柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第二話『友人』・1

公開日時: 2020年9月10日(木) 19:36
更新日時: 2020年9月28日(月) 02:01
文字数:4,106

 

 上がってしまった。

 また上がってしまった。

 また無意味に上がってしまった。


 4月、桜がその花を散らした後。

 通っている高校の中庭で、私、まゆずみ瑠璃子るりこは、新しい春が来たことで、また学年が上がり二年生になったことを憂いていた。


「あーあ……」


 この時期はいつもこうだ。

 私は精神的には何も成長をしていないのに、学年を重ねるごとに周囲は大人になることを強要する。

 私には、そのことで愚痴を言い合う友達もいない。

 友達がいないことで、同年代が重ねているであろう、様々な経験を私は重ねていない。

 だが、この現状から抜け出す努力もしたくない。何というか、興味が薄いのだ。友達を作ること、何かを成し遂げること、誰かと愛し合うこと。私はそのどれにも、興味が薄い。

 だが、大人になれば、それは当然経験したものだと扱われる。

 だから強いられる。経験を重ねることを。

 それから逃げることなど出来ないということを、中庭のベンチに座りながら嘆いていた。


「誰か待ち人がいるのかね?」


 その声は低めではあるが女性の物であることは聞けばわかった。

 だが、妙に仰々しいというか、芝居がかった口調だった。

 当然の如くその声の主を探したが、辺りには女生徒が一人いるだけだ。

 まさか、女子高生があんな口調なわけがないと思い、辺りを改めて見回す。


「おや、この距離で私の姿が見えないわけがないだろう?」


 またしても、声が聞こえた。

 だが、今度は女生徒が口を動かして声を発するのを実際に確認したので、その芝居がかった口調の声が、女生徒から発せられたと確信した。


「私が見えているのなら、質問に答えてくれないかな。もう一度聞くよ。誰か待ち人がいるのかね?」


 女生徒が近づいてくる。

 なんだこいつは? 私の数少ない知り合いにこんな奴はいない。

 同級生との接点が少ない私に話しかける人など滅多にいないはず。

 それに何だこの口調は? 明らかにまともじゃない。関わってはいけない。


「君が喋れることは、先ほどの独り言で確認した。質問に答えられないということはないはずだ」


 どうやら見られていたらしい。何だか恥ずかしくなる。

 というか、腹が立ってくる。だから、つい返答してしまった。


「私がここで何してようが、アンタに関係ないでしょ」


 返答した後で、関わってしまったことを少し後悔したが、今更遅かった。


「ふむ、答える気はなしか。君がここで何をしているのか興味があったのだが」


 それを聞いて、先ほどから目に入っていた彼女の制服のリボンの色を改めて確認する。


「ていうかさ、アンタ新入生でしょ? 私は先輩なんだから、それなりの口の利き方っていうのがあるんじゃないの?」

「すまない。だがこれは、癖というか体質のようなものだ。どうか、寛容な心で受け入れて欲しいのだが」


 どうやら直す気はないようだ。


「しかし、その様子だと待ち人は来ないようだね」


 その言葉に先ほどの質問に答えていないことに気がついた。


「別に誰かを待っているわけじゃないわよ。ただ、一人でいたいだけ」


 私としては本心を言ったつもりだった。

 誰かと仲睦まじく、雑談するなど取り立てて興味はない。


「そうか。なら私がその待ち人になろうか?」

「は?」


 待ち人はいない。私はそう言ったのに、こいつは何を言っている?


「意味がわからないんだけど」

「ああ、済まない。もっと直接的な表現にすべきだったか」


 そして彼女は両手を広げて、含みのある微笑を浮かべる。


「私が君の話し相手になる」


 話し相手? 私の?


「そう言っているのだよ」


 突然の申し出に、どう対処していいかわからない。

 だが、このままでは向こうのペースだ。意味のわからないうちに、面倒に巻き込まれるのはごめんだ。


「……何を言っているのよ。私はアンタの名前も知らないんだけど?」

「それもそうだな、自己紹介をしようか」


 彼女は左手を胸に当てる。


「私の名前は柏恵美。今から少しの間、君を振り回す者だ」


 そして右手を差し出してきた。


「今後ともよろしく」


 まさかこれは握手をしようということなのか?

 正直言って、こんな奇特な新入生とは関わりたくない。

 だから――


 差し出された右手を思い切り払いのけた。


「……これでもうアンタに振り回されるのはおしまい。本当に少しの間だったわね」


 そう言って、ベンチから立ち上がりその場を後にする。

 新入生、柏恵美はその場ではそれ以上何も言ってこなかった。


 ――だがこれが、私の人生を大きく狂わせる「悪魔」、柏恵美との出会いだったのだ。


 一週間後。


 私はあの奇特な新入生と会ったことも忘れかけ、以前となんら変わらない学校生活を過ごしていた。

 私の学校生活とは、クラスメイトの誰とも関わらすに淡々と過ごすものである。そして昼休み。私は一人で昼食をとるため人気のない校舎裏に行った。


 だがそこに、見覚えのある顔があった。同じクラスの沼田ぬまたという男子だ。

 小太りで、髪や顔が脂ぎっているのが特徴的で、同じ学年のほとんどの生徒は彼を嫌っている。

 だが、彼が嫌われているのはその外見のせいではなく、醜悪とも言える貪欲さのせいだ。沼田は彼女がいるということをステータスだと思っており、学校での地位を上げるために、手当たりしだいに女子に声をかけ、付き合おうとしていた。

 だが、その見え透いた下心と、外見を整える努力もしない性格のため、ことごとく断られていた。

 私も先日、沼田に声をかけられた。


「ま、黛さん……ぼ、ぼ、僕と一緒にご飯食べようよ……えへへ……」


 彼特有の、鼻を妙に広げる笑い方のせいで鼻毛が見えてしまったので、私はとても不快になった。どうせ私に声をかけたのも、私がクラスで浮いているから、優しくすれば付き合えるという浅い考えによるものだろう。


「アンタ気持ち悪いから、お断り」


 こういう輩には、はっきり言った方がいいと思ったので、突っぱねたら、何かをモゴモゴ言いながら、去っていった。

 本当に、心身共に不潔だと思う。

 そんな彼の姿を見たので、思わず物陰に隠れてその場を去ろうとした。


 沼田と一緒に柏がいるのを見るまでは。



 なんであの女が沼田と一緒に?

 だが、少し考えればわかることだった。同学年に相手にされない沼田は新入生に狙いをつけたのだ。

 確かに、柏は顔は美人だ。中身に問題があると思うが。


「か、柏恵美ちゃんだよね? 僕、二年の沼田っていうんだけど、学校には慣れた? もしよかったら、僕が色々教えてあげるよ」


 柏は黙って聞いていたが、私はその気持ち悪いやり口に吐き気がしそうだった。


「な、なんなら、僕が君と付き合ってあげるよ。友達だってすぐにできるよ……」


 なんで上から目線なんだ。どうやら、柏に友達がいないことに目をつけ、優しくして付き合おうという魂胆らしい。なんて学習しない奴だ。


「残念ながら、私は恋愛には興味がないし、したところで意味がない。……だが、そうでなかったとしても、君には魅力を感じないな」


 柏が相変わらずの口調で言う。どうやら彼女もはっきり言うことで、この場を乗り切ろうとしているようだ。


 だが、この時ばかりは裏目に出た。


「ふ、ふ、ふざけるなよおおお!」


 突然叫んだかと思うと、沼田は内ポケットからナイフを取り出した。

 そこらで売っている小さいナイフではなく、鍔が付いた大きなナイフだ。


「ぼ、僕と付き合えよ! さもないと殺すぞおおお!」


 なんて奴だ、まさかあそこまでおかしいとは。

 どうする? 教師を呼ぶか?だが、ここから職員室までは距離がある。その間に沼田が柏を刺してしまうかもしれない。

 だが、パニックになりかけていた私に対し、当事者である柏は妙に冷静だった。彼女は沼田の右手に握られているナイフをじっと見ている。


「ふむ」


 彼女は顎に手を当て、何かを考えているようだった。


「持ち方が違うな」

「は?」


 突然の指摘に、私と沼田の両方が目を丸くした。


「私を殺すのだろう? そのつもりなら、そのナイフの持ち方は違う」


 柏は沼田につかつかと近づく。


「な……何だよ! 殺すって言ってるだろ!」

「そのために少しアドバイスをしようと言うんだ。まず、確実に殺したいのであれば、斬るより突く方がいい。だから、片手で持つのではなく、こうやって……」


 いつの間にか、柏が沼田の両手を持って動かしていた。


「ナイフを腹の前に構え、両手で持ち、体ごとぶつかるつもりで突いた方がより確実だ。そしてこのまま……」

「えっ!?」


 そして、柏は沼田が握るナイフの刃先を自分の体に当てる。


「一気に私の体に突き刺す。こうすれば内臓まで届くから、私が死ぬ確率は高い」


 沼田はナイフを向けている立場なのに、完全に精神的優位を失っていた。


「どうしたのかね? このまま一気に突き刺せば、私を殺せるよ。獲物をいたぶりたい気持ちはわかるが、殺せるときに殺した方がいい。さもないと……」

「あっ!?」


 いつのまにか柏は、自分のポケットから小さいナイフを取り出し、その柄の部分を沼田の首筋に押し当てていた。


「思わぬ反撃を受けることになる」


 その動作に、私も沼田も気づかなかった。


「獲物に助かる希望を与えてはいけない。一つ一つ退路をしっかりと潰し、甘美な絶望に叩き落してあげることが重要だ。覚えておきたまえ」

「う、うわああああああ!」


 柏のあまりにも異様な態度に耐えられなくなった沼田はナイフを捨て、その場から走り去っていった。


「やれやれ、違ったか。やはり私を狩るのは……」

「柏!」


 安全を確認するため、彼女に声を掛ける。


「アンタ大丈夫なの!? 怪我はない!?」

「私を心配してくれるのかね?」

「いや……そうじゃないけど……」


 だが、その場に居合わせていたのに何も出来なかった。


「君の行動は正しいよ」

「えっ?」

「もし、君が大声を出して、彼の注意を私から逸らそうとしていたら、君が危なかった。だから、君が責任を感じることはない」


 心中を見透かされてしまい、何も言えない。

 だが、こいつはあの状況で取り乱すこともなく、思いもよらぬ方法で、危機を脱することが出来た。

 こんな人間がいるのか。こんな行動が出来るのか。


「どうして、あんなこと……」

「彼に殺し方をアドバイスしたことかな?それはね……」


 そして柏は言った。


「私がそうされるのを望んでいるからだよ」


 その時からだろうか、私がこいつに興味を持ち始めたのは。


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