その後。
騒ぎを聞きつけて部室に入ってきた他の先生によって、御神酒先生と枝垂先輩は連れて行かれ、先輩は停学処分となったようだ。
また御神酒先生も、右腕の骨にヒビが入ったということで、病院に運ばれた。
俺も先生方から事情を聞かれ、解放されたのは完全下校時間の三十分前だった。
「ふう……」
解放されて校門に出た俺は、今日のことを思い返す。
今までの俺の行動の身勝手さ、そして御神酒先生の言葉の真意。
他人を救う覚悟、先生はどういう意味で言ったのだろうか。
「大変だったそうね、萱愛小霧」
「樫添先輩……」
まだ学校に残っていたのか。だがこの人と話すのも気まずい。この人は佐奈霧さんと手を組んで俺を……
「一応言っておくけど、この間のことを謝る気はないよ」
「……それでいいです」
「それで、御神酒先生は大丈夫だったの?」
「え? ええ、右腕の骨にヒビが入ったそうですが、命に別状は……」
「そう、よかった……」
樫添先輩は心から安心したように息を吐く。
「あの、御神酒先生が心配だったんですか?」
「そうだよ。何? 自分の心配をしてほしかったの?」
「いや、そういうわけでは……ただ、御神酒先生と何かあったのかなって」
「……」
先輩は少し考え込んだ後に、話し始める。
「御神酒先生には、世話になったの」
「え?」
「二年前、私は親友を失った。それが緑ちゃんの姉、皿椈有紗なの」
「そうだったんですか……」
おそらくは、樫添先輩が佐奈霧さんに協力したのはその辺りに理由があるのだろう。
「そして私は、有紗の復讐のために柏ちゃんに近づいた。柏ちゃんに自分を殺させるためにね」
「えっ!?」
「でもそれは失敗に終わったし、柏ちゃんに逆に説教されちゃったの」
「はあ……」
「そして目的を失った私に声をかけてくれたのが、御神酒先生だった。御神酒先生に柏ちゃんとのことを話したら、すごい怒られたの。『自分の身勝手のために皿椈を利用するな』って」
「身勝手?」
「私のしようとしたことは、自分の保身のために有紗を利用することに他ならなかった。そんなことをしても、私が有紗を救えなかったことは変わらない。そういうことなの」
保身……
俺も、そうなのかもしれない。唐木戸の死を都合よく解釈していたのかもしれない。
「そして聞いたの、他の先生から御神酒先生の過去を」
「過去?」
「御神酒先生は、この学校に赴任してきた時に職員室でこう言ったんだって」
『はじめに皆さんにお願いしておきたいことがあります』
『お願い?』
『私が仮に生徒に殺されたとしても、その生徒を責めないでやってほしいのです』
「なっ!?」
どういうことだ? 生徒に殺される? なんで先生はそんなことを言ったんだ?
樫添先輩は話を続ける。
『お、御神酒先生、ご冗談は……』
『いえ、冗談ではありません。私はいつ今まで担当してきた生徒に殺されても文句は言えないと考えております。私は今まで、何人もの生徒を救ってきたという自負があります。ですが同時に、何人もの生徒を見捨ててしまいました。例え私がこの先何人もの生徒を救ったとしても、それこそ世界を救ったとしても、その罪は消えないと考えています』
『……』
『私は生徒全員を救えません。だからこそ誰かを見捨ててしまう。そして見捨てられた生徒からすれば、私は最低の教師です。何人救ったとしても、その生徒からすれば私は最低の教師です。だからせめて、その生徒が私を恨んだとしても、それを受け入れようと思います』
「そ、そんな、そんなことを……」
驚きで言葉にならない。
「御神酒先生ってね、ご家族とも縁を切っているそうなの」
「え?」
「多分だけどね、自分への恨みがご家族にまで移らないように……」
「……」
俺は考える。
俺にそこまでの覚悟があったか?
他人を救おうとする時、救えなかった相手に恨まれる覚悟はあったか?
救わないという決断をして、その相手に殺されるかもしれないという覚悟があったか?
他人を救えなかった結果、その親族や友達に憎まれる覚悟はあったか?
俺には、それが無かった。
だから御神酒先生に呆れられたんだ。『その程度の考えで、他人を救おうとしているのか』と。
そして俺は、御神酒先生の涙を思い出す。
先生は……枝垂先輩も救いたかったんだ。いや、先輩だけじゃない。
御神酒先生は、誰よりも生徒全員を救いたかったんだ。
でもそれを叶えられない現実にぶつかり、今の考えを持った。
しかし決して、救えなかった生徒のことを忘れてはいないのだろう。
それが御神酒先生の言った、『相手の人生を背負う覚悟』。
そして俺は、ある決意をした。
翌日、教室は騒然となっていた。そして俺が教室に入るなり、クラスメイトたちの視線が向く。
「おい萱愛、これって本当か?」
クラスメイトは黒板を指して言う。そこには……
『萱愛小霧は、同じ塾の生徒をいじめで自殺させたクズ!!』
大きな文字で、そう書かれていた。
それを見た俺はすぐに黒板に駆け寄り、急いで文字を消す。
だがその行動こそが、黒板の文字が真実だということを克明に表していた。
クラスメイトたちが、俺に冷たい視線を向けているのがわかる。でも、これでいい。
なぜなら黒板に文字を書いたのは、俺だからだ。
うちのクラスだけじゃない。俺を知っているであろう、両隣のクラスの黒板にもこの文字を書いた。今頃、俺がいじめで他人を自殺させたという噂は広まっているだろう。
それでいい、俺は決めたのだ。
唐木戸を追いつめた罪を、背負うことを。
俺がなんと言おうと、俺のせいで唐木戸は死んだ。
だから俺は一生その罪を背負う。それが唐木戸の死に対する、俺の贖罪。
これが正しいのかはわからない。だが、一つだけ確信していることがある。
俺はこれから一生、唐木戸のことを忘れない。
必死に文字を消す俺に、佐奈霧さんが声をかける。
「どういうつもり、これは?」
「なんのことかな?」
「……なるほどね、まあいいわ。とりあえず、あんたを殺すのは無しにしてあげる」
「……」
「これからのあんたは、生きている方が辛そうだしね」
昼休み。
相変わらず周りから冷たい視線を受けながら、俺は購買に向かっていた。
「ちょ、ちょっと、緑ちゃんから聞いたよ? あんたどういうつもりなの?」
動揺した様子で、樫添さんが駆け寄ってくる。
「どういうつもりもありません。これが俺なりのけじめです」
「だからって……」
「やってくれたね、萱愛小霧」
そのとき、もう一人の人物が声をかけてきた。
わかっている、この声が誰かわかっている。
「柏先輩……」
俺の前に立った柏先輩は、いつもの微笑みではなく明らかに不機嫌そうな顔だった。
「……この学校にいる『彼』が悉く私から視線を外しているのを感じる。屈辱だよ。私より君の方が、獲物として魅力的だと言うのかね?」
『彼』、おそらくは棗の意志を刷り込まれた『成香』たちだろう。そして彼らは、柏先輩より俺の方が獲物として殺しやすいと考えているのかもしれない。
「……先輩、俺はもうあなたを止めません」
「ほう?」
「それが先輩の幸せであれば、俺はもう止めません。この現状は、あくまで俺がけじめをつけるためのものです。先輩の目的を妨害するものではありません」
「だがね、結果として君は私の目的を妨害しているのだよ」
「先輩、あなたを止めるのは別の人間です」
その時、携帯電話の呼び出し音が鳴った。
その電話の持ち主である柏先輩は誰かと通話を始める。
「ふむ、わかったよ」
そして何かに応じたかのように、電話をスピーカーホンにした。
『萱愛、どうやらやってくれたようね』
辺りに電話越しの黛さんの声が響く。
「黛くん、どうやら結果的にではあるが、君に有利な状況になったようだ」
『そうね、その点では萱愛には感謝しているわ、ありがとう』
黛さんが、俺に礼を言う。
「しかしだ、黛くん。まだ私は諦めていない。それは君もわかっているだろう?」
『ええ、そうでしょうね。おそらくは最後の『成香』が存在するのよね?』
「ああ、これで最後だ。そして認めよう、君は私の……」
『ええ、私はあなたにとって……』
「『敵だ』」
ようやく俺はわかった。
そもそも、俺は介入すべきではなかった。この二人の戦いに。
柏先輩を助けるべき人間は最初から決まっていたのだ。
俺はこれから俺の人生を歩む。おそらくは、それは茨の道と言えるものだろう。だが、この二人の戦いはもっと辛いものなのかもしれない。
そしてこれだけは言える。
柏恵美と、黛瑠璃子。この二人の戦いは……
どちらかが屈伏するまで、終わらない。
第四話 完
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