柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第五話『敗北』・1

公開日時: 2020年10月22日(木) 20:05
文字数:3,519


 改めて宣戦布告をして、エミとの通話を終えた数時間後。私は大学の中庭で考え込んでいた。

 彼女はまだ諦めていない。『狩る側』である棗に殺されるという目的を諦めていない。

 存在するのだ。棗の意志を刷り込まれた、『最後の成香』が。

 しかし……


「それは一体誰なのか……」


 思わず呟いてしまう。そう、まるで手がかりはないのだ。

 棗の死を目撃したであろうM高の生徒、おそらくはその中にいるはずだとは思う。

 だが、誰が棗の死を見たかどうかなど一々聞いていられないし、その間にも『成香』はエミを殺すかもしれない。

 後がないのはエミも同じ、萱愛の行動で『成香』たちの視線が自分に向かなくなった今、『最後の成香』がしくじれば、今度こそ彼女の目的は完全に打ち砕かれる。

 それはエミもわかっている。それこそ死にものぐるいで『成香』の正体を隠すだろう。

 もしかしたら、今この瞬間にも『成香』は既に動いているのかもしれない。

 どうすればいい? どうすれば……


 その時、携帯電話が鳴る。


「もしもし」

『黛センパイ、今大丈夫ですか?』


 電話の主は樫添さんだった。


「ええ、どうしたの?」

『はい、さっきも言ったとおり、学校では萱愛の噂でもちきりです。聞くところによると噂が大きくなって、一年生の間では既に萱愛に突っかかっている生徒もいるようです。柏ちゃんも、今日は暴力を受けている様子はありませんでした』

「なるほどね、エミが言ったとおり、『成香』たちの視線は彼女からはずれたようね」

『はい、ですが……』

「わかってる、これはエミにとってチャンスでもある」


 M高では今、萱愛の話でもちきりになっている。だからこそ逆に、『最後の成香』にとっては好都合なのだ。


 この騒ぎに紛れて、エミを殺すには。


 私はそれを危惧している。もしこの状況で『成香』に動かれたら、その正体を掴めていない私には止める術が無い。

 時間がないのだ。正体を突き止める時間が。

 闇雲に探してもダメ、考え込んでもダメ。何か手がかりはないのだろうか。


 ……待って。


 そもそも多くの『成香』が萱愛に視線を移したのに、なぜ『最後の成香』だけはエミをまだ狙っているのだろうか。

 そこには何か理由があるはず、この状況でもエミから視線を外さない理由が。


 多少危険を冒してでも、自分に疑いが掛かっても、エミに拘る理由が。


『……センパイ、黛センパイ?』

「ああごめん、樫添さん。なんだっけ?」

「はい、さっき萱愛から聞いた話なんですが……」


 そして樫添さんはある情報を私に伝える。


「……それは本当なの?」


 ※※※


 私は数時間前、萱愛くんと話した直後に教室に戻った時のことを思い出していた。

 ついに現れたのだ、『彼』が私の前に。


「久しぶりだね、しかしまさか名乗り出てくれるとは。嬉しくはあるのだが……獲物に自らの正体を明かしてしまって大丈夫なのかね?」

「……」


 『彼』は応えない。まあそうか、獲物にこれ以上情報を与える義理はない。

 教室内はクラスメイトたちが大きな声で騒いでいて、こちらの会話を気にする様子はない。


「それで、用件は何かな? さすがにこの教室内で事を起こすわけではないのだろう? 私としては歓迎ではあるが……君の将来もある」


 そして『彼』は口を開く。


「なるほど……」


 『彼』は言った。


 今日中に、必ず私を殺すと。


 漠然としていた『死』の予感が、ついに明確なものとなって再び私の前に突きつけられた。

 『彼』による、直々の死刑宣告。

 しかも執行を言い渡されたのは当日。獲物に心の準備などさせるつもりも無いと言わんばかりに。

 この国の死刑囚はその執行を当日の朝に伝えられるらしいが、まさにそれと同じだ。

 いや私の場合、そもそも死刑が確定しない状態でいきなり執行を告げられている。絶望はより深いだろう。

 死刑宣告をされたのは昼休み。そして今は午後三時なので、今日はあと九時間ほど。


 その間に私は殺される。その運命からは決して逃れられない。


「くっくっく……」


 思わず笑みを浮かべてしまう。『彼』が今日のいつ来るかはわからない。なのに私が死ぬことだけは確定している。

 これで私がどうやって助かる? 『彼』に立ち向かえるはずもない私がどうやって助かる?

 これでは無理だろう、黛くん。君は『彼』の正体をまだ掴んではいない。


 君が私を救うことなど、不可能だ。


 心地よい絶望にどっぷりと身を浸した私は、思い出の場所に向かうことにした。


 ※※※


 樫添さんとの通話を終えた私は、急いでバスでM高に向かった。

 時刻はもう四時半。もし樫添さんからの通話が本当だったとしたら……


 『あいつ』が事を起こすのは今日でもおかしくない。


 M高近くのバス停でバスを降り、走って校門まで向かう。

 ……エミ、無事でいて!!


「……何をしているんだお前は」


 校門の前まで来たとき、声を掛けられた。

 そこにいたのは……


「……柳端」


 あの時からすっかり髪が伸び、頬がこけてしまった柳端幸四郎だった。


「お前はもうここを卒業したんだろ? それとも何だ? 大学をさぼってまで『お友達』をストーキングしたいのか?」

「……」

「不愉快なんだよ。お前も、柏も!」


 柳端はあからさまな敵意を私に向ける。

 以前の私だったら、この敵意に耐えられなかっただろう。だが、今は違う。

 私は、エミの敵として彼女を守ると決めたのだ。


「今日はもう授業は終わったのよ。私がどこに行こうと自由でしょ?」

「驚いたな、不法侵入を開き直るとはな」


 相変わらず年上を敬わない柳端を見て、私は確信した。


「柳端、一回だけ言うわ」

「なに?」


 確信は持った、だから言う。


「もう、柏恵美のことは諦めてよ」


 いつだったか、こいつに言った言葉を。


「……なんのことだ?」

「言葉通りの意味。エミを諦めて」

「失礼な女だな。まるで俺があいつに片思いしているようなことを言うな。虫唾が走る」


 一見、柳端は私とエミに敵対心を持っているように見える。

 だが違う。こいつは違う。


 こいつはエミに、執着している。


「一つ聞くわ」

「……なんだ?」


「何であんたは私に今、声をかけたの?」


「……」


 柳端は私を嫌っている。

 それはそうだろう、私もエミと同じく棗の死に関わっている一人だ。私たちがいなければ、棗は死ななかったかもしれない。だから嫌っている。


 だがそんな男がなぜ、わざわざ私に声をかけた?


「答えられないなら、質問を変えるわ」

「……」

「柳端、あんたは入学してから、エミと何回か会っていたそうね」


 これは先ほど樫添さんから伝えられた情報。柳端はまず入学式の日、暴行を受けるエミの前に姿を現した。

 さらに樫添さんが萱愛から聞いたところによると、佐奈霧さんの一件の時にエミの教室に行った萱愛は、その教室の前で柳端と遭遇し、口論になったと言う。

 そして今日、私とエミが通話をした直後のこと。


 昼休みに三年の教室に行く柳端を、萱愛が目撃したそうだ。


 柳端はエミを嫌っている、それこそ顔も見たくないはずだ。

 なのに……


「なんであんたは何回もエミの前に姿を現しているの?」

「……」


 柳端は私と目を合わせてはいるが、質問には答えない。

 だから私の推論を話すことにした。


「あんたはエミを嫌っている、言い換えれば、エミに拘っている。それこそ……」


 少しの緊張が私の言葉を止めたが、意を決して言った。


「殺したいほどに」


 ……柳端は、

 柳端はエミに拘っている。棗の死の遠因となったエミに拘っている。

 そして柳端は同時に、棗に拘っている。

 エミと棗。その両者に拘り、なおかつ棗の死を目撃している人間。それが柳端。

 こう考えれば、これ以上ない人物だ。


 『最後の成香』と、なるには。


「黛……」


 ここで漸く、柳端が口を開いた。


「何かおかしいことか?」


 その顔は、徐々に生気を取り戻しつつあった。


「俺があいつに拘ることが何かおかしいことか?」

「……」


 私はあえて、それには答えない。


「柏は、香車を拐かした。いわばあいつは人を惑わす悪魔だ。香車をひどい目に合わせたのはあいつなんだ。そして香車の友達である俺が、柏に特別な感情を抱くのは別に不自然じゃないだろ?」


 柳端はどんどん言葉を発する。彼らしくない口数の多さだ。

 私にはそれが、言い訳を必死に考えているように見えた。


「そうだ、そうだよ、香車は柏に拐かされた被害者だ。香車は何も悪くない。だからちゃんと復讐しないと」


 なんだろう。

 少しずつわかってきた。柳端がなぜここまでやつれていたのかを。

 彼はまだ、受け入れていなかったのだ。棗のことを。


「香車が死んで、ああいや違う。香車がひどい目に遭って、柏が何もお咎め無しなんて許されるはずがない。うん、そうだよな。そうに決まっている」


 そして、その心の隙をつけ込まれたのかもしれない。


「だから……」


 他ならぬ……


「『僕』が『柏さん』を殺すのは別におかしなことじゃないよね?」


 棗香車に。


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