私は思い出す。
――私が「生まれた」十年前の出来事を。
十年前、ある殺人事件が起きた。被害者は当時のG県警察本部長だった、柏恵介。
死因は失血死。背後からナイフで刺されたそうだ。現場は、被害者の自宅近くにあった自然公園。目撃者はいなかった。
いや、正確には一人だけいた。被害者の一人娘であるこの私――柏恵美。
だが、当時の私は……
※※※
「お疲れ様です!」
現場の外で野次馬の対処をしながら、敬礼をしてきた警察官に軽く会釈をした後、立ち入り禁止のテープをくぐり、私は現場に入った。
鑑識が現場写真を撮っているところだったので、邪魔にならないように、先に現場に着いた部下に話を聞こうとしたが、鑑識は私に気づき、シャッターを切るのを止めてくれた。
「お疲れ様です! 斧寺警視!」
鑑識に名前を呼ばれる。そのことに、少し仰々しさを感じた。
G県警察本部刑事部捜査第一課課長、斧寺霧人警視。
……それが今の、私の肩書だ。
私ももう57歳になり、もはやベテランというよりロートルという言葉のほうが似合うだろう。経験があるとはいえ、体力は若手の警察官に遠く及ばない。その代わりに経験と実績を買われ、私は前に出ることの少ない階級と役職につくことになった。
だが私は、今でも自分をただの一警察官と考えている。人を救うための、警察官だと考えている。
しかし、自分の意見を通すにはそれなりの実績と信頼がなければならない。だからこそ、私はこんな肩書に縋る必要がある。そのことに、自分の中で矛盾を感じつつも、今は事件を解決することに集中することにした。
――そう、この事件は何としても解決しなければならない。
現役の県警本部長が殺害されたのだ。ニュースになるのも時間の問題だろう。県警本部課長の私が現場に呼ばれたのも納得だ。
だが、私がこの事件を解決しなければならない理由は……
「斧寺さん!」
その声に呼ばれて、一旦考えを打ち切る。声の主は、見慣れた顔だった。
「現場写真は既に撮り終えたと報告がありました。周辺住民への聞き込み、現場近くの道路での検問、それと、現場周辺への捜査員の配置は各所轄と連携して、人員が揃い、捜査を開始しています。ですが、今のところ決定的な証拠はあがっていません」
そう報告したのは、私の直属の部下である、捜査第一課強行犯係係長、真田 平一警部補だ。もう40歳になるが、日ごろの鍛錬とまっすぐな性格からか、今も若々しい印象を受ける。
だが、彼の長所は他にある。私が現場を見回し、死体を確認すると、彼はすぐに言葉を出してくれた。
「……柏本部長は、背後からナイフで刺されたようです。詳しいことは解剖に回してからですが、現場の血痕の量からいって、おそらく失血死ではないかと」
私の意図を察して先に言葉を出してくれるのが、真田のいいところだ。
正直言って、私は会話が得意ではなく、口数も非常に少ない。だからこそ、私の少ない言葉で意図を察してくれる彼の存在は非常に助かる。そして私は次に、現場周辺の人通りについて質問した。
「この自然公園は近年では非常に来訪者が少なく、県では、取り壊しの案も出ているそうです。今も目撃者を捜していますが、今のところは……」
目撃者は無し。私がその結論に達しようとすると、真田は言葉を続けた。
「あ、斧寺さん。目撃者かもしれない人物はいるにはいます。ただ……斧寺さんも知ってのとおり、『彼女』から証言をとるのは難しいかと」
『彼女』? 真田の言葉を意味を考えたところ、一人だけ心当たりがあった。
被害者は柏本部長。そして、彼と一緒にいた可能性の高い人物。真田に連れられて、パトカーに保護されていた『彼女』の姿を見る。
柏恵介本部長の娘、柏恵美。
大した手がかりが出ないまま、捜査を所轄に任せ、我々は一旦引き上げることにした。
翌日、県警本部の会議室に、捜査本部が設置された。
「それではこれより、会議を始めます」
真田が会議の進行を務め、事件の説明を始めるのを、私は彼の後ろに設けられた席で聞いていた。
「では次に、被害者・柏恵介の情報をまとめます。最初に、私から大まかな説明をさせていただきます」
柏本部長か……
実をいうと、私は柏本部長と個人的な付き合いがあった。それは、真田も同様である。
そして、私たちは知っている。彼の本性を。
「柏恵介、55歳。職業は警察官で、G県警察本部長を務めていた。階級は警視長。家族は6歳の一人娘、恵美のみ。一か月前に、妻・清美を亡くしています。家族関係は妻との歳が離れていたせいか、あまり良くなかったようです。噂では……」
真田が一線を越えようとしたので、私は咳払いで警告した。……このことで、捜査員の心を乱してはならない。
「……失礼しました。次に、職場での人間関係ですが……」
職場での柏本部長は、有能だったとされている。
上に立つものとして鋭い視点で指示を出し、一切の妥協を許さなかった。部下に対しても厳しく接し、私も怒号を浴びせられたことがある。それでも彼を慕う者は多かったのは、彼が仕事に対して真剣に向き合っていることが、伝わってきたからだろう。
――仕事に対しては。
「では、次に司法解剖の結果を報告させていただきます」
解剖を担当した医師がまとめた報告書を、真田が読み上げる。
「死因は失血死。背後から刃渡り10cmほどの刃物で刺されたのが原因と見られます。それ以外の外傷は無し。しかし、傷口が荒れているため、一回背中を刺した後、改めて深く刺しこんだと見られます。それと、刺された直後しばらくは意識があった可能性があるそうです。死亡推定時刻は夕方の17~19時の間だと思われます。」
一回刺した後、改めて深く刺しこんだ? 私はそれが気になった。もし、衝動的に刺してしまったのであれば、一回刺した後に刃物を抜くか、その場から立ち去るかという選択を取りがちになる。だが、犯人はさらに刺しこんだ。恨みがあったということだろうか。捜査員たちもそこに疑問を感じたようなので、私が深く追究する必要もないと思い黙っていた。
「では、各所轄の報告を聞きたいと思います」
所轄から集められた捜査員たちが報告を始める。明らかになった事実を真田がホワイトボードにまとめていった。
死体の周辺に這いずった痕があったため、やはり被害者は刺された直後には意識があった可能性がある。
現場近くの池の底から、刃渡り10cmほどのナイフが見つかり、付着していた血痕が柏本部長のDNAと一致した。
現場近くに防犯カメラなどはなく、目撃者もゼロ。
公園入口には守衛などはおらず、公園の利用者もわからない。
現在聞き込みを行ってはいるものの、現場の公園を利用したと思われる人物は見つからない。
現場は公園内の遊歩道であり、舗装されていたため、はっきりとした足跡は見つかっていない。
……などが報告された。
「今も決定的な証拠は見つかっていません。ですので、これからは範囲を広げての捜査が必要になると思います。捜査員は各自、情報の共有を怠らないこと。それでは解散!」
私の言葉を真田が代弁し、捜査会議は終了した。捜査員たちが会議室を出たのを確認した後で、彼が私に話しかける。
「斧寺さん、出過ぎた真似とは思います。ですが……彼らには伝えるべきだったのではないでしょか?」
真田がなおも食い下がる。だが、証拠が無い以上、彼らに混乱を与える結果になりかねない。
柏本部長の本性、そう――
「柏本部長が……娘を虐待していたかもしれないことを」
真田の言葉を受けて、事件当日にパトカーに保護されていた柏恵美の様子を思い出す。
「……」
彼女は女子児童らしく、キャラクターがプリントされたパーカーに、かわいらしい紺のスカートを着ていた。
だが、彼女の顔はまったく感情が感じられない無表情であり、子供にしてはいやに姿勢がいい。彼女が父親の死を見たショックでこうなったのではないことを私と真田は知っている。
二か月前、匿名の通報があった。
『柏恵介という人物が、一人娘を虐待しているかもしれない』
という内容で。
本来であれば、あまり事件性が感じられない通報には、時間をかけていられないのだが、『柏恵介』という名前と、その時たまたま大きな事件を抱えていなかったことから、私と真田は秘密裏に捜査をすることにした。
上司と部下という関係だけあって、柏本部長との接触は容易だった。しかし、彼は仕事と家庭をきっちり分けている人物だったので、中々、家庭の情報を探り出すことは出来なかった。
だが、半月後に転機が訪れた。
本部長の奥様である、柏清美が娘の恵美を連れて、県警本部にやってきたのだ。
柏清美はまだ30歳前後の見た目であり、本部長とは随分と歳が離れているように見えた。だが本部長に離婚歴はなく、48歳で奥様と結婚したそうだ。奥様は見るからに気弱そうな見た目で、本部長の前でもオドオドしていた。なぜ奥様が突然本部長に会いに来たのかはわからない。
だが、私はそれ以上に本部長の娘の様子が気になった。
まだ6歳だというのに、あまりにも感情が感じられないのだ。
むりやり感情を押し殺しているのとは違う。
なんというか、うまく言葉が見つからないが――
――ひどく中身が「薄い」ように感じられた。
明らかにその雰囲気は本来女子児童が出すべきそれではなかった。中身が「薄い」。その様子は私が慣れ親しんだものだ。
私は常日頃、自分に何かが足りないような感覚に襲われている。その何かは何なのかは全くわからない。
だが、それが私にとって重要なものであるという確信だけはあった。そしてそれは、彼女も同じではないかと考えた。
だからこそ中身が「薄い」、彼女を救いたいと思ったのかもしれない。
虐待がある可能性は高まったが、確たる証拠は何もなかった。だがその日を境に、本部長の様子がおかしくなったように思えた。
やたらと家族の動向を気にするようになり、頻繁に連絡を取るようになったのだ。
本部長には兄弟がおらず、両親はすでに他界。親戚もいないため、子供の面倒は全て奥様が見ていたようだ。だからだろうか、時折聞こえる本部長の電話の内容は娘のことが中心だった。
そして私と真田は、ある事実をつきとめた。本部長の自宅周辺で探偵が様子を窺っていたのだ。
もし、妻と娘を見張るためだとしたら――二人を逃がさないようにしているのかもしれない。
それを知った私はとある行動を起こしたが、その一か月後に今回の事件が起こってしまった。
保護された柏恵美は相変わらず感情を感じさせなかった。
もう彼女を救うことは出来ないのだろうか。両親が死んでしまったことで彼女は――
「斧寺さん!」
私の考えを、真田の言葉が打ち切る。
「とりあえず、我々も行きましょう。現場周辺の聞き込みは大体終わっているので、コンビニなどの監視カメラを調べましょう」
そう、私はこの事件を解決しなければならない。
彼女の、ためにも。
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