柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第八話 監視役の動揺

公開日時: 2021年1月10日(日) 19:20
更新日時: 2021年2月9日(火) 18:08
文字数:5,502


 駅から離れた場所といえども、国道沿いという立地ともなれば土曜日は大勢のお客が来店する。それは今俺たちがいる、このホームセンターも例外ではないようだ。

 周りを見渡してみるとペット用具を探している様子の家族連れ、熱帯魚の水槽を眺めている二十代くらいの男性、屋外の売場では家庭菜園のための肥料や苗を品定めしている老夫婦などが見られる。

 しかしその中でも、俺たちの存在は些かこの場所としては異質に見えるようで、先ほどから周りの視線を感じることが何回かあった。少し不愉快な気分にもなったが、俺の同行者はまるでそんなことを気にせずに先ほどからあらゆる売場を上機嫌で巡っている。


「おお、これを見たまえ萱愛くん。この鎖はなんと車でも支えることが出来るそうだよ。私の体をつり上げても、壊れる可能性など微塵もないだろう」


 同行者であり俺の先輩に当たる女性、柏恵美は芯にぐるぐる巻きにされている鎖を見てさぞ嬉しそうに鎖の丈夫さを解説する。彼女がその鎖をどのような用途に使いたいのかはあまり聞きたくはない。


「か、柏先輩。一応公共の場ですから、あまり大声を出すのはどうかと……」

「ああ済まない。こういう場所に来ると、つい興奮してしまってね」


 ホームセンターで鎖を見て興奮する女子大生がこの人以外にいるのだろうか。


「さて萱愛くん、次は工具売場を見に行こうではないか。スパナにドリルにハンマー……様々な凶器が陳列されている夢のような場所だよ」

「……俺には悪夢のような場所に思えてきましたよ」


 

 昨日、黛さんと樫添先輩が『レプリカ』なる人物から戦いを申し込まれてから、二人は『レプリカ』の正体を探るために動き始めていた。まずはM高校に在籍している自分たちの後輩に片っ端から連絡を取り、それらしき人物を知っているかを聞いて回るらしい。と言っても、黛さんには高校時代柏先輩と樫添先輩、そしてとある人以外の交友関係がほとんどなかったらしく、主に樫添先輩の知り合いに連絡を取る形になっているらしい。黛さんも自分の交友関係の狭さを気にしているらしく、樫添先輩に頼らざるを得ないことを申し訳なく思っている様子ではあった。

 そして黛さんたちが『レプリカ』の行方を追っている間、柏先輩の護衛を任されたのがこの俺、萱愛小霧というわけである。昨日の様子からして今回の柏先輩は黛さんに全面的に協力するというのは嘘ではないようだが、それでも彼女の身に危険が降りかからないとは限らないので、こうして俺と行動を共にしてもらっているわけだ。

 しかし今日、柏先輩との合流場所として指定されたのが何故かこのホームセンターであり、合流してからというもの彼女は陳列されている商品を見て回り、目を輝かせていた。


「ほうほう、これはこれは。見たまえ萱愛くん。このネイルガンは対象に押しつけないと、クギが発射されない仕組みになっているようだ」

「ああ、そういうのよくありますね。誤ってクギが発射されないようにする仕組みだと思いますが」

「つまりだね、ゼロ距離でクギを発射することにより確実に人体を貫くことが出来るのだよ。さすがに骨を貫通するのは難しいかもしれないが、腹部などを貫くことは出来るのではないかね?」

「いやいやいや! 恐ろしいこと言わないでくださいよ!」

「いや、腹部でなくとも骨を避ければ手の甲を貫くことも可能だろう。そうして私の手を木材などに固定して逃げられないようにすれば、あとはもう向こうの意のままに……」

「話聞いてますか柏先輩!?」


 また恐ろしいことを呟き始めた柏先輩に心底目眩がする。もしかして、今日一日中こんな感じで進むのだろうか。

 本当に、この人の思想は未だに理解することが出来ない。その一方で、彼女が冗談やポーズで殺されようとしているわけではないことはここ一年で十分すぎるほど理解した。そうでなければ、黛さんたちがあそこまで必死になることもないだろう。

 しかし俺はもう、この人の思想に対して説教をするつもりはない。殺されることが柏先輩の幸せであるのであれば、もう俺には何も口出しする権利はない。ただ俺も黛さん同様に、柏先輩を死なせたくないから守るというだけだ。


「そう言えば萱愛くん。今日は私と一緒にいていいのかね?」


 そう思っていると、突然柏先輩が話題を変えてきた。


「ええと、いいのかというのは?」

「愛しの彼女と一緒にいなくてもいいのかと聞いているのだよ。折角の休日に、私と二人きりのデートなどして怒られたりはしないのかね?」

「デ、デートって……いや、『あの人』は今大学入試の真っ最中ですから、俺と遊んでいる暇がないんですよ」

「ああ、それもそうか。彼女も大変だね」


 実は、俺にはその……かの、かの、その……お付き合いしている人がいる。いや、『大切な人』と言った方がいいのかもしれない。とにかく柏先輩は、俺にとって大きな存在の女性と一緒にいなくていいのかと言っているのだ。

 確かにかの……大切な人がいながら、別の女性と二人きりで行動するのはあまり誉められたことではないだろう。しかし今回は黛さんからのお願いということもあり、引き受けたのだ。


 しかし、流石に『あの人』に黙って柏先輩と会うのはまずいので、事前に電話で連絡はした。そしたら『あの人』はこう返事をした。


『萱愛氏と柏先輩が浮気をするとは思えませんからねえ……萱愛氏がそのような人間ではないということは理解しておりますし、柏先輩は黛先輩に夢中のようですからね……ひひひ……』


 『あの人』は相変わらずの笑い声を上げながら、俺と柏先輩が会うことを了承してくれた。ただその後に、こう付け加えてきた。


『ひひ、しかし萱愛氏。無いとは思っていますが、浮気などしたら、私もどうなるか自分でもわかりませんよ……? ひひひひひひひ!!』


 『あの人』にしては珍しく大声を出して俺に釘を刺してきたので、やはりあまりいい思いはしていないのだろう。それを考えると、黛先輩たちには早くこの件に決着をつけて欲しいところだ。


「ふむ、そうかそうか、彼女は大学入試で忙しいのか」

「はい、それがなにか?」

「いやね、私も少し意地悪なことを思いついたのだがね」


 そう言うと、柏先輩は俺に顔を近づけてその手を俺の左の頬に当てる。


「ちょ、ちょっと先輩!?」

「私が君に手を出したら、彼女が私を殺しにくる可能性も無いとは言えないと思うのだよ。それについてどう思うかね?」

「からかわないでください! それに、俺はあなたの誘惑には屈しませんよ!」


 とは言ったものの、柏先輩に迫られて少しドキドキしていることは否定できなかった。この人、結構美人だしなあ……


「くっ、くはははは! 誘惑ときたか。私も案外、女としての魅力は捨てたものではないのかな?」


 先輩は吹き出すように笑いながら俺から離れ、その場で一回転してその姿を俺に見せつける。なんだろう、先輩ってこんなことする人だっただろうか。

 もしかたしたら柏先輩も黛さんとの生活で少し変わってきているのかもしれない。殺されることだけを考えていた先輩が、黛さんと過ごす人生を楽しもうとしているのかもしれない。だからこうして、自分のイメージを確かめるようなことをしている。俺はそう思った。


「……とにかく。俺は黛さんに言われてあなたを守るってだけなんですから。変なことはしないでください」

「ふふ、ただ守るだけではつまらないだろう? 君も今を楽しみたまえよ。殺される価値のある人生を送ることも、『獲物』には重要だ」

「俺は殺されたいわけじゃないですから!」


 柏先輩につられて俺も大声を出してしまったようで、周囲のお客さんに困惑の目で見られている。まずい、あまり目立つと本来の目的から外れる。


「とにかく柏先輩。何かここで買うものが無いのであれば、そろそろ他の場所に行きませんか?」

「ふむ、確かに私だけが楽しんでは君に申し訳ない。君が興味ある場所にも行くべきだろうね。おや?」


 その時、柏先輩は何かに気づいたようで、視線を遠くに向ける。その視線の先を追ってみると、そこには一人の少女がいた。見たところ俺と同じくらいの年代で、大きな目が特徴的だ。

 しかし、その時俺は気づいてしまった。彼女の顔を隠すように貼られた『ガーゼ』に。

 どうやら、少し訳ありの人物のようだ。とっさにそう思った俺は思わず彼女から目を逸らす。だが一方の柏先輩は、その女性にまっすぐ向かっていった。


「せ、先輩、どこ行くんですか?」

「ふむ……少し興味深い人物のようなのでね、接触を図りたい」

「いやいや! 全く知らない人にいきなり話しかけたらまずいですって!」


 俺の制止が聞こえないかのように、柏先輩はどんどん女性に近づいていく。どうする、流石に力ずくで止めるのもまずい。しかし考えあぐねているうちに、既に柏先輩は女性に話しかけていた。


「こんにちは、少しお話をさせてもらってもいいかな?」


 調理器具の棚を眺めていた女性は、意外にもあまり戸惑わずに柏先輩に向き直った。こちらを向いたことで彼女の『ガーゼ』がよりはっきりと見えて、俺は気まずい気分になる。


「……どなたでしょうか?」

「ああ、これは失礼した。私の名前は柏恵美。君に興味を持った者だ」


 先輩はいつもの調子で名乗るが、おそらく相手が聞きたいのはそういうことではないと思う。


「私に、興味ですか?」


 女性はそう言いながら眉根に皺を寄せて、少し不機嫌そうな顔をした。まずい、もしかしたら、顔のガーゼのことに対して面白半分に顔を突っ込むつもりだと思われているのかもしれない。


「そうだよ。私は君がなぜそんな目で包丁を見つめているのかに興味がある」

「……私はただ、調理用の包丁を選んでいただけですよ?」

「それは嘘だね。もしそうであるなら、そんな目では包丁は見ない。そんな、『誰かに刺して欲しそうな』目ではね」

「……どういう目ですか、それは?」

「柏先輩、あまり初対面の人にそういう話題を振ったらダメですよ」


 先輩があまりにも異次元の話題をしているので、流石にこれは止めないとまずい。そう思って先輩の手を引っ張ろうとした時だった。


「でも、あなたの言っていることはそこまで間違ってはいませんよ」


 女性は先ほどとは打って変わって表情を柔らかくした。

 ……でもなんだろう。なぜかその表情が、この人に全く似合わないもののように見えた。


「ほう、間違っていないと?」

「ええ、私は確かにこの包丁で刺し殺されたいと思っています。このまま苦しみながら生きるより、その方が遙かにマシですから」

「……なるほどね」

「……」


 ……この人は。

 この人はやはり、過去に何か辛いことがあったのだろう。もしかしたら顔のガーゼと何か関係があるのかもしれない。以前の俺だったら、『死ぬなんてダメだ』なんて、知った風な説教をこの人にしたのだろう。

 だけどこの人も、自ら死を望むほどに辛い経験をした上でこんな考えを持ったのだ。確かにこの人が死んだら周りの人は悲しむだろう。しかしそれはこの人が死を選ばない理由にはならない。ましてや、今会ったばかりの俺の言葉など、この人に届くはずもない。

 

 だから今の俺には、この人は救えない。

 

「君は生きるより死ぬ方がマシという理由で死を選ぶのかね?」


 しかし柏先輩は、女性に尚も声をかけた。


「……それが何か悪いことですか?」

「悪くはないよ。だが、楽しくはないだろうね。君は一度しか体験できない殺される瞬間を楽しめない。それは私にとっては不幸なことだと思ったのだよ」

「殺される瞬間を楽しむ? そんな人間、いるわけないじゃないですか」

「なぜそう言い切れる? 私はこんなにも殺されたくて仕方がないと言うのに」

「はあ?」


「私は私を殺してくれる人間を捜していた。今はもう叶わぬ夢だがね」


「……」


 女性はその言葉に驚いた様子で再び顔をしかめる。


「……噂通りの人ですね、柏恵美さん」

「おや、私のことを知っているのかね?」

「ええ、あなたは私のいた学校では有名ですからね」

「そういえば萱愛くんがそんなことを言っていたね?」

「え、ええ、まあ……」


 確かに柏先輩たちはM高校では有名だ。ということは、見たこと無いけどこの人はM高校の関係者なのか?


「だけど私は、あなたとは仲良くなれそうにありません」

「確かにね、君は『死を待つ者』で私は『死を望む者』だ。この二つは似ているようで決定的に違う。非常に残念なことだ」


 柏先輩は本当に残念そうにため息を吐く。やっぱりこの人も共通の話題で盛り上がりたい気持ちはあるのだろうか。

 そう思ったのも束の間――

 

「だから私は、君に絶望の底に叩き落とされることの素晴らしさを是非とも教えたいのだよ」


 先輩は両手を広げてにんまりとした笑顔を浮かべながら女性に向き直った。


「え?」

「せ、先輩?」


 なんだなんだ? いきなり何を言い出したんだこの人は?


「確かに私と君は決定的に違う。だが決して私たちの距離は遠くはない。そう、私が獲物の心得を伝授すれば、君も恰好の獲物になるのではないか? 私の勘がそう告げている」

「え、ええと……」


 女性は初めて困った顔を浮かべるが、柏先輩はそんなことなどお構いなしに彼女に顔を近づける。


「さあ、私が君を一人前の獲物にしてあげよう! 『狩られる側』にその身を捧げる悦びを、じっくりと君に教えようではないか!」


 そして先輩は女性の腕を引っ張り、一目散に走っていく。


「あ、あの、私まだ獲物になるなんて一言も……」

「ふふ、君にその気がなくとも、私は君に獲物の悦びを教えてくて仕方がないのだ。付き合ってくれたまえよ」

「か、柏せんぱーい!!」


 いつもなら考えられないスピードで女性を連れていく先輩の後を、俺は必死に追いかける他なかった。 

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