名案を思いついてから数日後の夜。アタシは家から三駅ほど離れた街の繁華街にいた。これから行うことを誰かに見られたら、一発でアウトなんてことは、子供のアタシでもわかっていた。
夜の街を歩いている男たちの中でも、お金を持ってそうな見た目の男を探す。目星をつけたアタシは、早速一人の男に声をかけた。
「ねえ、おじさん。あたし、ちょっと寂しいんだけど」
アタシに声をかけられた男は、目を丸くしながらも、こちらにいやらしい下卑た視線を送った。
「な、なんだ君は。見たところ……高校生、か?」
今のアタシは、適当に買った白のブラウスとプリーツスカートを着て、女子高生に見せていた。いくらなんでも小学生に下心を持つ男がそんなに多くはないと思ったからだ。
「あ、あのね、あたしお金がほしいんだよね。でもあたし、バカだから、仕事できないんだ。だから、おじさんにちょっと恵んで欲しいなって」
「なにを言ってるんだ。大人をからかうんじゃない」
そう言いながらも、男はアタシのブラウスから覗くの胸の谷間をチラチラと見ていた。知らないとはいえ、小学生の胸の谷間に欲情する姿には、アタシも内心引いていた。だけどこれもお金のためだ。華さんに褒めてもらうためだ。華さんとアタシの未来のためだ。そう思って我慢した。
「だいたい、君みたいな未成年の女の子が私みたいな見知らぬおじさんに話しかけるもんじゃない。早く家に帰りなさい」
「家に帰っても、誰もいないよ。もし、おじさんがあたしにお金を恵んでくれるなら、お礼はするよ」
「お、お礼?」
「そう。あたしが気持ちよくなるところ、見せてあげようかと思って。おじさんがあたしに手を出したら援助交際になるけど、見てるだけだったらそうならないでしょ?」
「む、むう……」
悩み出す男に内心では吐き気を催していたけど、このまま押し切れることを確信したアタシは、男の手を握った。
「ねえ、お願いだよ。あたしを……アタシを助けてよ」
上目遣いで男に懇願すると、相手はついに落ちた。
「し、仕方ないな……君みたいな子供を放っておくわけにもいくまい。今回だけだぞ」
「うん、ありがとう。じゃ、どこかホテルにでも行こう」
そしてアタシは、見知らぬ男に気持ちよくなっている姿を見せつけて、小学生では決して手にできない大金を得た。
それから。
一度成功したアタシは、男を誘惑する要領を掴み、たびたび夜の街に向かっては年上の男と一晩を共にして、お金を稼ぐようになった。
その過程で、一人の男から何度か連絡を取りたいということで中古のスマートフォンをもらったアタシは、それを使って出会い系アプリに登録し、効率よく男に狙いを定められるようになった。
男と一晩を共にする時は、決まって華さんが仕事で家に帰ってこない日を選んだ。そうでないと華さんに心配されてしまう。父親はアタシのことに興味なんてなかったので、アタシが外泊しても何も言わなかった。
男たちと出会うときは、アタシはいつも高校生であると偽っていたが、それを疑う男はいなかった。どいつもこいつも、アタシが頭の緩い女子高生であると確信していたので、小学生であるアタシが多少世の中を知らない発言をしても、誰もそれを追及してこなかった。
しかし、男たちとの相手が辛くなかったと言えばウソになる。当時のアタシも別にドラマチックな恋愛に憧れていたわけでもなかったけど、どこの誰かもわからない上に小学生相手に鼻の下を伸ばすおっさんの相手をしたいわけでもない。全てはお金のためだ。華さんが言う、『いつか報われる時』のためだ。自分にそう言い聞かせた。
そんなある日のことだった。いつも通りに男の相手をしていると、アタシは目の前がぼやけていることに気づいた。男の顔がくっきりと見えなくなり、自分が誰の相手をしているのかわからなくなる。
「どうしたの、生花ちゃん?」
「あー、なんでもないよ」
男が心配そうに声をかけてくるが、その顔にどんな表情が浮かんでいるのかがはっきりと見えない。だけどアタシにはその方が都合がよかった。気持ち悪い男の顔なんて、見えない方がいい。
しかし、男たちの相手をしている時以外も、目の前の景色がよく見えなくなっていった。特に近くのものが全然見えなくなってきている。日常生活を送るのにも困ってきたので、仕方なくアタシは眼科に行くことにした。
眼科で軽度の遠視であると診断されたので、その足で遠視用の眼鏡を作ってもらうために眼鏡屋に行った。今まで稼いだお金があったので、眼鏡ひとつ作ってもらうのには、さほど障害はなかった。
一週間ほどして、出来上がった眼鏡をかけてみる。なるほど、これなら目の前のものもちゃんと見えてくる。
しかし、男たちの顔を見たくないアタシとしては、その時には眼鏡は邪魔なものでしかない。眼鏡を使うのは普段だけにしておこうと思った。
しかし、この眼鏡が思わぬ事態を招くことになる。
「生花さん。あなた、眼鏡なんてどうやって作ったんですか?」
眼鏡を頭に乗せていたアタシに対して、華さんは無表情で質問した。考えてみれば、小学生のアタシが母親である華さんの助力なしで眼鏡を作れるはずがない。迂闊だった。
だけどいずれアタシは、華さんに自分がお金を稼いでいることを打ち明けるつもりだったのだ。だったら今がその時だというだけだ。
「華さん、実はアタシ……お金を稼いだんだよ」
アタシはそう言って、今まで稼いだお金を華さんに見せた。これで華さんは喜んでくれる。華さんの苦労が報われる。そう思ったアタシは、眼鏡をかけて華さんの喜ぶ顔を見ようとした。
だけど視界がクリアになったアタシが見たものは……
「生花さん、どうして、ですか?」
まるでアタシを敵のように睨み付ける華さんの顔だった。
「生花さん、あなた、お金なんてどうやって稼いだんですか?」
眼鏡をかけたアタシの前に、憤怒の表情を浮かべた華さんが立っている。こんな顔は今まで見たことがない。だけど黙っていても始まらないから、アタシは意を決して口を開いた。
「ア、アタシさ、華さんだけがこんなに働かないといけないのっておかしいって思ったからさ。だから……」
「それが、理由ですか?」
「え?」
「私がこんなに頑張っているのに、その努力を無駄にしようとしたのは、それが理由ですか?」
「華、さん……?」
華さんはアタシに背を向けて、台所へ向かう。そしてなぜかお玉を持ってリビングへ戻ってきた。
そしてそのお玉を、アタシの頭に向かって思い切り振り下ろした。
「あうっ!」
痛い。金属のお玉で叩かれたのだから痛いのは当たり前だけど、なにより華さんに叩かれたという事実がアタシの心を強く痛めつけた。
「なんでですか、生花さん!? 私がこんなに頑張っているのに、どうしてあなたが頑張ってしまうんですか!?」
尚もアタシを叩き続ける華さんに対し、腕でガードしながらアタシは反論した。
「ちょ、ちょっと待ってよ。アタシは、華さんがもう頑張らなくてもいいようにと思って、お金を稼いできたんだよ?」
「私に頑張らなくていいって言うんですか!? 生花さん! 私が働くのも、努力するのも、全てあなたとお父さんのためです! 私が頑張ればいいんです! そうすれば私たちは幸せな未来にたどり着けるんですよ!」
「なんで? なんでそんなこと言うのさ? アタシにも頑張らせてよ。アタシ、華さんの力になりたいんだよ!」
「あなたは黙って、私に幸せにされればいいんです! 私が真面目に努力せずに、幸せになるなんてことはあってはならないんです!」
アタシには華さんがどうして怒っているのかわからなかった。わかっているのは、アタシの頑張りが、華さんの怒りの原因だということだけだった。
「あうっ!」
お玉で叩かれているうちに、アタシの眼鏡が吹き飛んだ。それを見た華さんの手がようやく止まった。
「生花さん。その眼鏡を渡しなさい」
「は、はい……」
これ以上叩かれたくなかったアタシは、素直に眼鏡を渡した。
受け取った眼鏡をしばらく眺めた華さんは、黙ってそれをテーブルに置く。
そして、右手に持ったお玉を眼鏡に叩きつけた。
「あ……」
何度も、何度も、華さんは眼鏡を叩いた。そのうちにレンズは粉々に割れて、フレームがボコボコに歪んでいく。
「いいですか、生花さん。眼鏡が欲しいなら私が買ってあげます。眼鏡だけじゃ足りないというなら、コンタクトレンズも買ってあげます。ですから、もう二度と私の頑張りを踏みにじらないでくださいね」
「……わかったよ」
アタシにそう言い放った華さんの顔は、もうはっきりとは見えなかった。
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