柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第四十六話 贖罪

公開日時: 2024年12月12日(木) 20:04
文字数:2,571


 【7月30日 午後0時30分】


「……ンパイ、まゆずみセンパイ!」


 遠くから高い女の子の声が聞こえる。いや違う、これは私のすぐ傍から聞こえているんだ。

 視界がハッキリして行くにつれて、見知った茶髪の女の子の顔が見えてきた。


「センパイ! 気がつきましたか!?」


 こちらを覗き込む樫添かしぞえさんは、涙目で喜びの笑顔を浮かべていた。


「樫添さん……エミは!?」


 そうだ、エミの無事を確認するのが最優先事項だ。あの空間で私は『斧寺おのでら霧人きりひと』に打ち勝ったはず。ならエミは……!?


「目が覚めたかね」


 その声が私の耳に届いた瞬間、身体が勝手に動いていた。


「エミっ!」


 飛びのいた樫添さんを尻目に、声の方向に振り返る。


「ただいま、ルリ」


 そこには私がよく知る、芝居がかった口調だけど優しげな微笑みを浮かべるエミがいた。


「エミ、エミぃ……!!」


 さっきまでロクに身体が動かなかったはずなのに、私はエミに飛びつくように抱き着いていた。


「今度こそエミだよね? 戻って来たんだよね?」

「ああ、戻って来た……いや違うね。君に連れ戻されたというのが正確な表現だろう」


 そう言いながら、エミは私の背中に手を回す。


「心地いいね、私はどうあがいても君からは逃げられないと思い知らされている。今の私はルリに捕まっている。どんなに手を尽くしても、私の全てを知りつくされた上で君に屈伏した。これを『絶望』以外に表現しようがないのだよ」

「エミ、エミ、エミ……!!」


 なんだっていい。私はエミを連れ戻したんだ。私のこの腕の中にエミがいるんだ。エミが私を受け入れてくれたのなら、理由はなんだっていい。


「だが、改めて言わせてもらいたい。ルリ、ありがとう」

「あ……」


 エミにお礼を言われた。ああそうだ、私は初めて、本当の意味でエミの願いを叶えたんだ。

 今までの私の行いがエミの望みを満たしていたのはあくまで偶然だった。エミと一緒に生きていたいという私の身勝手な欲望が、たまたまエミの『絶望』を満たしていたに過ぎない。

 だけど今の私は幼い頃のエミと、エミの中に入り込んでいた『斧寺霧人』の願いを知った。そしてその願いを知った上で、エミを助けるために動いた。

 だからエミは、私にお礼を言ってくれたんだ。今だけは支配する者と支配される者としての関係ではないと。


 今だけは私と対等な関係でいてくれると。


「さて、それでは私を救ってくれたルリに敬意を表し、最後の決着をつけるとしようか」


 そう言ったエミの顔は唐沢からさわに向けられていた。


「……霧人先生はどうなったんだい?」

「どうなったもなにも、彼は十四年も前に死んでいるよ。君の目の前にいる私はかしわ恵美えみ以外の何者でもない」

「そうか……」


 唐沢は身体から力を抜き、夕飛ユウヒさんが手を放すとその場に座り込んだ。


「結局は、私が霧人先生の教えを信じ切れなかっただけだったか」

「そうだね。確かに私は斧寺霧人の記憶と願いを受け継いだ。それでも私は柏恵美だ。私は私の『絶望』を求め続ける。その生き方は今も昔も変わらない」


 エミは唐沢に顔を寄せて言い放つ。


「私には目の前の人間を全て救うなどというご大層な使命感もなければ、君のことを『アキヒト』と呼ぶ理由もない。ルリに屈伏して自分の願いを殺され続け、それを悦ぶ浅ましい女でしかないのだよ」


 その瞬間、唐沢の目から涙が流れ、エミへの刺し貫くような敵意が消えた。


「やっと、私の中の霧人先生はちゃんと死ねたよ」


 ――斧寺霧人が言っていた『絶望』こそが人を救うという考え。私はそれを一生理解できないものだと思っていた。

 だけど今、少しだけ理解できるかもしれないと思った。私だけじゃない、今の唐沢を見れば誰だってその可能性に至る。


 この瞬間、唐沢清一郎せいいちろうはエミへの憎しみから完全に解放された。



「……どういうことですか? エミちゃん」



 だけどまだ、戦いは終わっていない。


「おや、君は不服なのかね? 楢崎ならさき久蕗絵くろえ

「当然ですよ。やっと私を安心させる人がいなくなったと思ったのに、またあなたは私を安心させる子になっちゃったじゃないですか」

「君との過去も思い出したよ。君がいたから、私は『絶望』を追い求めることができた。君がいたから、私は香車きょうしゃくんやルリに出会うことができた」

「やめて、やめて……何を言ってるんですかエミちゃん?」


「君も今の私を形作った一人だ。そう言っているのだよ」


 その言葉の直後、楢崎クロエは動き出した。


「やめろ……! 私を安心させるな……! 私の中に入り込むな……!」


 楢崎の声が低くなるにつれて、その動きを封じている曇天どんてんさんの顔に焦りの色が見え始める。


「こ、この力は……!?」


 まずい、これで楢崎が解き放たれたらエミを守る人間がいなくなる。私ももう身体が限界だし、樫添さんじゃ荷が重い。


「エミ! 逃げて!」

「いいや、逃げないよ。最後の決着をつけると言っただろう。彼女は私が相手をしなければなるまい」


 そしてエミは私に背を向けたまま呟いた。


「それが彼女を歪めてしまった“私”の贖罪だ」


 心なしか、エミの声が少し悲しそうに聞こえた。


「やっと、やっと、私の周りに敵だけがいると思ったのに! もう二度と安心しなくていいって思ったのに!」

「そうだね。だけど私は君に敵意など向けない。私は君の理想を奪ってしまった。そんな君に敵意など抱けるはずもない」

「黙れ黙れ黙れ! エミちゃんさえいなければ……! パパも唐沢先生も他のみんなも私を嫌ってくれる! 嫌ってくれる人しかいなくなる! どうせ私を嫌うのなら最初から嫌っていればいい! 私にそんな安心感はいらないんだ!」

「柏様! 離れてください! これ以上は……っ!」


 曇天さんが顔を赤くして必死に押さえるも、楢崎は今にも拘束を振りほどこうとしていた。


「そうだ、そうだ、エミちゃんがいなければ、私はずっと、不安でいられる!」

「ぐうっ!」


 内側から噴き出る怒りに任せるように曇天さんに頭をぶつけ、ついに楢崎が拘束を振りほどいた。


「柏様! お逃げくだ……」

「ああああああああっ!!」


 髪を振り乱して怒りに歪んだ顔で手を伸ばす楢崎に対し、エミはその場に立ち止まったままだ。


「香車くんから聞かされていたのだよ」

「私の前からいなくなれええええええ!!」


「君の弱点も、君を『獲物』として選ばなかった理由も」


 そう言ったエミは、尚も動かず立ち尽くす。

 そして楢崎の腕がエミの首にかかろうとした寸前で。


「なんでっ……!」


 その手が止まった。

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