どういうことだ? 聞き間違いじゃない。この人は確かに、『柏さんをずっと尾行していた』と言った。つまり財前さんは、部外者であるにも関わらず、柏先輩を追ってM高校の敷地内に入ってきたということだ。
……部外者であるというなら今は先輩たちもそれに当てはまるけど、そんなことを指摘してる場合じゃない。
「柏先輩、それに樫添先輩。下がっていてください」
「萱愛くん?」
「財前さん……でしたよね? ここはM高校の敷地内です。柏先輩のお友達とはいえ、無断で立ち入っていい場所ではありません」
「あ! す、すみません! ただ、その……なんで柏さんがここに入っていったのかどうしても気になったので……」
柏先輩が気になるという気持ちはわからなくもない。俺も最初は先輩の人間性に触れて、あの人を助けようと決意したんだ。柏恵美という女性に関わって、その存在を無視できない人たちも多く見てきた。
しかしそれを考えても、財前さんの行動には違和感がある。この人は先輩と同じ大学の学生なわけだから、先輩と関わるチャンスはいくらでもある。にも関わらず、柏先輩を尾行するのは何か別に理由があるはずだ。
それに俺が財前さんに疑いを持つ理由はもうひとつある。
「財前さん。そういえばあなたは、『スタジオ唐沢』の時だけじゃなく、遊園地でも柏先輩や黛さんと一緒にいたらしいですね?」
「え? は、はい」
「そしてこの二つの場所で、黛さんの元恋人……メイジさんが姿を現しています」
「……何が言いたいんですか?」
『疑うなら根拠を示せ』と柏先輩に言ったのは他でもない俺だ。だからこれだけで財前さんを疑うのは、さっきの自分の言葉を否定することになるのかもしれない。
だとしても、俺からすれば弓長くんよりこの人の方が疑わしい。少なくとも彼女は無断でこの学校に侵入している。それだけでも怪しい人と見るのに十分な理由となる。
「あなたがメイジさんを黛さんがいる場所に手引きしたんじゃないんですか?」
財前さんは黛さんと一緒に『スタジオ唐沢』に来ていた。なら彼女はあの場所に黛さんがいることをあらかじめメイジさんに教えることもできたはずだ。
「……」
顔を伏せたまま質問には答えずに沈黙している。自分でも失礼なことを言っているとは思うが、この人はその失礼な発言に怒るわけでも反論するわけでもない。
「樫添先輩、黛さんに連絡してください」
「え?」
「財前さん、もしあなたに邪な気持ちがないのであれば、俺たちが黛さんに連絡しても問題はないですよね? あなたは柏先輩の友達で、黛さんとも親交がある。だからあなたがここに来ていることをあの人に伝えても何も不都合はないはずです」
もし、この人がメイジさんと手を組んでいる協力者なのだとしたら。その目的は一体何なのか。それは今に至るまでに起こった事実を並べてみれば推測できる。
黛さんが行く場所にその都度メイジさんが現れたから、柏先輩も黛さんも身近にいる協力者の存在に気づいた。その結果、黛さんは柏先輩のガードを樫添先輩に任せて単独で動き、柏先輩は協力者の正体を探すために独自に動いている。つまり今、黛さんと柏先輩は離れて行動せざるを得なくなっている。
それこそが、財前さんの目的なのだとしたら?
「柏ちゃん、たぶん萱愛の言ってることは当たってるよ。黛センパイに連絡した方がいいと思う」
樫添先輩も俺と同じ結論にたどり着いたようだ。なら俺のやることはひとつ、柏先輩をこの場から逃がして無事に黛さんと合流させる。それしかない。
「……メイジさん、ですか。私があの人と……手を組んでいるって言うんですか? よりによって、この私が?」
「その言い方は、全く繋がりがないはずのメイジさんを嫌う理由があなたにあるように聞こえますね」
「別におかしくはないでしょう? 私は黛さん本人からメイジさんとの過去を聞かされたんですから。そのことは柏さんが証明してくれますよ。ねえ柏さん?」
「確かにルリは言っていたね。工藤メイジに手ひどくフラれたと」
今の話からすると、財前さんがメイジさんを嫌う理由は『黛さんを傷つけたから』と言いたいようだ。確かにそれなら説明はつく。
「もしもし、黛センパイですか? 樫添です。え……?」
樫添先輩は黛さんに連絡を取っていたが、通話を終えると青ざめた顔で柏先輩に向き直った。
「柏ちゃん、センパイのところにメイジが来てるらしいの!」
「え!?」
「……ふむ」
まずい! 既にメイジさんは動いていたのか!? そうなると向こうも緊急事態の可能性はある。一刻も早く柏先輩たちを向かわせるしかない。
「樫添先輩! とりあえず柏先輩と一緒に黛さんのところに行ってください!
「わかった! 柏ちゃん、センパイはS市立大学にいるそうだから急いで……」
「やめてくださいよ」
足を踏み出そうとしていた樫添先輩の前に、財前さんが立ちはだかっていた。
「樫添さん、でしたっけ? 黛さんを助けに行くのはいいですけど、そんな危険な場所に柏さんまで連れて行く気ですか? 私、そういうのは嫌いですね」
「……アンタがどういうつもりなのかは知らないけど、柏ちゃんをここに置いていくのも危険だと思う。どちらにしろ私は黛センパイに『柏ちゃんを守ってくれ』と頼まれてるの。その役目を放棄するつもりなんてない」
「あー……イヤですね。本当にイヤです。あなたもあの黛瑠璃子という人に逆らえないんですね」
「っ! アンタ……!!」
今の言葉で危険を察知したのか、樫添さんは柏先輩のガードに回った。俺も樫添先輩の横に立ち、財前さんに対峙する。
「財前さん。申し訳ありませんが、今のあなたの前に柏先輩を置いていくわけにはいきません。とにかくここから出て行ってください」
「私が柏さんに危害を加えるって言うんですか? あの黛瑠璃子と私が同じだと?」
「黛さんが柏先輩に危害を加える?」
「そうでしょう? あの人は樫添さんのことも萱愛くんのことも従えて、言うことを聞かせて、自分の意志を押し付ける人なんですよ? あー、イヤな人。本当にイヤな人ですね」
財前さんの表情がどんどん嫌悪で歪んでいくのを見て、少しずつ彼女の意図が理解できてきた。
「あなたは初めから、黛さんを柏先輩から引き離すつもりだったんですね」
「……初めから、ではないですよ。私もあの人のことは理解したかった。でも、私は自分の意志を誰かに押し付けて無理やり従わせる人が大嫌いなんですよ。ずっと……そういう人のせいでひどい目に遭ってきたんですから」
「黛センパイはそんな人じゃないの! あの人がどんな思いで柏ちゃんを守ってきたかなんて知らないくせに、偉そうなこと言わないで!」
「それはあなたが黛さんに逆らえないという現実を正当化したいだけじゃないですか? 私もそうでしたよ。姉さんにひどい目に遭わされても、自分が悪いのだと思い込もうとしてました」
「お姉さん?」
「ええ。私の姉さんはそれはそれはもう、イヤな人でした。下と思った相手は徹底的に見下して、言うことを聞かないとすぐ暴力に頼る人。まあそのせいで、最終的にあの人自身も黛さんに痛い目遭わされたみたいですけど」
「え?」
「黛さん自身が言ってましたよね? 自分を虐げてきたイヤな女を叩き潰して転校したって。それが私の姉……財前美衣子ですよ」
「……!!」
まさか、それが黛さんを嫌う理由か? お姉さんを傷つけた相手に復讐するつもりで……?
「なるほど。『ミーコ』という女は君の姉だったか。ルリ自身は気づいていなかったようだが」
「そうですね。あの人、周りに興味なさそうですもん。姉の苗字も知らなかったんでしょうね」
「ならば君はメイジくんとも事前にコンタクトを取っていたのかね?」
「そんなことはどうだっていいじゃないですか。私の目的は柏さん……あなただけなんですから」
財前さんが迫ってくる。だけど大丈夫だ、相手は女性。俺一人でも対処できる。
俺は父さんが相手でも立ち向かうことができた。今の俺なら、柏先輩たちを守り切れる。
「財前くん、ひとつ聞こう。君はルリをどう見ている?」
「どうって、決まってるじゃないですか。柏さんを支配しているつもりになって、いい気になってる人にしか見えませんよ」
「……ほう?」
「柏さんがどういうつもりで黛さんの相手をしてあげているのかは知りませんけど、あなたみたいに自分の意志をしっかり持ってる人があんな人の言うことを聞いているのは、気分が悪いです」
……財前さんの今の発言で、ひとつだけ確信したことがある。
この人、黛さんと柏先輩の関係をまるで理解していない。
「君はまるでわかっていないね。財前綾」
珍しく俺と柏先輩の意見が一致したと思うと、先輩の顔には確かな怒りが浮かんでいた。
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