよ」
唐沢が立ち去り、その姿が見えなくなってから、メイジは深いため息をついてその場にしゃがみ込んだ。
「アンタ……いや、詳しい事情は閂から聞かせてもらうわ」
「そうしろ。自分でもお前に今更どの面下げて会いに来てるんだって思ってんだからな……あー、そうだ。そっちのメガネの子、財前さんって呼ばれてたよな?」
「え?」
「ミーコの妹さんだろ?」
「……!」
メイジが出したのは、私が中学で叩き潰した女の名前だった。財前がミーコの妹? じゃあ、コイツは最初から私のことを知ってたってこと?
「やっぱりな。ミーコが見せてくれた写真にそっくりだったからよ」
「……それがどうしたんですか? 姉さんと一緒に、私を笑いに来たんですか?」
「そんなわけねえだろ。オレがここに来たのは、あくまであの“腹黒”の要求だよ。ミーコの妹がいるなんてことは聞いてねえ」
「そうですか。じゃあさっさと帰ってくれます? どうせ私は単なる暗い女ですよ。だから姉さんにはバカにされるし、柏さんにも拒絶されるんです」
「おいおい、ちょっと待てよ。それは聞き捨てならねえな」
メイジの顔に、再び険しい表情が戻っていく。そういえば、今日のコイツはずっとこんな顔をしていた。私を傷つけた時のような笑顔ではなく、ずっと相手と向き合っていた。
「アンタがミーコを嫌うのは仕方ねえよ。というかアイツに原因があるから当然だ。たが、自分の人生が上手く行かねえことまでアイツのせいにするんじゃねえよ」
「あなたに何がわかるんですか? 姉さんは、私のことずっとバカにしてたんですよ? そのせいで私は……」
「それが聞き捨てならねえって言ってるんだよ。ミーコが今もアンタをバカにしてるならその論理は通るけどよ、アイツはアンタと仲直りしたいって、オレと一緒になる前にそれだけはケリをつけたいって言ってたぜ?」
「え?」
「ミーコに聞いたんだよ、『妹に声をかけても、ずっと無視されてる』って。そりゃアンタからしたら簡単にミーコは許せねえだろうよ。オレだってアイツとヨリを戻すのにめっちゃ遠回りしたからな。ただ、アンタがミーコと仲直りしたくないのは許せないという理由だけか?」
メイジはあくまで財前に向かって話している。そのはずだ。なのになぜか、その言葉は私に対しても向けられているんじゃないかと思った。
「ミーコが妹と仲直りしたいのは、アイツにメリットがあるからだ。アンタが本当に単なる暗い女だってんなら、ミーコだって放っておいただろうよ。『自分はあっさり捨てられる人間だ』と思い込むのは、ミーコの思いをも否定する。だから聞き捨てならねえんだよ」
「だったら……どうすればいいって言うんですか!?」
「どうすればいいとは言えねえよ。だが、やってほしいことは言える。オレはアンタにミーコの話を聞いてやって欲しいと思ってるんだよ」
「……!」
「ま、偉そうなこと言うなって思うよな。オレだって散々、周りの人間に当たり散らしてきた男だ。だから痛い目見て、こんな騒動にも首を突っ込むハメになってる」
そこまで言うと、財前からは視線を逸らして立ち上がった。
「なあ瑠璃子、オレからは詳しいことは言えねえ。言う資格もねえ。今さらオレの事情を話して許してもらおうとは思わねえよ」
……私だってもうわかってる。メイジが単なる悪人じゃなくて、他人の事情を汲んで動ける人間なんだと。
だけど、それ以上にあの時の記憶に縋ってしまっている。工藤メイジは悪人で、そのせいで私は今も縛られているんだと。『自分は誰にも好かれない』。そう思っていた方が楽なんだと。
「だけど、これだけは言わせてくれ」
メイジが何を言っても、許すつもりなんてない。
「お前がいたから、オレは救われた。お前の強さが、オレを変えた」
……許すつもりなんてない。
だけど、その言葉は私に私自身を許させた。黛瑠璃子という人間は強いのだと。
私を好きでいてくれる人間は、いるのかもしれないと。
「じゃあな、瑠璃子。これでお別れだ。二度とお前の前には現れねえ。ただ、お互い知らないところで生き延びていればいい。オレはそう思ってる」
「……ええ」
本当にメイジとは二度と会うことはないんだろう。たぶん、メイジは既にミーコさんと生きる道を選んでいる。それを抜きにしても、自分が手ひどくフッた相手とこれ以上関わるべきではないと考えている。
「ありがとう、メイジ」
だからこの言葉を最後に、本当に私と工藤メイジの関係は切れた。私を長らく縛っていた、悪い元カレはもういない。
「……」
何も言わずに立ち去っていく背中を見ても、アイツが何を考えているかなんてわからない。だから、心の中で思うことにした。
お互い知らないところで、幸せに生き延びていこうと。
一時間後。
「ひひ、ひひ、ひひひ……」
大学近くのファミレスに集まった私たちだったが、なぜか閂は笑い続けていた。
「それで、弓長くんは?」
「萱愛氏が弓長氏のご自宅に連絡を入れて、ご家族に連れられて帰りましたよ……」
「大丈夫なの? だいぶ参ってたみたいだけど」
「わかりません。ですが、彼ははっきりと言いました。『助けてほしい』と。なら俺は……それに応えたい、です」
萱愛にしては少し歯切れの悪い返答なのが気になったけど、こっちはこっちで考えないといけないことがある。
「エミ。唐沢が次にどう動くのかわかる?」
「私としても彼を詳しくは『覚えていない』のだよ。まあ、彼についてわかったのは、私に斧寺霧人の要素を見るのが気に入らないということくらいだね」
「えーっと、柏ちゃん? その、斧寺霧人さんって、萱愛のおじいさんだよね? なんでその人の名前が……?」
「……」
樫添さんはピンと来ていないけど、私と萱愛には心当たりがある。
以前、エミがエミではない別の人間のように変化したことがあった。何かに取りつかれていたというわけじゃない。むしろ、奥に潜んでいた何者かが表に現れたという雰囲気だった。
『君の語る『愛』は、小霧にも『この子』にも心地よい絶望をもたらしてくれると思っていたのだがね。どうやら違ったようだ』
あの時、陽泉の前でエミの中にいた何者かはそう言った。もし、あれが……アイツこそが、斧寺霧人なのだとしたら。
アイツがいるから、エミは『殺されたい』と願い続けなければいけないのだとしたら。
「ルリ、ひとつ聞いておきたいことがあるのだが」
「え!? う、うん、なに?」
「……君は、私をどうしたい?」
エミをどうしたいか? そんなの決まってるし、とっくに選んでる。
「エミがどんな考えでいようと、どんな願望を持っていようと、私の隣で生きてもらうわ」
私の返答を聞いたエミは、なぜか小さく笑った。
「……はは。どうやら私はやはり、ルリに支配されているようだ。嬉しいよ。君がはっきりと私を叩き潰すと宣言してくれることがね」
そうだ。私はエミの願望を操作したいんじゃない。エミがどんな願いを持っていようと、それでも自分と共に生きてほしいと願ったんだ。私自身がそう願ったんだ。
エミの願いが、彼女自身のものか、斧寺霧人のものかなんて関係ない。
「あの、柏先輩。俺たちはここで失礼します。学校を黙って抜け出してしまったので……」
「おや、そうだったね。ならば私たちも解散しようか。ああ、そうだ。閂くん」
「ひひ、なんでしょうか?」
「……礼を言う。感謝しているのだよ」
「ひひひひ、私は自分の目的のために動いただけですよ……」
エミがなんで閂にお礼を言っているのかはわからない。ただ、今回の件が終わって改めてエミを見ると、最近感じていた私に対するぎこちなさみたいなのが無くなった気がする。
だから私は、これからも自分がエミに『絶望』を与える支配者でいられると、信じることができた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!