カギのかけられた浴室の中で水の流れる音と何かがぶつかる音が聞こえた後、柏ちゃんと後小橋川さんの二人が何かを話している声がした。
そしてその数秒の後、浴室のドアが開かれ、中から少し服を濡らした状態になった柏ちゃんが出てきた。
「エミ!」
「柏ちゃん!」
思わず駆け寄ってしまう私たちだったが、柏ちゃんはため息を吐いた後に頭を横に振りつまらなそうに呟いた。
「そこまで心配しなくても大丈夫だよ。なに、特に面白くもないイベントだった」
柏ちゃんはその言葉の通り、いつもの薄笑いも浮かべずにただ淡々と後小橋川さんを振り返った後、私たちに向き直った。
「さて、約束通りこの戦いでは君たちと手を組んだ。だがもう『レプリカ』も後小橋川くんも敗北した。これからはまた、ルリによる私の支配が続くこととなる。それはわかっているね?」
「……ええ」
柏ちゃんの言葉に黛センパイは寂しそうに答える。そう、これからまたこの二人は支配者と支配される者に分かれるのだ。おそらくはそこに寂しさを感じているのだろう。
「エミ、私は……!」
「わかっているさ、ルリ。私は君を一人にはしない。支配する、されるの関係であっても、それは変わらないさ」
「エミ……!」
だけどもう、柏ちゃんも黛センパイもお互いを見失ったりはしない。これまでの戦い、そして日常で、二人の絆は限りなく深まっていたのだから。
「カオルコ!」
私たちが柏ちゃんの無事を確かめている横で、飛天が浴室に入り後小橋川さんに駆け寄る。柏ちゃんが彼女に何をしたかは知らないが、その場に座り込んで視線を宙にさまよわせていた。
「カオルコ! 大丈夫!?」
飛天が後小橋川さんを揺さぶるが、彼女は未だ返事をしない。飛天に続いて菊江くんも浴室に入るが、彼は尚も気まずそうだった。
「後小橋川さん、俺は……俺は君をそこまで追い込んでいたのか……」
菊江くんは右の拳を握りしめて絞り出すように呟いた。彼は『成香』のことは知らないだろうが、おそらくその推測は間違っていないのだろう。
後小橋川さんは何らかの理由で『あの男』の影響を受けたのだ。だけどしばらくは、柏ちゃんへ好意を抱くだけで済んでいたのだろう。
しかし彼女は菊江くんによって顔に傷を負ってしまった。元の日常に戻れなくなってしまった。そのことは彼女の精神を揺さぶるには十分すぎるほどのダメージだったはずだ。
だから彼女はその心の傷から逃げるために、柏ちゃんを欲するようになった。本人はそれが自分の意志ではないと気づかないまま。
……私には彼女のことを責める資格は無いのかもしれない。彼女がああなったのは、私たちにも一因があるのだから。
「……アサミ」
「カオルコ!? 大丈夫だ! 私はここにいる!」
「アサミが、ここにいる……?」
「ああそうだ! 私はもうカオルコからは離れない!」
飛天は後小橋川さんに触れようとする。しかし……
「触らないでよ!」
後小橋川さんは差し出された手をはねのけ、飛天を睨みつけた。
「……アサミ。何で、何で会いに来てくれなかったの?」
「……」
「確かに私はアサミのことを大嫌いだって言った。だけど、私が辛い時にはいつもアサミが来てくれた。なのによりによって、一番辛い時にあなたは来てくれなかった!」
「後小橋川さん! 飛天は悪くない! 悪いのは全部俺なんだ!」
菊江くんが飛天のフォローに入るが、後小橋川(ついこばしがわ)さんはその菊江くんにも敵意を向けた。
「ああそうだね! 全部君が悪いよね! なのに何で君は私にこんな大きな傷を付けておいてのうのうと生きてるの!? 自分が悪いと思ってるならさっさと死ねばいいんじゃないの!?」
「つ、後小橋川さん……」
「二人とも私を不幸にした張本人なのに、今更私を助けに来たの!? この偽善者!」
……後小橋川さんの口から次々と罵倒の言葉が飛び出してくる。さすがに止めに入った方がいいのかと思ったその時だった。
「カオルコ……」
「何よ! アンタなんか……」
「ありがとう、カオルコ」
そう言って、飛天は後小橋川さんを抱きしめた。
「え……?」
抱きしめられた後小橋川さんは目を丸くしている。そんな彼女に、飛天は囁いた。
「やっと、やっと私たちは君の本音を聞けたんだ。君が私たちを恨むのは当然だし、私たちがそう簡単に許されていいわけがない。だから、私たちはカオルコに恨まれて当然なんだ」
「……アサミ」
「だけどカオルコ、君はきっと私たちを恨むことを恐れていたんだ。だからこそ、柏恵美に殺意を向けてしまった。全ての原因を柏恵美に擦り付けようとした。きっと君は、何か悪い呪いにでもかかっていたんだ」
飛天の言う、悪い呪いというものが本当にあるということは話がこじれるので言わないでおく。
「カオルコ、君は私たちを一生許さないでいい。私たちも許されようとも思わない。それだけのことをしたんだ。だけどそれでも頼みたい」
そして飛天は両手で後小橋川さんの肩を掴み、視線を合わせて言った。
「もう一度だけ、私に君を助けるチャンスをくれないか?」
そう言うと、飛天は頭に着けていたウィッグを外す。そこには茶髪のショートカットでどこか中性的な印象を受ける、本来の飛天の姿があった。
「後小橋川さん、俺からもお願いするよ。俺に、償いをするチャンスをください。絶対に君を元通りの日常に戻してみせる」
菊江くんは再度土下座をして彼女に真摯に向き合った。
「う、うう……」
後小橋川さんは少しの沈黙の後、目に涙を溜めて、
「うわあああああああああああああああ!!」
その場に泣き崩れた。
「アサミ、アサミぃぃぃ……、寂しかった、寂しかったよぉぉぉぉ!!」
浴室における一部始終を見た後、私たちは窓の外を見た。太陽は既にすっかり沈んでいて、部屋の中は暗くなっている。
「さて、もうここに用は無いわ。帰りましょ」
黛センパイの一声で、私たち三人は玄関に向かう。
この時、私たちと『レプリカ』の戦いは今度こそ終わりを迎えた。
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