俺はレンタルビデオ店の駐車場で携帯電話を見ながら時間を潰していた。柳端に勤務時間を聞くと、『あと十数分で終わる。その後ならお前につき合える』とのことだったので、外で待っていることにしたのだ。
腕時計を見ると、柳端の勤務時間が終わってから十分ほどが経っていた。もうそろそろアイツも店から出てくるはずだ。
そしてその予想通り、柳端は店から出てきた。
「おーい、やな……」
「コウくん、一緒に帰ろ?」
しかし俺が声をかける前に、店から飛び出してきた綾小路さんが柳端の腕にしがみついていた。
「……綾小路さん、止めてもらえます? 俺はアナタの彼氏でもなんでもないんで。それに今日も彼氏さんが店に来てたみたいですけど」
「もう、いじわるだなあ。あんな男、彼氏でもなんでもないよ。ただの他人。アタシは今、コウくん一筋なんだから。こう見えても結構一途なんだよ?」
相手を見もしないでぶっきらぼうに言い放つ柳端と、そんな態度にお構いなしにスキンシップを取ってくる綾小路さん。……なんだろう、どう見ても仲がいいバイト仲間と言える姿ではなかった。
「どの口が言うんだか。本当に止めてくれ。アンタにそんな甘ったるい声で近寄られると虫酸が走る」
「素直じゃないなあ。そんな照れ隠ししなくてもいいんだよ? アタシ結構押しに弱いタイプだからさ、コウくんがガバッといったら、なすがままになっちゃうかも!」
「マジで止めろ。想像したくもない」
きゃはきゃはと笑いながら冗談めかした発言をする綾小路さんに対し、柳端は本当に迷惑そうに明後日の方向を向き、顔をひきつらせながら額に皺を寄せていた。
……先ほどから見ていて感じていたが、この綾小路さんという人はあまり相手の反応を気にしないというか、自分の都合のいいように解釈してしまう人のようだ。その姿に、理想を追い求めてばかりで、相手の言葉をまるで聞こうとしていなかったかつての俺の姿が重なり、喉に何かがつっかえるような感覚を覚えた。
「おい萱愛、バイトは終わった。話があるならそこのファーストフード店で聞くぞ」
「えー、待ってよ。コウくんはアタシと遊んでから一緒に帰るんじゃないのー?」
「誰もそんなことを言った覚えはない。いいから離せ」
「あっ! もう、女の子はもっと丁寧に扱ってよ!」
綾小路さんの腕を強引にふりほどき、柳端は早歩きで俺の所へ来た。
「待たせたな。捕まる前に行くぞ」
「あ、ああ」
そして俺たちは小走りでレンタルビデオ店から離れ、近くにあったファーストフード店に入った。
「た、大変だったな柳端」
「本当に迷惑だな。甘ったるい声で毎日迫られてうんざりしている。バイト中もあの調子で来るから、殴りたくなってくる」
「お、おう……」
柳端はファーストフード店の四人掛けのテーブル席に座ると、先ほどの綾小路さんの行動に対する愚痴を言ってきた。まあ確かに、興味のない相手にあそこまで強引に迫られたらうんざりするだろうな……
「ところで萱愛、お前は大丈夫なのか?」
「え?」
「いや……御神酒のことを、まだ引きずっているかと思ってな」
「ああ……」
御神酒先生の真実を知ることは出来たが、どうあっても先生が亡くなったという事実を覆すことは出来ない。先生が亡くなって数日が経ったが、俺に全くダメージが残っていないとは言えない状態ではある。
しかし俺は御神酒先生が最期まで俺や仲里先生を含めた生徒全員の幸せを願っていたということを知っている。御神酒先生の死がいつまでも俺の歩みを止めてしまうのは、先生にとっても本意ではないはずだ。
「……大丈夫だ。俺はもう、前に進める」
「そうか……」
俺の返答に、柳端が微かに笑ったように見えた。それを見て、俺の中にある思いが芽生える。
「でも、お前も元気そうでよかったよ」
「なに?」
「ああやってアルバイトを真面目にやれるくらい立ち直れたんだなって思ってさ。……まあ、校則違反だけど」
「……買いかぶり過ぎだ。お前ほど前を向いてはいない。俺はただ、もがいてるだけだ」
「俺はそうは思わないけどな、お前は立派だと思う」
「……ああ、ありがとう」
……本当に良かった。
俺たちが一年の頃、柳端はとある理由で不登校になっていた時期があった。夏休み前に学校に復帰はしていたが、まだ万全とは言える状態ではなかった。二年生になって別のクラスになったことで、彼とは少し距離が開いていたが、こうして前を向けるようになってくれたことを本当に嬉しく思える。
「それで? お前はあの店に何しに来たんだ? いつの間にか映画鑑賞が趣味になったのか?」
「いや、まあ閂先輩に会いに……」
だが閂先輩の名前を出した直後、柳端の表情が再び不機嫌になった。
「……お前、閂に関わっているのか?」
「実は、御神酒先生の事件でお世話になったんだよ。それで……」
「悪いことは言わない。閂との関係を切れ」
そして、前にも聞いたことのあるような忠告をされた。
「な、なんでだよ」
「全く、お前は本当におかしな奴らと関係を持ちたがるな。閂といい、『あの女』といい」
柳端の言う『あの女』とは、以前俺が関わったとある先輩のことを言っているのだろう。確かにあの先輩と閂先輩は、タイプが違うが他とは違う雰囲気がある。
「お前も聞いただろう、生徒会長の挨拶をした時の閂の発言を。俺も一緒の店でバイトをしていてわかったが、あの女はかなりの曲者だ。お前の手に負える存在じゃない」
「曲者?」
「……あいつは他人の隙を見つけることに長けている。そう簡単にお前の思い通りになるタイプじゃない。うかつに触れれば、火傷じゃ済まない。関わらないのが一番だ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
少し会話のズレを感じた俺は、柳端を制止した。
「どうした?」
「いや、あのさ。柳端は俺がなんで閂先輩に会いに来たと思ってるの?」
「? お前が閂の言動や行動に苦言を呈するためだと思っていたが……違うのか?」
……そうか、柳端は俺が先輩に注意をしに来たと思っているんだ。だから俺が先輩の反撃を受けるかもしれないと心配していたのか。
ならば俺は、柳端にもしっかりと伝えなければならないな。
「柳端、俺が先輩に関わっているのは彼女を救うためじゃない」
「なに?」
「俺は、先輩から人を救う手段を教わりたいんだ」
「……?」
俺の発言に柳端は眉をひそめた。
「意味が分からないな。閂から人を救う手段を教わる? 奴をよく見たのか? 人を救うどころか破滅に追い込んでいてもおかしくないだろ」
「確かに先輩の行動はほめられたものじゃなかった。だけど結果的ではあっても、先輩は俺を含めた複数の人間を救った。なら俺は先輩に師事することで、少しでも人を救う手段を見つけたい。前に進みたい」
「なぜお前がそこまでする必要がある? お前がそこまでして人を救う必要があるのか?」
確かにその疑問は尤もだ。他人からすれば、別に助けてくれる存在は俺でなくてもいい。俺以外の誰かが手を差し伸べることもあるかもしれない。
だが、俺はそれでも――
「柳端、俺が唐木戸を死に追いやってしまったことは知っているな?」
「……ああ」
「俺はこれから一生、唐木戸を殺したことを忘れない。だけどそれだけではダメだ。何もしなければ、俺の決意が揺らいでしまうかもしれない」
「……」
「だから俺は、唐木戸を救えなかった俺は、沢山の人を救う義務があると思う。唐木戸の死を無駄にしないためにも、俺はそれをする必要があるんだ」
「それが理由か……」
「これが正しいかどうかは、この際どうでもいい。だがこれは、俺が自分で決めたことだ」
そして柳端は『ふう』とため息を吐くと、軽く目を細めて微笑んだように見えた。
「『正しいかどうかはどうでもいい』か。お前からそんなセリフが聞けるとはな」
「わ、笑うなよ」
文句を言ったものの、俺はあまり悪い気はしていなかった。
「わかったよ、お前と閂の関係についてはもう口を挟まない。それで? 他にも何か用があるんだろ?」
「ああ、閂先輩から『試験』を課せられたんだ」
「試験だと?」
「うん、さっきの……綾小路さんを救ってくれっていうものなんだけどさ」
「……綾小路を?」
「そうだ。だから柳端、綾小路さんについて何か知っていることはないか?」
質問を受けた柳端は、一呼吸おいた後に端的に言った。
「今時の女子高生」
「う、うん?」
「綾小路佳代子は、まさに『今時の女子高生』の典型だ。自分はカワイイ、自分はイケてる、自分は無敵。そんな考えに支配されている。他人に守ってもらって生きているのを、自分の力で生きているものだと勘違いしているバカな女、それが俺からみた綾小路の印象だ」
かなり辛辣な評価だったが、先ほどの俺や柳端、そして剣崎くんとの会話を思い返してみれば、その評価はあまり的外れでもないように思えた。自分が全てで、他人は脇役。そんなことを考えているのが発言から見て取れた。
「で? 綾小路をさっきの男から救えと閂から言われたのか?」
流石は柳端だ、そこまで見抜いていたか。
「そうなんだ。綾小路さんはさっきの剣崎くんに付きまとわれている。だからそれを解決して彼女を救うのが、今回の『試験』の内容だ」
「……そうか」
柳端は目を伏せて、ぽつりと呟いた。
「……やはりあの閂という女、相当な曲者だな」
「え?」
「お前、何故閂が綾小路を『試験』の対象に使ったと思う?」
「そ、それは閂先輩が綾小路さんを助けたいからじゃ……」
「違うな、あの女はそんな理由では動かない。おそらくは……綾小路がお前を迷わせるのに最適な人物だからだろう」
「どういうことだ?」
「綾小路は、あの店の売上金に手をつけている」
その発言に、思わず視界が揺らいだ。
「こういうことだ萱愛。閂はあえてそんな人間を選んで、お前に『試験』を課したんだ。お前に悪人を救わせるために」
「そんな……」
「前言撤回だ。やはり閂との関係は切れ。奴の目的は知らないが、何かいやな予感がする。それでもお前は綾小路を救うのか?」
「お、俺は……」
あまりにも予想外の事実に、思わず俺が言葉に詰まった時だった。
「あ、コウくん見っけ!」
件の綾小路さんが、場違いな高い声で俺たちの前に現れたのは。
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