「それで? お前は閂と結婚するなんて話を相手の承諾も得ずに自分の母親にしたわけだ」
「……冷静に考えてみたら、本当に無茶なことをしたと思う」
病室のベッドに腰掛けながら、俺は萱愛の話を聞いていた。柏や閂の怪我はそこまで重くなかったが、俺は左腕の骨が折れていたので、一週間経ってもまだ退院できずにいた。
そんな中で萱愛が見舞いに来たのだが、なんとこの男は自分の母親に対して、『自分は閂香奈芽と将来結婚する』なんて話をしたという。まだ夫を亡くして一週間しか経っていない母親に対して、閂の承諾も得ないまま。
「大学にも行かずに就職して、母親と閂の世話をしようって考えはいい。だがお前、具体的なプランはあるのか?」
「いや、まだない」
「だろうな。というよりお前、気がはやり過ぎだ。もう少し立ち止まっても良かったんじゃないか?」
「う……」
前からこいつは『これだ』と決めたことに突っ走る傾向がある。それで悲劇を起こしたこともある。だから俺は、苦言を呈する必要があった。
「確かに、もう少し閂先輩や母さんと話し合ってもよかったかもしれない。だけど俺は、父さんに愛されなかった分、母さんや閂先輩を……」
「わかっている。お前の真面目さも、真剣さもな」
俺が萱愛に対して意地悪なことを言ってしまったのは、おそらく俺がこいつに対して少し嫉妬しているからかもしれない。
そう、まだ大切な人間がいる、こいつのことを。
「どちらにしろ、俺がとやかく言えることじゃない。お前がそう決めたなら、俺は応援する」
「あ、ありがとう、柳端」
「そういえば、閂はどうしたんだ? あいつは帰ったのか?」
「あ、ああ。閂先輩は、なんかこう、『ひひ、ひひひ、ひひひひひひ!』とか言いながら、フラフラと歩いて帰っていったな」
「……」
あいつ、意外と予想外の展開に弱いのか?
「それにしても、お前、陽泉のことを『父さん』と呼ぶようになったんだな」
「ああ。もしかしたら、俺はどこかであの人が自分の父親だという事実から逃げてたのかもしれない。だけど、自分の父親が人殺しでも、俺を人形のように扱っていたとしても、俺はその事実からはもう逃げない」
「……そうか」
萱愛小霧という男は、本当に変わったと思う。世の中の多様な意見を受け入れられるようになった。
その点、俺はどうなんだ? 俺はまだ……
「柳端」
「ん、なんだ?」
「退院したら、俺のおごりで食事でもしないか?」
萱愛の申し出に、俺はこう答えた。
「……そうだな、陽泉に殴られた迷惑料もまだもらってないしな」
「よし、決まりだ」
俺はまだ、香車を失ったことを引きずっているかもしれない。だけど、俺にもまだ支えてくれる人間はいる。
今はまだ、それでいい。
※※※
陽泉との一件から、一週間が経った。
「エミ、本当にあの時のこと、覚えてないの?」
「ああ。私は陽泉くんに殴られて気を失い、気がついたら病室にいたと、何度も言ったはずだがね」
エミには大した傷はなく、翌日には退院していた。だけど私には、ずっと気がかりなことがあった。
それはもちろん、陽泉と対峙した時のエミの様子だ。
あの時のエミは明らかにいつもの彼女ではなかった。だけど、全然別人というのも少し違った。なんというか……奥に潜んでいた者が、表に現れた。そんな感じだ。
「しかし、萱愛くんは大丈夫なのかね? お父上を亡くされたことになるわけだが」
「それに関しては、なんか閂が『人生最良の日でございます』とかわけのわからないメール送ってきたから、心配してないわ」
一体、萱愛が何をしたのかは知らないけど、閂が喜んでいるなら、萱愛に変なことは起こってないでしょ。
「さてさて、一騒動あったが、これでまた私の命を脅かす者がルリによって排除されたということか。全く君は恐ろしい存在だね」
「そりゃどうも。と言っても、今回は別に私は何もしてないけどね」
そう、今回は私は何もしていない。
だけど、気になることはあった。それはもちろん、エミの過去だ。
萱愛の祖父、斧寺霧人。『絶望こそが人を救う』との思想を持っていた刑事。エミの過去には、その人が関わっている。
斧寺識霧はもう、拘置所の中だ。彼から聞き出すのは難しいだろう。だけど私は、エミがなぜこうなったのかを知りたい。エミがなぜ、『殺されたがっている』のかを知りたい。
そして可能であれば……
いや、やめよう。それを考える資格なんて、私にはない。
「ああ、ところで今度、中学の同窓会が開かれるそうだ」
「同窓会?」
「なんでも、来月の連休にカラオケにでも行こうということらしい。ルリも来るかね?」
「い、いやいや、中学の同窓会なんでしょ? 私は店の前で見張ってるからいいわ」
中学の同窓会か……
エミの中学時代。私の知らないエミがそこにはあるのかもしれない。
「そういえば、中学の同窓会ならば、『彼女』も来るのか」
「え、『彼女』?」
「ああ、中学時代の同級生でね、沢渡生花というのだが……」
そして、エミは言った。
「おそらくは、私の初めての『親友』と呼べる存在だろう」
その言葉で――
私の心に、少しのざわつきが起こったのは、どうしても否定できなかった。
愛の泉編 完
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