「“夜に立ち向かう者”であるこの私が、どれだけアンタを切り捨てたいと思っていたのかをね」
私を冷ややかに見下ろしながら、お姉ちゃんはそう言った。何度か聞いたことがある、その言葉を言った。
“夜に立ち向かう者”。お姉ちゃんの名前である『夕飛』とは、お姉ちゃんの母親がその思いを込めてつけたそうだ。
だから私はお姉ちゃんが大好きだ。私の『夜』を理解してくれるのはお姉ちゃんと香車くんだけだったから。だけど……
「お姉ちゃんは私を切り捨てたかったんだ?」
「ええ、そうよ。アンタは私にとって重荷だった。アンタが抱える『夜』が、この社会で受け入れられるものじゃない以上、アンタは生きててはいけない存在になるからね」
やっぱり最終的には、私はお姉ちゃんにも理解されなかった。そりゃそうか。
私を理解してくれる人なんて、もうどこにもいない。
※※※
私を育ててくれたのは、お母さんではなくお姉ちゃんだった。
15歳上の姉、棗夕飛。彼女だけが私の家族であり、私に優しさを向けてくれる人だった。
両親? あの人たちの優しさなんていらない。
お姉ちゃんを排除しようとした人たちに、優しさなんてあるはずがない。
お姉ちゃんと私の父親は、外面だけはよかった。元々は農家だったという土地持ちの家の次男で、何不自由なく育ち、就職した直後に結婚したらしい。その相手が、お姉ちゃんの母親だ。
だけど私たちの父親は、気が移りやすい男だった。
お姉ちゃんが産まれて数年もしたら、父親は家庭を顧みなくなったという。だからもともと体の弱かったお姉ちゃんの母親は、自分の子供を必死に育て上げたけども、お姉ちゃんが中学に入る頃には限界を迎えてしまい、その生涯を閉じたらしい。
そして自分の妻が亡くなって二年も経たないうちに、父親は私の母親と再婚したそうだ。
ここまでが、私がお姉ちゃんから聞かされた過去の話。全てが真実かどうかなんてわからないけど、そうだろうなとは思っていた。
なぜそう思かって? 子供の頃から感じていたからだ。自分の家族がいかにバラバラだったのかを。
「なんでいつもお父さんもお母さんもウチにいないの?」
私が5歳の頃、お姉ちゃんにこんな質問をした。両親が家にいることがほとんどなければ、子供が疑問に思うのは当然だ。私を保育園に迎えに来るのも、保育士と面談するのも、いつもお姉ちゃんなのだから。周りの子供や保育士の先生からも、不思議な目で見られていたことも覚えている。
「朝飛。お父さんもお母さんもね、ちょっと忙しいんだよ。でもお姉ちゃんはアンタの面倒を見れるから、安心して頂戴」
「お姉ちゃんはわたしのそばにいてくれるの?」
「ええ。私は……家族を見捨てたりなんかしない。せめて私だけは……」
「お姉ちゃん?」
「なんでもないよ。じゃあ今日も保育園に行こうか」
「うん!」
確かにお姉ちゃんは私を見捨てなかった。両親に構ってもらえなかった時も、お姉ちゃんだけは私に構ってくれた。
だけど小学校に入った頃、私の中にある疑問はますます膨れ上がっていった。
「夕飛! お前、就職したんなら家に金くらい入れたらどうなんだ!?」
「あらお父さん、そんなこと言うんですか? 21歳の小娘の収入をあてにするほど、あなたは落ちぶれてたんですね」
「ああ!? 生意気言うな! 育ててもらった親に向かって!」
「私を育ててくれたのは母さんでしたよ。あなたにロクに愛されなかった母さんは、私に愛を向けてくれた。だから私は今日まで生きてこれている。違いますか?」
「文句があるならこの家から出てけ! それが出来ないなら、親の言うことくらい聞け!」
「そうですね。あなたたちが朝飛のことをちゃんと育ててくれる人たちだと思えるなら、私もここから出ていけるんですけどね」
父親は頻繁にお姉ちゃんと言い争っていた。私の母親も、言い争うことはなかったけどもお姉ちゃんを疎ましく思っているのは感じていた。
それはそうだ。父親にとってお姉ちゃんは既に興味を失った女との子供で、母親にとっては血も繋がっていない他人。この家における異物として扱われるのは無理もない話。今ならそう思える。
だけど子供の頃の私は、そこまでの想像はできなかった。なにせ私とお姉ちゃんが腹違いの姉妹であることも、この頃は知らなかった。よその子供が両親の愛を注がれている光景を見ていた私が、自分の両親の行動を正しく理解できるわけもなかった。
だから私は、両親を消してしまおうと思った。
そりゃそうだ。両親が消えてしまえば、この家には私とお姉ちゃんだけになる。そうなればお姉ちゃんを責める人はいなくなるし、私が成長すればお姉ちゃんの手助けだってできる。子供ながらに名案だと喜んだのを覚えている。
ただ問題はあった。人を二人消すとなると、子供の私だとたぶん難しい。とりあえず全身を燃やしてしまえばたぶん消えるだろうとは思ってたけど、その方法がよくわからなかった。
家に火を点ける道具があるのは知っていた。マッチやライターの使い方もなんとなくわかっていた。じゃあそれであの人たちの服に火を点ければ上手く燃えてくれるかな。
一応、両親は一緒の寝室で寝ている。寝てる時だったら二人まとめて燃やせるだろうから、面倒じゃない。じゃあ、そうしよう。
なので私は家の棚にしまってあったマッチをこっそり持ち出して服の中に隠し、夜に両親が寝るのを待った。自分もものすごく眠かったけど、そこは我慢した(ちなみにこの時、既に私は両親とは別の部屋があてがわれていた)。
外が完全に暗くなって、両親の部屋の電気が消えて、寝息が聞こえてきたのを確認した私は足音を立てないようにゆっくり近づいて行った。向こうが起きてきたら面倒だ。さっさとやってしまおう。
ベッドに近づくと、確かに父親は寝ていた。うん。大丈夫そうだ。服の中からマッチを取り出し、月明りを頼りに火を点ける。そしてそれを父親の寝巻の裾に近づけた。
そうすると、オレンジ色の火がゆっくりと寝巻に広がっていく。それを見た私の心に、初めて体験する感覚が広がった。
ああ、なんだろう。これが広がっていったら、お父さんは全部燃えていくんだろうなあ。燃え尽きる前に起きちゃったりするかな? もし起きたとしたら私を見てどう思うかな? 怒っちゃうかな? それとも泣いちゃうかな?
できたら泣いてたらいいなあ。私に反撃したくてしたくてたまらないけど、それができなくて泣いちゃったらいいなあ。うん。燃やされてる方が燃やす方に何もできないのってすごくいい。たぶん燃えていくのってすごく怖いんだろうけど、燃やすのってそんなに怖くないんだね。
そんなことを思いながらしばらく火を見つめていたけど、その直後に異変を感じた父親が目を覚まし、同時に寝室の電気が点灯して大声が響いた。
「なにしてるの!?」
そう叫びながら部屋に入ってきたのは、お姉ちゃんだった。すぐに父親の寝巻についた火を布団を押し当てて消し、私を部屋から連れ出す。
「朝飛、アンタ……! なにやってたの!?」
「お姉ちゃん? なんでそんなに怒ってるの?」
「質問に答えなさい朝飛! アンタは何をしようとしてたの!?」
「なにって、おとうさん消しちゃおうかなって思って……その方が楽しいかなって思って……ちがうの?」
「……朝飛……そんな……」
私の答えを聞いたお姉ちゃんは、なぜか悲しそうな顔になったけど、その直後に私を抱きしめてくれた。
「大丈夫よ、大丈夫……まだアンタは踏みとどまれる……絶対に私は見捨てないから……私だけは……」
「お姉ちゃん?」
「大丈夫……アンタは朝飛なんだから……絶対に乗り越えられる……」
「なに言ってるの? お姉ちゃん?」
「私は“夜に立ち向かう者”……母さんはそう言ってくれた……一緒に生きていこう。朝飛……」
お姉ちゃんの声は、いつのまにか震えていた。その時の私は、なんでお姉ちゃんがこんなにショックを受けているのかわかってなかった。
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