「はあ、はあ、はあ……」
『死体同盟』のアジトから大急ぎで最寄りの駅に走った私は、息を整えながら携帯電話を確認する。
エミの連絡先から、樫添さんが打ったと思われるメールが送られていた。向こうも私がいる方面の電車に乗っていて、中間の駅で合流しようとのことだった。
駅の改札前で、改めて路線図を確認する。私が今いる駅と、樫添さんたちがいる地元の駅の間には快速電車も止まる大きな駅がひとつある。その駅で待ち合わせるのが確実だろう。そう思って、エミの連絡先に電話をかける。
「もしもし、エミ!?」
『ルリか、樫添くんが送ったメールは見たかね?』
「ええ。それで、〇×駅ってわかる? 快速が止まる駅なんだけど」
『なるほど、そこで待ち合わせをしようということか。了解した』
「そういうこと。改札の前で待ってるから……」
そう言って、電話を切った時だった。
「なーるほどねえ。君はどんてんくんに会いに行ってたわけか。これは奇遇だなあ」
私の後ろから、どこか緊張感のないふざけた声が聞こえてきた。
コイツの声を聞くのはこれで二度目だけど、聞き違えることはない。
「空木……晴天!」
振り返った私の目に映ったのは、あの日と同じく青いシャツとスラックスを着た、短髪の男だった。
「あーあーあー、黛さんだっけ? ごきげんよう。柏さんは一緒じゃなかったみたいだねえ」
「残念ね、アンタの目論見は外れたわ。エミは既に安全な場所に避難させてるから、アンタに手出しはできないわ」
「あーそう。それは別にいいよー。柏さんが無事なのは、ボクにとっても喜ばしいことだからね」
「……?」
どういうこと? 晴天は棗朝飛を使って、エミを襲わせたんじゃなかったのだろうか。
いや、そもそも晴天の目的はエミに『希望』を抱かせること。つまり最初から、エミを殺すことは晴天にとっても都合が悪いことのはず。
この場合、不自然なのは晴天が棗朝飛をけしかけたことの方だ。『狩る側の存在』である棗朝飛と他人を『希望』に縋らせたい空木晴天は、本来であれば非常に相性が悪いはず。だけど実際には、この二人が手を組んでいるのは間違いない。つまりそうするだけの理由があるということ。
棗朝飛と手を組むことが、空木晴天にとってはメリットがある。矛盾しているようだけど、その二つを結びつけるしかこの状況を説明できない。
「とーころでさ。この辺りでどんてんくんを見なかったかな? この間はゆっくり話せなかったからさ。久しぶりに兄弟水入らずでお話ししたいんだよね」
「……曇天さんなら、アンタとは死んでも会いたくないって言ってたわよ」
空木晴天がここにいる時点で、どうせ曇天さんがこの駅の近辺にいることまでは調べているのだろう。隠しても無駄なら、皮肉のひとつでも言っておく。
「あーあーあー、どんてんくんはそういうこと言ってたんだ。困るなあ、『死んでも』なんてことを言うのは。彼には生きていてほしいんだけどな」
弟が自分に会いたくないことよりも、『死』について口にすることを問題視するあたり、コイツは自分が弟にどう思われてるかなんて興味がないんだろう。コイツが見ているのは、苦しみながら生きるほかない弟の姿だけだ。
さて、どうするか。早くエミたちと合流する必要はあるけど、空木晴天をこのまま野放しにしておいていいのだろうか。仮にコイツが棗朝飛に指示を出しているのであれば、今コイツを叩いておく必要はあるのかもしれない。
しかしコイツはまだ何もしていない。下手に動こうものなら、警察に捕まるのは私の方だ。そうなれば、コイツから棗朝飛に関しての情報をできるだけ引き出しておくか。
「あー、そうだ。実はさ、君に伝えておくことがあったんだよ」
私が言葉を発する前にわざとらしい大声を出した晴天は、私に向かって笑いかけた。
「実はね、ボクは黛さんに本当に感謝しているんだよ」
「は?」
「だってそうだろう? 君がいなかったら柏さんはもう死んでたかもしれないからね。つまり君はボクが柏さんに『希望』を与えるチャンスを繋いでくれたってわけだ。だから本当に感謝してる。ありがとう」
「……私は、アンタのためにエミを助けたんじゃない。自分のために助けたのよ」
「あーあーあー、まあ君はそういうつもりなのかもしれないけどね。ボクからしたら、君はボクに協力してくれたに等しいんだよね。ああよかった。君がいてくれてよかったなあ」
朗らかに笑うその姿が、妙に腹立たしい。そもそも私のやったことは、感謝されるようなことじゃない。
「私はエミの願望を叩き潰して、自分の隣にいさせただけ。アンタに感謝される謂れはないわ」
「ま、そうかもね。でもね、ボクは思うんだよ。ある意味ではボクと君の目的は一致してる。ボクたちは柏さんに生きててほしいって思ってるんだからね」
「……私は、アンタとは違うわ」
「そうかなあ? 君も一度は考えたことない?」
そして空木晴天は私に囁く。
「柏さんが、『絶望』なんてものを捨てて、普通に生きててくれる未来を」
……その考えは、私の中にないとは言えない。
「だとしても、アンタのやってることはエミを危険に晒してる。その時点でアンタは私の敵と見なすのに十分よ」
「ああそう? そう言うなら、ボクはもう行くよ。どんてんくんに早く会いたいからね」
「その前にひとつ聞いておくわ。棗朝飛をエミにけしかけたのはアンタなの?」
「あーあーあー、朝飛さんのこと、もう知ってるんだ。うん、そうだよ。朝飛さんもボクの患者の一人だからね」
「じゃ、一度だけ言うわ。今すぐアイツを止めなさい。そうすれば今回の件はなかったことにしてあげる」
「そーれは聞けないな。だってボクは柏さんに『希望』を持って生きていてほしいんだ。朝飛さんがいれば、それが可能だからねえ」
「人を殺したがってる棗朝飛とアンタの目的は真逆なんじゃないの?」
「あー、君はそう思うんだ。でも心配いらないよ。ボクは自分の患者が『希望』を持って生きてさえいればそれでいいから。それじゃあね」
そう言って、空木晴天は私に背を向けて駅の出口に向かっていった。その背中を見ながら考える。
患者が『希望』を持って生きてさえいればそれでいい。逆に言えば、それ以外には興味がない。あの男らしい言葉ではある。
だけど私はその意味について考える必要がある。空木晴天がエミを殺そうとするはずがない。しかし実際には、『狩る側の存在』である棗朝飛と手を組んでいる。その意味が分からない。分からないけど、そこには何らかの理由があるはずだ。
棗朝飛が殺そうとしているのはエミではないのだろうか。いや、そんなはずはないだろう。仮に棗朝飛が棗香車と同じ存在であるなら、真っ先にエミを狙うはず。
『狩る側の存在』であれば、『獲物』であるエミを差し置いて他の誰かを殺そうするとは思えない。棗香車も、エミを助けようとした私を殺そうとはしたけれど、アイツが初めに狙っていたのはエミだ。他の誰かじゃない。
考えても仕方がない。早く電車に乗ってエミたちと合流するのが先決だ。ぼやぼやしていたら、それこそエミが棗朝飛に殺されてしまう。それだけはなんとしても避けなければならない。
快速電車の到着を告げるアナウンスを聞き、急いでホームに向かった。
『次は、〇×、〇×です』
電車に乗って十数分、目的の駅への到着を告げるアナウンスが車内に響き渡る。そのタイミングで、もう一度エミに電話をかける。
「もしもし、エミ? 今どこにいるの?」
『君と合流するために電車に乗っているよ。目的の駅まではあと十分ほどといったところか』
「わかったわ。たぶん私の方が先に着くと思う。さっきも言ったけど、改札の前で待ってるわ」
『了解した。ところで君の方には変わったことはなかったかね?』
「空木晴天に会ったわ。目的は私じゃなくて曇天さんの方だったみたいだけど」
『ふむ。やはり今回の件は空木医師の差し金ということか。わかった。詳しいことは合流してから聞こう』
「ええ、待ってるわ」
電話が終わると同時に、目的の駅のホームが窓の外に見えてくる。
正直この時、少し油断していたことは否めない。エミが沢渡たちを上手く撒いているから、問題なく合流できるものだと思っていた。
だから……
「ヒャハハ、よーうこそー。まゆ嬢」
駅のホームに降りた直後にその下品な声が聞こえるまで、私の警戒心が解けていたのが致命的なミスだった。
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