柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第二十二話 公園

公開日時: 2024年8月23日(金) 11:45
文字数:4,064


 【15年前 3月1日 午後6時03分】


白樺しらかばさん! お疲れさまでした!」

「おう」


 主演ドラマの撮影がクランクアップし、見た目通りのヘボい能力しかないマネージャーが俺に駆け寄ってきた。


「明日は朝番組で流す番宣の撮影があります。あのドラマ関連の仕事はそれで終わりですね」

「ようやくまとまった休みが取れそうだな。ていうかお前スケジュール組むの下手すぎだろ。俺じゃなかったらこなせてねえぞ」

「す、すみません。ドラマの主演を張る俳優さんにつくの初めてで……」

「言い訳してんじゃねえよ。これ以上ミスったら外すからな」

「は、はい……」


 去年からついた若手マネージャーが震えながらもどこか不機嫌そうに腕を掻いているのを見て、ミスしなくてもコイツはもう外すと決意した。俺の足を引っぱる人間は誰だろうが切り捨てる。俺に気に入られるための演技すらできねえヤツはいらねえ。


「それじゃ、俺はもう帰るぞ」

「え? あの、撮影終了の打ち上げ出ないんですか?」

「あんな奴らとの打ち上げなんて行ってられるかよ。お前の方で適当に理由つけとけ」

「ちょっ、白樺さん!?」


 どうせ打ち上げに出たところで、大御所気取りの俳優や監督が求めてもないご高説を垂れてくるのを聞き流すだけで時間の無駄だ。かつては芸能界でのし上がるために頭を下げていた相手だが、今や俺の師匠を気取って落ち目の自分の人気を取り戻そうとしてるだけのくだらねえ奴らだ。それだったら一人で飲んでた方がまだマシってもんだ。

 ああそうだ。久しぶりにアイツに連絡してみるか。携帯電話の電話帳から『唐沢からさわ清一郎せいいちろう』の名前を探し、電話をかける。


「もしもし」

『……タカさんですか』

「よう唐沢。クロエは元気かぁ? 俺の大事な娘なんだからなあ、絶対にケガさせるんじゃねえぞ?」

『よく言いますね。自分は忙しいのを理由に何も面倒見ないクセして』

「何言ってんだ。クロエが何不自由なく生きるためには俺が働かなきゃならないだろ? なにせ俺にはもう女房もいないんだからな。それにどうせお前はヒマだろ? しけた演劇教室の仕事しかしてないんだからな」

『……』

「ああそうだ。この間清美きよみに会ってよぉ、相変わらずドジだからなのか、アザだらけになってたなあ」

『……! タカさん、やっぱり清美さんはあの男と別れた方が……』

「おいおい、まさかお前清美のダンナが暴力振るってるとか思ってんのか? 天下の県警本部長サマがそんなことするわけねえだろ? それにお前が清美の家庭に口出しする権利あるか?」

『僕になくても、あなたにはあるでしょう!』

「だから俺は清美のダンナがそんなことするわけねえって言ってるだろ? なあ?」

『あなたは……!』

「おっ、ムカついたか? いやあ心配だぜ、お前がクロエに何かしないか心配だ。何かしちまったら、お前もクロエもいなくなっちまうからなあ。それじゃ、くれぐれもクロエにケガさせるなよ。それじゃ」


 電話越しでも唐沢が何も言えずに苦しんでいる表情を浮かべていると手に取るようにわかったので、満足しながら電話を切った。




 警察のコマーシャル映像に出演してから6年が経ち、俺はテレビで見ない日がないほどの俳優として世間に知られるほどになった。今ではドラマの主演も何作か経験し、所属事務所からも看板役者の一人として扱われている。順調に役者としてのキャリアを重ねていると言っていいだろう。

 一方でプライベートではそこそこの波乱があった。2年前にクロエが小学校に上がった直後に妻は急死し、クロエの面倒を見るヤツがいなくなってしまった。そこで子育てを唐沢に押し付けてやったが、俺としてはクロエがどうなろうが知ったこっちゃない。むしろ唐沢がミスってクロエを死なせでもすれば、目障りなヤツが二人消えて都合がいいんだがな。

 清美はあの後、目論見通りにかしわ恵介けいすけと結婚し、フルネームが『柏清美』になった。確かもう4歳か5歳になる子供がいるそうだが、この間会った時には身体中にアザを作っていた。いくらなんでも子育てであそこまでアザができることはないだろうから、柏恵介はやはり真っ当にダンナをやってるわけではないようだ。

 しかしもう俺からしたら柏恵介などもうどうでもいい。今や俺は芸能界の大御所をもビビらせる俳優だ。かつての権力者が俺を恐れ、俺の実力にビビるのを毎日のように目の当たりにしている。そんな日々を送っている以上、柏恵介や清美がどうなろうが別に大した興味はない。


 だが俺にはひとつ引っかかっていることがあった。そのことに思い当たると同時に携帯電話の着信音が鳴る。


「もしもし」

『久しぶりだね、白樺くん』

「アンタか。刑事のクセに相変わらずヒマなんだな」

『そんなことはないよ。君にこうして連絡しているのもかろうじて取った時間を利用しているのだよ』

「そりゃ光栄だ」

『君こそ多忙なのだろう? その中で連絡に応じてくれるとはこちらこそ光栄だよ。あの白樺しらかばたかしが私のためにわざわざ時間を割いてくれるのだからね』


 斧寺おのでらの言う通り、俺はコイツの連絡先を着信拒否にすることなく、こうして通話に応じている。清美と柏恵介の近況を俺に教えているのも斧寺だ。既に看板役者の仲間入りを果たし、権力者をビビらせる力を手に入れたはずの俺だったが、なぜかいまだに斧寺の言葉がひっかかっていた。


『君が本当に求めているものを、提示してあげようという意味だよ』


 俺があの時点で求めていたものは既に手に入れている。だから斧寺の言葉も存在も忘れていいはずだ。

 だが俺はまだコイツとの関係を切っていない。俺が斧寺のことを気に入っているからだろうか?


『さて、この間話したかもしれないが、孫の小霧こきりがこの間娘の夫と一緒に家に遊びに来たのだよ。ふふ、孫というのもできてみれば可愛いものだね。娘自身は全く帰って来てくれないがね』

「わざわざ電話してきたのは身内自慢のためか? さっさと本題に入れ」

『若いのにせっかちな男だね君は。なら本題に入ろうか。柏本部長が今度出張に行くことになってね、清美くんが子供と一緒に私に会いに来るそうなのだが、君にも来て欲しいのだよ』

「はあ?」

『できれば君の娘も一緒にいるとありがたいね。そうすれば君が本当に求めていたものを示せるだろう』

「……」


 よくわからないが、斧寺は俺とクロエ、それに清美とその娘を集めて何か企んでいるようだ。別にこんな怪しい誘いに乗る必要なんてないが……


「……わかったよ。日時を教えてくれればスケジュールを合わせてやる」

『感謝するよ。日時についてはメールを送る。それではまた会おう』


 通話を終えて、クロエのことを思い返す。そういえばもう数ヶ月は会ってないが、クロエは俺のことを覚えているんだろうか。まあ別にどうでもいい。アイツも俺に対しては恐怖しか抱いてないだろう。



 【15年前 4月15日 午前11時05分】


 斧寺が指定してきた場所はG県内の自然公園だった。日曜にも関わらず人はそこまで多くないが、芝生はきっちり刈り揃えられているのを見ると整備は行き届いているようだ。

 公園内の池のほとりにある休憩所に行くと、斧寺がにこやかな顔で俺を出迎えてきた。


「やあやあ、こうして対面で会うのは久しぶりだね白樺くん。テレビで顔は見ているが、実物を見ると迫力が増したように見えるね」

「アンタはちょっと老けたみたいだな」

「嘆かわしいことだよ。私もすっかりロートルだ」


 そう言いながらも、斧寺の立ち姿は初めて会った時のような底知れなさを失っていなかった。その視線が俺の隣にいるクロエに向くと、クロエは「ひっ!」という声を出して泣き始める。


「ひ、ぐっ、うえええ……」

「ふむ、その子が君の娘か。知らない大人は苦手なタイプなのかね?」

「大人に限らず会う人全員に対してとりあえず泣くんだよコイツは。もう今年で8歳になるのに、情けねえヤツだよ」


 先日、久しぶりに家に帰った時もそうだったが、クロエは俺の顔を見ていきなり泣き始めた。それにムカついたので怒鳴ったら部屋の隅でブルブルと震えたまま、今日までロクに会話もしていない。


「あ、あの、わたし、楢崎ならさきクロエ、です。おじさんは、わたしのこと、きらいですか?」

「おや、なぜそう思ったのかね?」

「だってパパは、わたしが泣いてるときらいになるから、おじさんもきらいになるかと思って……」

「……ほう」


 クロエの態度を見た斧寺はなぜか嬉しそうに笑った。


「唐沢くんはいい教育をしてくれるね、喜ばしいことだよ」

「あ? 今なんて……」

「おや、清美くんたちも来たようだね」


 背後に目を向けると、清美とその娘らしき子供が並んでこちらに歩いてきていた。清美は俺を見るなり顔を曇らせる。


「……あの、斧寺さん。今日は兄さんも一緒だったんですか?」

「そうだよ。構わないだろう? 彼が君を助けるなんてことはあり得ないのだからね」

「……そうですね」


 斧寺の言葉に何か違和感があったが、それよりも清美の娘の方が気になった。


「……」


 あまりにも無表情で感情が感じられない。クロエもそうだったが、4歳か5歳くらいのガキはもっと突然泣き出したり叫びだしたりせわしなく動いたりするもんだ。それなのに清美の娘はじっと動かず、何も言わない。


恵美えみ、斧寺さんに挨拶しなさい」

「……こんにちは」

「はい、こんにちは。君が柏恵美ちゃんだね。はじめまして」

「……クロエおねえちゃんは、いないの?」


 恵美がその名前を出すと、俺の後ろで縮こまっていたクロエが急に走り出した。


「エミちゃん!」

「あ! クロエおねえちゃん!」

「ああよかった、エミちゃん。来てくれたんだね、よかった」


 どういうことだ? クロエと恵美は会うのが初めてじゃないのか? 見た感じ仲もよさそうだが。


「ねえエミちゃん。わたしとの約束守ってくれた?」

「うん! 言われた通り、練習したよ」

「そう、じゃあやってみようか」


 そう言われると、恵美は自分の頬をいきなり叩き始めて、両目から涙を流し始めた。


「う、ぐ、うえええ……」

「そうそう、うまいうまい。そうやってるとさ……」


 そしてクロエは言い放つ。


「エミちゃんのお父さんも、ちゃんと殴ってくれるでしょ?」

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