事態が既に動き出していることを知った私がするべきことは、エミの無事を確認することだ。
電話帳に入っているエミの連絡先に電話をかけると、持ち主はすぐに出た。
『もしもし……ああ、ルリか。やはり君は行動が早いね』
「エミ! 無事なのね!? 沢渡に襲われなかった!?」
『そうだね、君の言う通り不測の事態が起こっているよ』
まずはエミが無事であることはわかった。少し安堵したけど、まだ彼女を狙う存在を倒したわけじゃない。安心するのはまだ早い。
その時、通話口から知った声が聞こえた。
『柏ちゃん、電話を代わって! もしもし、樫添です』
「樫添さん! よかった、無事なのね!?」
『はい。ただ、スマートフォンを落としてしまいまして……』
「それはわかってる。さっきあなたに電話したら、沢渡が出たわ」
『やっぱり拾われてたんですね。さっき沢渡に襲われましたよ』
やっぱり沢渡は樫添さんを襲っていたのか。だけど樫添さんに確認しなければならないことが他にもある。
「敵は沢渡一人だった?」
『いえ、もう一人いました。『アサヒ』と呼ばれていた女です』
「……!!」
棗朝飛。樫添さん、そしてエミも既に朝飛と出会っている。
どうする? 樫添さんに朝飛について話しておくべきだろうか。いや、朝飛が『狩る側の存在』であることが万が一にもエミに伝わったら、彼女がどう動くかなんてわかりきっている。間違いなく、自分の命を朝飛に捧げに行くだろう。
そんなことは、絶対に許さない。
それに私も朝飛についての情報をもう少し知っておきたい。だから私は樫添さんに質問した。
「そいつは、どんな女だった?」
『一言でいえば、棗香車にそっくりな女でした。顔だけじゃなくてその……雰囲気が』
雰囲気が棗香車に似ている。やはりそれは『狩る側の存在』であることに他ならない。
私の前にかつてないほどの強大な敵が現れたことを感じると、また口の中が乾いていく。
「……わかった。とにかくそのまま身を隠してて! すぐにそっちに行くから、合流したら詳しいことを話すわ!」
『わかりました』
まずは一刻も早く、樫添さんたちと合流することが先決だ。急いで電車に乗って、私たちの町に戻る必要がある。
私は曇天さんに向き直り、お礼を言う。
「曇天さん、情報をありがとうございました。私はこれからエミを守りに行きますので、これで失礼します」
「お待ちください、黛さん。私もあなたにご同行しましょう」
「え?」
「柏様を兄に渡すわけにはいきません。私の悲願を叶えるためには、柏様と関わり続けることが必要なのです」
「……」
どうする? この間まで殺し合いをしていたような人間と行動を共にするのは危険すぎる。だけど今は一人でも味方がほしいのも事実。どうすれば……
しかし葛藤していた私に、一人の男が声をかけた。
「黛、お前はまず先行して柏たちと合流しろ」
「柳端……アンタもこの件に関わるって言うの?」
「関わるも何も、既に俺はお前らの騒動に十分すぎるほど巻き込まれている。もう慣れた。とにかくお前が曇天さんや夕飛さんを信用できないというなら、お前は先行して動け。俺が曇天さんたちを連れて後からお前を追う」
「わかった。お願いするわ、柳端」
柳端の連絡先は携帯電話に入れてある。いつでも連絡は可能だ。
「じゃあ、私は行くわ。必ずエミを守り切って、アンタに借りを返すから」
「ああ、早く行ってやれ」
玄関の扉を開けて、アパートを出た瞬間に全速力で駅に向かって走り出す。
だけど私は少しの違和感を覚えた。あの柳端が、自分から私に協力を申し出るなんてことがあっただろうか。
考えても仕方ない。まずはエミたちと合流しなきゃ。
※※※
アパートを飛び出した黛の背中を見て、俺は少し羨ましさを感じた。
黛瑠璃子。アイツの柏へのひたむきさ。それが俺は羨ましい。ごちゃごちゃ考えてしまう俺にはないものだ。
「柳端くん、君も協力してくれるってことでいいの?」
心配そうに俺を見る夕飛さんに対して俺は答えた。
「ええ、俺もその……夕飛さんの妹さんに興味があります」
「……だけど、君にも話したように、朝飛は……」
「わかってますよ。似ているんですよね? ……香車に」
俺は夕飛さんが『死体同盟』に入ると聞かされた時、同時に夕飛さんの妹――朝飛さんについて聞かされた。
香車によく似た女性。香車と同じく、『狩る側の存在』であるらしい女性。
わかっている。その人は棗朝飛であって、棗香車じゃない。だけど俺はどうしても気になることがあった。
「夕飛さん、もう一度聞きます。朝飛さんは、香車の世話をしていたんですよね?」
「ええ。知っての通り、私はダンナと離婚してるから、どうしても朝飛の手助けが必要だったの」
「それは同時に、香車の『夜』を抑えるためでもあったと」
「そうよ。朝飛が『夜』を上手く抑える方法を香車に伝えられればいいと思ったし、朝飛本人にもそう伝えてた」
「ですが、さっきの会話を聞く限り、朝飛さんは『夜』を解放したいと願っていたようですが?」
「……そうね。私にもそれは隠していたみたい」
俺はどうしても考えてしまう。朝飛さんが本当に香車の残虐性――『夜』を抑えるために夕飛さんに協力していたのなら、香車が柏を殺そうとしただろうかと。
もし、朝飛さんが、香車の『夜』を抑えるためではなく、解放させるために香車の世話をしていたのだとしたら……
「柳端くん」
そこまで考えた時、夕飛さんは俺を諫めるような真剣な目を向けた。
「君の気持ちもわかるわ。朝飛が香車を『狩る側の存在』として覚醒させたんじゃないかって。それは私も考えた」
「実際に朝飛さんは今、『夜』を解放しようとしています。その可能性は十分考えられますし、もし朝飛さんが香車をその道に引きずり込んだのだとしたら、俺は……」
「朝飛を、許さない?」
「……すみません」
その謝罪が俺の答えだった。わかってはいる。朝飛さんが香車を『狩る側の存在』に仕立て上げたとしても、実際にその道を選んだのは香車だ。朝飛さんが責められることじゃない。
だけど、朝飛さんがもし、自分の『夜』を解放させられない代わりにその役目を香車に押し付けて、自分の欲を満たそうとしていたのなら……
俺は、棗朝飛を許さない。
「全く、柳端くんは相変わらず見た目によらず真面目過ぎるんだよね。ま、だから私も君が香車の友達でよかったって思ったんだけど」
軽くため息を吐きながら微笑む夕飛さんを見て、俺は安心感を抱いた。やっぱりこの人は、今でも息子を愛しているんだろう。
「さて、と。私たちはやるべきことを確認しましょうか。曇天くん、晴天が次の手を打ってくるとしたら、心当たりはある?」
「そうですね……兄は既に朝飛さんを味方にしています。ですが彼女と行動を共にしていないとなると、兄は柏様とは別の人間を狙っている可能性はありますね」
「別の人間?」
「そもそも兄の目的は柏様に『希望』を抱かせることです。それなのに兄は朝飛さんを味方につけています。そこがどうにも引っかかるのですよ」
確かに言われてみればそうだ。
空木晴天については曇天さんや夕飛さんから聞かされたが、柏に『希望』を抱かせるという目的に対して、『狩る側の存在』である朝飛さんを柏に差し向けるというのはどこか矛盾があるようにも思える。
――待て、空木晴天が朝飛さんを差し向けたのは、本当に柏に対してなのか?
『黛さんが私の願いを叶えてくれるかもしれないって』
朝飛さんは、さっきの電話で黛にそう言った。朝飛さんの願いとは、自らの『夜』を解放すること。すなわち自分の殺人願望を満たすこと。
じゃあ、まさか……!
「夕飛さん、もしかしたら、急いだ方がいいかもしれません」
「え?」
「おそらく晴天の狙いは柏じゃない」
そうだ、俺たちは『狩る側の存在』のイメージから、朝飛さんが『獲物』である柏を狙うのだと勘違いしていた。だけど朝飛さんには空木晴天がついている。晴天が狙っているのは……
「黛瑠璃子の、命です」
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