改めて宣戦布告をして、エミとの通話を終えた数時間後。私は大学の中庭で考え込んでいた。
彼女はまだ諦めていない。『狩る側』である棗に殺されるという目的を諦めていない。
存在するのだ。棗の意志を刷り込まれた、『最後の成香』が。
しかし……
「それは一体誰なのか……」
思わず呟いてしまう。そう、まるで手がかりはないのだ。
棗の死を目撃したであろうM高の生徒、おそらくはその中にいるはずだとは思う。
だが、誰が棗の死を見たかどうかなど一々聞いていられないし、その間にも『成香』はエミを殺すかもしれない。
後がないのはエミも同じ、萱愛の行動で『成香』たちの視線が自分に向かなくなった今、『最後の成香』がしくじれば、今度こそ彼女の目的は完全に打ち砕かれる。
それはエミもわかっている。それこそ死にものぐるいで『成香』の正体を隠すだろう。
もしかしたら、今この瞬間にも『成香』は既に動いているのかもしれない。
どうすればいい? どうすれば……
その時、携帯電話が鳴る。
「もしもし」
『黛センパイ、今大丈夫ですか?』
電話の主は樫添さんだった。
「ええ、どうしたの?」
『はい、さっきも言ったとおり、学校では萱愛の噂でもちきりです。聞くところによると噂が大きくなって、一年生の間では既に萱愛に突っかかっている生徒もいるようです。柏ちゃんも、今日は暴力を受けている様子はありませんでした』
「なるほどね、エミが言ったとおり、『成香』たちの視線は彼女からはずれたようね」
『はい、ですが……』
「わかってる、これはエミにとってチャンスでもある」
M高では今、萱愛の話でもちきりになっている。だからこそ逆に、『最後の成香』にとっては好都合なのだ。
この騒ぎに紛れて、エミを殺すには。
私はそれを危惧している。もしこの状況で『成香』に動かれたら、その正体を掴めていない私には止める術が無い。
時間がないのだ。正体を突き止める時間が。
闇雲に探してもダメ、考え込んでもダメ。何か手がかりはないのだろうか。
……待って。
そもそも多くの『成香』が萱愛に視線を移したのに、なぜ『最後の成香』だけはエミをまだ狙っているのだろうか。
そこには何か理由があるはず、この状況でもエミから視線を外さない理由が。
多少危険を冒してでも、自分に疑いが掛かっても、エミに拘る理由が。
『……センパイ、黛センパイ?』
「ああごめん、樫添さん。なんだっけ?」
「はい、さっき萱愛から聞いた話なんですが……」
そして樫添さんはある情報を私に伝える。
「……それは本当なの?」
※※※
私は数時間前、萱愛くんと話した直後に教室に戻った時のことを思い出していた。
ついに現れたのだ、『彼』が私の前に。
「久しぶりだね、しかしまさか名乗り出てくれるとは。嬉しくはあるのだが……獲物に自らの正体を明かしてしまって大丈夫なのかね?」
「……」
『彼』は応えない。まあそうか、獲物にこれ以上情報を与える義理はない。
教室内はクラスメイトたちが大きな声で騒いでいて、こちらの会話を気にする様子はない。
「それで、用件は何かな? さすがにこの教室内で事を起こすわけではないのだろう? 私としては歓迎ではあるが……君の将来もある」
そして『彼』は口を開く。
「なるほど……」
『彼』は言った。
今日中に、必ず私を殺すと。
漠然としていた『死』の予感が、ついに明確なものとなって再び私の前に突きつけられた。
『彼』による、直々の死刑宣告。
しかも執行を言い渡されたのは当日。獲物に心の準備などさせるつもりも無いと言わんばかりに。
この国の死刑囚はその執行を当日の朝に伝えられるらしいが、まさにそれと同じだ。
いや私の場合、そもそも死刑が確定しない状態でいきなり執行を告げられている。絶望はより深いだろう。
死刑宣告をされたのは昼休み。そして今は午後三時なので、今日はあと九時間ほど。
その間に私は殺される。その運命からは決して逃れられない。
「くっくっく……」
思わず笑みを浮かべてしまう。『彼』が今日のいつ来るかはわからない。なのに私が死ぬことだけは確定している。
これで私がどうやって助かる? 『彼』に立ち向かえるはずもない私がどうやって助かる?
これでは無理だろう、黛くん。君は『彼』の正体をまだ掴んではいない。
君が私を救うことなど、不可能だ。
心地よい絶望にどっぷりと身を浸した私は、思い出の場所に向かうことにした。
※※※
樫添さんとの通話を終えた私は、急いでバスでM高に向かった。
時刻はもう四時半。もし樫添さんからの通話が本当だったとしたら……
『あいつ』が事を起こすのは今日でもおかしくない。
M高近くのバス停でバスを降り、走って校門まで向かう。
……エミ、無事でいて!!
「……何をしているんだお前は」
校門の前まで来たとき、声を掛けられた。
そこにいたのは……
「……柳端」
あの時からすっかり髪が伸び、頬がこけてしまった柳端幸四郎だった。
「お前はもうここを卒業したんだろ? それとも何だ? 大学をさぼってまで『お友達』をストーキングしたいのか?」
「……」
「不愉快なんだよ。お前も、柏も!」
柳端はあからさまな敵意を私に向ける。
以前の私だったら、この敵意に耐えられなかっただろう。だが、今は違う。
私は、エミの敵として彼女を守ると決めたのだ。
「今日はもう授業は終わったのよ。私がどこに行こうと自由でしょ?」
「驚いたな、不法侵入を開き直るとはな」
相変わらず年上を敬わない柳端を見て、私は確信した。
「柳端、一回だけ言うわ」
「なに?」
確信は持った、だから言う。
「もう、柏恵美のことは諦めてよ」
いつだったか、こいつに言った言葉を。
「……なんのことだ?」
「言葉通りの意味。エミを諦めて」
「失礼な女だな。まるで俺があいつに片思いしているようなことを言うな。虫唾が走る」
一見、柳端は私とエミに敵対心を持っているように見える。
だが違う。こいつは違う。
こいつはエミに、執着している。
「一つ聞くわ」
「……なんだ?」
「何であんたは私に今、声をかけたの?」
「……」
柳端は私を嫌っている。
それはそうだろう、私もエミと同じく棗の死に関わっている一人だ。私たちがいなければ、棗は死ななかったかもしれない。だから嫌っている。
だがそんな男がなぜ、わざわざ私に声をかけた?
「答えられないなら、質問を変えるわ」
「……」
「柳端、あんたは入学してから、エミと何回か会っていたそうね」
これは先ほど樫添さんから伝えられた情報。柳端はまず入学式の日、暴行を受けるエミの前に姿を現した。
さらに樫添さんが萱愛から聞いたところによると、佐奈霧さんの一件の時にエミの教室に行った萱愛は、その教室の前で柳端と遭遇し、口論になったと言う。
そして今日、私とエミが通話をした直後のこと。
昼休みに三年の教室に行く柳端を、萱愛が目撃したそうだ。
柳端はエミを嫌っている、それこそ顔も見たくないはずだ。
なのに……
「なんであんたは何回もエミの前に姿を現しているの?」
「……」
柳端は私と目を合わせてはいるが、質問には答えない。
だから私の推論を話すことにした。
「あんたはエミを嫌っている、言い換えれば、エミに拘っている。それこそ……」
少しの緊張が私の言葉を止めたが、意を決して言った。
「殺したいほどに」
……柳端は、
柳端はエミに拘っている。棗の死の遠因となったエミに拘っている。
そして柳端は同時に、棗に拘っている。
エミと棗。その両者に拘り、なおかつ棗の死を目撃している人間。それが柳端。
こう考えれば、これ以上ない人物だ。
『最後の成香』と、なるには。
「黛……」
ここで漸く、柳端が口を開いた。
「何かおかしいことか?」
その顔は、徐々に生気を取り戻しつつあった。
「俺があいつに拘ることが何かおかしいことか?」
「……」
私はあえて、それには答えない。
「柏は、香車を拐かした。いわばあいつは人を惑わす悪魔だ。香車をひどい目に合わせたのはあいつなんだ。そして香車の友達である俺が、柏に特別な感情を抱くのは別に不自然じゃないだろ?」
柳端はどんどん言葉を発する。彼らしくない口数の多さだ。
私にはそれが、言い訳を必死に考えているように見えた。
「そうだ、そうだよ、香車は柏に拐かされた被害者だ。香車は何も悪くない。だからちゃんと復讐しないと」
なんだろう。
少しずつわかってきた。柳端がなぜここまでやつれていたのかを。
彼はまだ、受け入れていなかったのだ。棗のことを。
「香車が死んで、ああいや違う。香車がひどい目に遭って、柏が何もお咎め無しなんて許されるはずがない。うん、そうだよな。そうに決まっている」
そして、その心の隙をつけ込まれたのかもしれない。
「だから……」
他ならぬ……
「『僕』が『柏さん』を殺すのは別におかしなことじゃないよね?」
棗香車に。
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